第十四区画③
蔵は、長年積もった泥や砕けた敷石を、手と道具で力強く掻き分けた。
やがて、泥の中から重厚な真鍮のリベットと、頑丈な接合部が姿を現した。
(でかいな。ただの箱じゃない。頑丈な『高圧密閉シリンダー』だ。
それにしても、押しても引いてもびくともしない。大昔の職人は、いったいどんな密閉技術を使っていたんだ?)
蔵はランタンを小窓に近づけた。
内部は琥珀色の安定液で満たされ、その中には淡い光を帯びた結晶核が静かに浮かんでいた。
(中身が残っているのか。これだけの年月が経っているのに、気象核が劣化も蒸発もしていないなんて)
蔵はシリンダーにロープを結びつけると、井戸の壁を伝って地上へ戻った。
井戸の縁では、めいと長老が引き揚げの準備を整えていた。蔵も加わり、三人でロープを握る。
「めい! 井戸の底にあったものをロープに結んだぞ! 滑車を使って、ゆっくり巻き上げてくれ!」
「わかったわ、蔵! こっちも準備できてる。せーので引くわよ!」
「よし、せーの!」
滑車が軋む音が、井戸の周囲に響き渡った。
「よいしょ、よいしょ! なんて重さなの!」
三人は何度も息を合わせ、少しずつロープを引き上げていく。蔵も力を込め、シリンダーが井戸の壁にぶつからないよう慎重に支えた。
落とせば、ここまでの苦労がすべて水の泡だ。誰も気を抜くことはできなかった。
三十分ほどの格闘の末、ようやく高圧密閉シリンダーを井戸の外へ運び出すことができた。
シリンダーの表面は泥と水滴に覆われていたが、密閉状態は保たれているようだった。
「おお、本当に井戸の底から、こんな巨大な筒が出てくるとは」
長老が驚きの声を上げる。
「腰が抜けそうだったぜ。だが、密閉は完璧だ。中身も無事らしい」
めいはシリンダーの前に膝をついた。
布とヘラを使い、上部バルブの周囲にこびりついた硬い泥や鉱物の層を、慎重に取り除いていく。
すると、バルブの封緘部分に、何かが隠されていることに気づいた。
「待って。ここに、職人の封印が施されているわ」
泥の下から現れたのは、鮮やかな真紅の封蝋だった。
そこに刻まれていたのは、優雅に渦巻く雲と三枚のクローバー。
めいが工房で毎朝ボトルに押している、アマギ屋の家紋そのものだった。
「えっ……」
めいはヘラを握ったまま、息を呑んだ。
「見間違いじゃないよな、めい。これ、お前の店の家紋封蝋だよな?」
「うん。間違いないわ」
めいは震える手で、封蝋の横にある小さな金属銘板へ拡大調合鏡をかざした。
「封蝋の横に、細かい文字が刻まれているわ」
銘板には、次のように記されていた。
――帝国暦三四五年 謹製/初代調合主 天城創真
「帝国暦三四五年。ちょうど百年前だわ。統括府が設立されるより前に作られた、初代おじい様の初期作品なのね」
めいは銘板を見つめたまま、言葉を失った。
百年前の遺物に、アマギ屋の家紋が刻まれている。それだけでも驚くべきことなのに、製作者は初代調合主の天城創真だった。
長老は杖をつきながら、涙を浮かべてシリンダーを見つめた。
「言い伝えは、まことじゃったか。百年前、都市の天候実験から村を守るため、ある旅の気象職人がこれを井戸の底に沈めてくださったそうじゃ。じゃが、その直後、村へ続く公道は封鎖され、村そのものが地図から消されてしまったのじゃ」
「地図から消された、か……」
蔵は険しい表情でシリンダーを見下ろした。
「偶然じゃねえな。あいつらのやり方は、百年前から何も変わってないのか」
めいは立ち上がり、蔵と視線を交わした。
「蔵。このシリンダーには、百年前の天候実験に関する記録が残されているかもしれない」
めいは北の山嶺へと目を向けた。
「北の山嶺にある遺構、『旧・第零気象観測所』へ行きましょう。当時の観測データと照合すれば、この村の井戸を蘇らせる手がかりが見つかるはずよ」
「おう。消された村の謎も、俺たちが探している答えも、そこに手がかりがあるかもしれねえな」
二人は、失われた歴史と自分たちのルーツを解き明かすため、百年前の廃墟へ向かう決意を固めた。
めいは長老に向き直った。
「長老さん、この高圧密閉シリンダーを、一度預からせてもらってもいいですか? 初代おじいちゃんの記録と、北の観測所に残されたデータを照合すれば、村の井戸を本当に蘇らせる方法がわかるかもしれません」
「ああ、持っておいきなさい」
長老はゆっくりとうなずいた。
「百年前、あの職人様は『いつか私の子孫か、志を同じくする者がこの封を解きに来る』と言い残しておられたそうじゃ。どうか、あの方の想いと、この空の真実を確かめてきておくれ」
蔵は背負い袋の底に残っていた予備の安定水ボトルを取り出し、井戸端に置いた。
「これ、わずかだけど、土を湿らせるくらいの役には立つ。戻ってくるまで、爺さんも村の連中も干からびて死ぬんじゃねえぞ」
ぶっきらぼうな言葉とは裏腹に、その手つきはどこか優しかった。
長老はボトルを見つめ、それから蔵の顔を見上げた。
「口は悪いが、優しい若者じゃ。風歩きの子よ。お前さんの足元を流れる風は、昔の空の匂いがするのう」
蔵は気まずそうに鼻を掻くと、何も答えずに背を向けた。
「行きましょう、蔵」
めいは高圧密閉シリンダーを見つめ、決意を込めて言った。
「百年前、おじいちゃんが何を見つけたのか。そして、どうしてこの村が隠されたのか。必ず答えを見つけて、ここに戻ってきます」
二人はシリンダーを携え、北の山嶺に眠る旧・第零気象観測所を目指すことになった。
百年前に封じられた秘密が、今、少しずつ姿を現そうとしていた。




