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天気屋のお仕事~天気を売買する世界の物語~  作者: 相場 巴
第1部 第3章:空に残された傷
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地図にない故郷②

 ランタンの光が揺れる中、めいは百年前の『帝国全土気候配分原簿』を、震える手でめくっていた。


「東部管区……第三管区……あった、このあたり」


 手袋をした指先が、墨で書かれた集落の記録の上で止まった。


 □□□


 東部第三管区 水撫(みなで)の里

 年間降水目安:千二百ミリ

 清流と風車、薬草と藍染めを主産業とする自治集落


 □□□


「見つけた。『水撫の里』……私の故郷。おじいちゃんと暮らした、大好きな故郷」


 めいの脳裏に、幼い頃の光景がよみがえった。

 澄んだ清流。川沿いに並ぶ木造の水車。風に揺れる柳並木。そして、優しく降る雨。

 幼いめいは無邪気に笑い、祖父から小さなガラスの雨滴チャームを手渡されていた。

 しかし、ある日突然、故郷は大嵐に襲われた。


 美しかった村は壊滅し、めいの記憶もそこで途切れている。家族も祖父以外は行方がわからなくなり、気づけばめいは祖父とともにアマギ屋で暮らしていた。


「本当にあったんだわ……。おじいちゃんの工房も、あの川も。夢なんかじゃなかった」


 めいは胸元をぎゅっと握りしめた。目に涙がにじむ。

 そんなめいの悲しみを受け止めるように、蔵はいつもの軽口を封じ、優しい眼差しを向けた。


「……ああ、夢じゃない。お前が覚えていたとおりの、美しい村だったんだ」


 蔵は原簿の一角を指さした。


「だけど、めい。この台帳の『備考欄』を見てみろ」


 めいは、蔵が指し示す欄に目を向けた。

 幼い頃の温かな記憶とは対照的に、そこには不穏な朱色の文字が書き込まれていた。


「備考欄? これ、何か書かれているわ」


「よく読んでみろ。統括府の連中が、お前の村に何をしたのかが記されている」


 □□□


 帝国暦三四四年七月十二日 抹消

 指定:第零号気象制御実験に伴う気流遮断

 当該区域、気象管理対象外。

 以降、居住者記録を更新する必要なし。


 □□□


「『居住者記録を更新する必要なし』?」


 めいの顔から血の気が引いた。


「気流を遮断したうえに、そこに暮らしていた人たちの記録まで更新しないってこと? まるで、最初から誰も住んでいなかったみたいに扱ったというの?」


 めいは信じられないという顔で、記録を見つめた。


「私の生まれた水撫の里は、百年前の時点ですでに『気象管理対象外』にされていた。つまり、国の管理から切り離されて、記録の上では存在しない村にされていたのね」


 めいは机の縁を、両手が白くなるほど強く握りしめた。


「こんなの、あんまりだわ。人が生きるために必要な雨を奪っておいて、紙切れ一枚で『存在しない』ことにするなんて。命を育むはずの天気を、人を消す道具にするなんて、絶対に許せない」


 怒りに震えるめいの肩に、蔵がそっと手を置いた。


「怒って当然だ、めい。あいつらは数字と効率を優先して、他人の故郷も命も平気で切り捨てる」


 蔵は記録を見つめたまま、静かに続けた。


「だけど、これではっきりした。お前の村が消えたのは、ただの天災や運命なんかじゃない。人の手が関わっていたんだ」


 蔵はランタンの光の向こうにある、高層気象記録棚を見据えた。


「……そして、俺の村も同じかもしれない。めい、もう一つの台帳を探すぞ。『風哭(かざなき)の谷』。俺が育った、風の谷の記録だ」


 ---


 蔵は書架に備え付けられた鉄製の移動梯子を上り、高層気象記録棚の上段から、分厚い黒革の大型台帳を引き抜いた。


 下からめいがランタンを掲げ、蔵の手元を照らす。


「西部管区……高層気流の記録……あったぞ、これだ」


 蔵は机に戻り、台帳の埃を払って慎重に開いた。


 手袋をした指先で墨文字の列を追い、ある記録の上で手を止める。


 □□□


 西部第七管区 風哭(かざなき)の谷*

 標高千八百メートル

 山脈気流交差点に位置する、風歩きの自治集落

 特有の上昇気流と風嚢栽培


 □□□


「……そういうことかよ」


 蔵の表情が険しくなった。


「俺たちの親父やお袋も、国の記録じゃ、とっくに『存在しない人間』扱いされていたんだ。村を地図から消して、気象管理の対象から外した。だから、十数年前にあんな大嵐が襲ってきても、国は何もしなかったのか」


 蔵の脳裏にも、幼い頃の記憶がよみがえった。


 険しい峡谷の断崖絶壁。


 その間を、自作のグライダー翼を背負った幼い蔵が、満面の笑みで風に乗っていた。


 周囲では、鳥のように軽やかに山の尖った峰々の間を飛び交う「風歩き」の大人たちが、風を自在に操っていた。


「俺たちは、険しい断崖を吹き抜ける風に乗って空を駆ける一族だった。風の匂いだけで天気が読めたんだ。俺の身体に染みついた技術は、全部あそこで教わったものだ」


「蔵。あなたが誰よりも風を敏感に感じ取れる理由が、わかった気がするわ」


「ああ。だけど、あの風もある日突然狂い始めて、故郷は跡形もなく消えちまった」


「蔵の故郷も、そんなことになっていたのね」


 めいは悲しそうに蔵を見つめた。


 やがて、机に身を乗り出し、台帳の末尾に記された風哭の谷の最終観測日を指さした。


「ねえ、蔵。この台帳の最後の観測記録の日付を見て」

「ん? 日付がどうした?」


 めいは水撫の里の記録と見比べ、顔を強張らせた。


「これを見て。私の村、水撫の里の抹消日と、あなたの故郷、風哭の谷の最後の記録の日付が……」


 二人は並べた台帳を食い入るように見つめた。


 ---


 東部第三管区 水撫の里

 抹消日:帝国暦三四四年七月十二日

 西部第七管区 風哭の谷

 気流異常・観測途絶:帝国暦三四四年七月十二日


 ---


「百年前の帝国暦三四四年七月十二日。私たちの二つの故郷は、同じ日に記録から消されていたのね」


 めいは震える声でつぶやいた。


「まるで、天気の生贄にされたみたいに……」


 蔵は怒りを抑えきれず、机を拳で叩いた。


「偶然とは思えねえ。統括府の実験か何かで、俺たちの故郷が同時に犠牲にされたんじゃないか」

「巨大な気象操作が行われて、その影響が東西の辺境に押しつけられたのかもしれない」


 めいは二つの記録を見つめながら、必死に考えを巡らせた。


 水撫の里と風哭の谷。遠く離れた二つの故郷が、同じ日に記録から消されていた。


 それは、偶然で片づけられることではなかった。


 そのとき、張り詰めた静寂を破る、硬い金属音が響いた。


 カチン。


 保管庫の中央に据えられた巨大な蓄音機。その装置に組み込まれた蓄音水晶球が、百年の眠りから覚めたかのように、青白く不思議な光を放ち始めた。


 二人は息をのみ、音のした方へ振り返った。


「何だ、今の音は?」


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