地図にない故郷③
硬質な金属音が、静まり返った保管庫に響いた。
蔵はとっさにめいの前へ出て、身構えた。
めいはランタンを掲げ、暗闇の奥で動き始めた装置を見つめる。
「まさか、俺たちの声に反応したのか?」
「見て。大きな蓄音機みたいな水晶球がついているわ。あれは『大型自動記録装置』よ」
分厚い真鍮のケースの内部で、無数の歯車やゼンマイが動き始めた。長年積もっていた埃が舞い上がり、カチコチと規則正しい音が保管庫に響く。
装置の中央にある蓄音水晶球が、青白い光を放った。
光に照らされ、同心円状の溝が刻まれた真鍮製のレコード盤が姿を現す。盤がゆっくりと回転を始めると、クリスタル針を備えた真鍮のアームが動き、静かに盤面へ降りていった。
青い魔導光とランタンの黄色い光が、二人の顔を照らす。
百年間、止まっていたはずの国家最高機密の記録装置が、突然動き始めたのだ。
めいは目を見開き、蔵はさらに警戒を強めた。
「百年間も止まっていたのに、どうして今になって動き出したの?」
「油断するな、めい。何が起きるかわからないぞ」
蔵はめいをかばうように、その前に立った。
そのとき、装置からかすれた音声が流れ始めた。
『――ザザッ……管区……記録……開始……』
クリスタル針が回転する真鍮盤の溝をなぞる。
砂嵐のようなノイズは、次第に澄んだ低い音へと変わっていった。
「音がはっきりしてきたわ」
二人は息を潜め、装置から流れる音声に耳を傾けた。
『――帝国暦三四四年七月十二日。旧式気象観測網の完全閉鎖、ならびに新造「中央気象統御環」への出力移行試験を開始する』
「帝国暦三四四年七月十二日。私たちの故郷の記録が途絶えた日だわ」
めいの顔が強張った。
すると、蓄音水晶球の青い光の中に、映像が浮かび上がった。
映し出されたのは、燦然と太陽が輝く帝都の姿だった。
街並みは美しく整い、人々は穏やかな晴天の下で暮らしている。
だが、映像が切り替わると、帝都から遠く離れた山々や谷、河川敷に黒々とした積乱雲が押し寄せていた。
巨大な嵐の気流が、見えない水路を流れるかのように、辺境へ向かって押し流されていく。
『――帝都および中枢第一管区における「永続的晴天」を保証するため、余剰湿気および大気の歪みを、計画通り辺境管区へ一括移送する』
『――本記録は、帝国気象統括府の最高機密文書に指定される』
めいは胸に抱えていたノートを、ぎゅっと握りしめた。
「帝都の晴天を守るために、余った嵐や気圧の歪みを、全部、辺境の村へ押しつけたっていうの?」
国家の繁栄を守るために、辺境の集落が天候のはけ口として利用されていた。
その事実に、めいは息を呑んだ。
「こんなの、天気の売買なんかじゃない。ほかの人たちの命を犠牲にして、自分たちだけが安全に暮らそうとしているのよ」
隣に立つ蔵の顔から、血の気が引いていった。
映像の中では、さらに記録が続いている。
『――移送対象区域、選定完了。東部第三管区「水撫の里」、および西部第七管区「風哭の谷」』
「水撫の里……風哭の谷……」
めいと蔵は、ほぼ同時に息を呑んだ。
二人の故郷の名が、はっきりと読み上げられたのだ。
『――当該区域における環境激変、ならびに住民生活への影響について、事前試算完了』
『――生じる損失は、国家気象管理上の「許容範囲内」と判定する』
「許容範囲内、だと?」
蔵の声が震えた。
『――これより、一次排出シーケンスを開始――』
その直後、装置の内部からガリッと嫌な音が響いた。
クリスタル針が跳ね上がり、回転していた真鍮盤が急速に減速する。
やがて盤面は停止し、蓄音水晶球もふっと光を失った。
「おい、どうした? 故障したのか?」
蔵が装置を警戒するように見つめたが、再び音声が流れることはなかった。
冷たい闇が、保管庫を包み込む。
残されたのは、二人の手元にあるランタンの黄色い灯火だけだった。
重苦しい沈黙の中、蔵が拳を握りしめた。
「許容範囲内だと。俺たちの村も、家族も、あいつらにとっちゃ切り捨てても構わない数字だったっていうのか」
蔵は机に拳を叩きつけた。
悔しさに震える肩から、涙がこぼれ落ちる。
めいは何も言わず、蔵の拳にそっと手を重ねた。
「蔵。この記録を持って、街へ戻りましょう」
めいは頬の涙を拭い、まっすぐに蔵を見つめた。
「まだ、わからないことはたくさんあるわ。どうしてこんな実験が行われたのか、ほかにも犠牲になった村があるのか。もっと調べなければいけない」
めいは胸元のノートを抱き直した。
「百年間隠されてきた真実を明らかにする。それが、天気屋である私の仕事だから」
蔵はしばらくうつむいていたが、やがてゆっくりと顔を上げた。
「ああ。ここで立ち止まるわけにはいかないな。アマギ屋へ戻ろう」
こうして二人は、百年前の記録を手がかりに、観測所を後にすることにした。
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観測所を出て、山道を下り始めた頃。
めいはふと思い出したように、蔵が背負っている荷物へ目を向けた。
「そういえば、結局、記録を取り出すために持ってきた高圧密閉シリンダーは必要なかったわね」
「ああ。あんな重いものを苦労して担いできたってのに」
蔵は背負い袋の重みを確かめるように肩を回した。
「まさか、装置が勝手に記録を再生してくれるとは思わなかったもの」
「まあ、記録は聞けたんだ。無駄足じゃなかったと思おうぜ」
「そうね。でも、あの記録だけでは、まだわからないことも多いわ」
「ああ。まずはアマギ屋へ戻って、これからどうするか考えよう」
二人は顔を見合わせた。
そして、百年前の真実を知った重い気持ちの中に、山の底からシリンダーを引き上げ、ここまで運んできた苦労を思い出した。
そろって小さくため息をつくと、二人は再び帰り道を歩き始めた。




