ふたりの休日②
白い風車がゆっくりと回る、見晴らしのいい緑の丘。
ふたりは並んで腰を下ろした。
蔵は片膝を立てて気楽に座り、めいは手に入れたばかりの示差気圧計を大切そうに膝の上に置いていた。草原を吹き抜ける風に目を細め、ゆっくりと深呼吸する。
「こうして郊外の丘に来ると、風が気持ちいいわね……帝都の中は、統括府の晴天ドームでいつも同じ風しか吹かないから」
「ああ。都心の連中は『いつでも快晴が保証された安全な街』だと信じ切って喜んでるがな……その裏でどれだけの空が歪んでるか、誰も知りやしねぇよ」
めいは示差気圧計の木製ケースにそっと手を添え、遠くの空を見つめて微笑んだ。
「おじいちゃんが昔、言ってたわ。『風は遠い空からの手紙だ。何を運んできたか、耳をすませばわかる』って。今日こうして蔵と一緒に市場に来て、掘り出し物も見つかって……本当にいい休日になったわ」
「それはよかった」
めいがふと蔵の方を向き、以前から気になっていたことを尋ねた。
「ねえ、蔵。そういえば……どうしてうちの配達員になったの? あんなに足が速くて、風の流れを読むのも上手なのに。大手の天気屋じゃなくて、どうしてうちみたいな小さなアマギ屋の専属配達員をしてくれてるの?」
蔵の表情が一瞬だけ強張った。彼は遠くの地平線へと静かに視線を逸らす。
「……さあな。昔のことは忘れたよ。特別な理由なんてない」
めいは、それ以上触れてはいけない事情があるのだと察した。
「そっか。話したくなったら、いつか聞かせてね」
そう告げると、めいはそれ以上追及せず、再び風の吹く丘へと目を向けた。
蔵は返事をしなかったが、その横顔には、ほんのわずかな戸惑いが浮かんでいた。
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夕暮れの光が街道に長い影を落としていた。
示差気圧計を大切に抱えためいの隣で、蔵が突然足を止める。街道脇には「開拓村」と記された古びた道標が立っていた。
「……悪い、めい。ちょっと寄り道したい場所がある」
「え? 寄り道……?」
「俺一人で行くけど、すぐ戻る。そこの木陰で十分くらい待っててくれ」
「でも、そっちは開拓村の方角じゃ……」
「ああ。すぐ済む用事なんだ」
蔵はそう言うと、開拓村へ向かって歩き出した。
その背中を見送っためいは、ふと彼のショルダーバッグに目を留めた。
市場で買った荷物が入っているにしては、ずいぶん膨らんでいる。
(……あれ? ずっと気になっていたけど、あのバッグ、何が入っているのかしら?)
隙間からちらりと見えたものに、めいは息をのんだ。
(あれって……アマギ屋の倉庫に置いてあったはずの……!)
蔵の背中が遠ざかっていく。
(蔵……あなたはいったい、何を隠しているの?)
めいは少し迷ったものの、好奇心を抑えきれず、そっと後を追うことにした。
蔵に気づかれないよう距離を保ちながら、開拓村へと続く道を進んでいく。
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蔵は村の干からびたトウモロコシ畑を通り、
村の中心にある、干上がった共同井戸のそばで足を止めた。
周囲に人影がないことを確かめると、ショルダーバッグの留め具を外す。
取り出したのは、アマギ屋の倉庫の奥で眠っていた、規格外の傷物の『雨』の瓶だった。
瓶の中では、柔らかな雨雲がゆっくりと渦巻いている。
「……こんなもんでも、ないよりはマシだろ」
蔵は瓶を見つめ、ぽつりとつぶやいた。
正規の商品としては売れない雨。だが、この村の人々にとっては、枯れかけた作物を救う希望になるかもしれない。
蔵は井戸の木柱に雨瓶を立てかけ、麻紐で一枚の紙片を結びつけた。
『自由に使ってください』
すると村の老人がやってきた。
「すまねぇな、若い衆……。統括府の管理区域から外されたこの村にゃ、お上からの雨は一滴も降ってこねぇ。都心の晴れのツケで、熱い風ばかり押し付けられて……あんたの持ってくる規格外の雨瓶だけが頼りだ」
蔵は軽く会釈すると、その場を立ち去った。
少し離れた灌木の陰から、その一部始終を見つめていためいの瞳が、驚きと深い感銘に揺れた。
(あんな規格外の雨瓶……市場では二束三文で、工房の奥に眠っていたはずなのに……)
蔵が市場から持ち歩いていた、妙に膨らんだショルダーバッグ。その中身は、怪しい品物などではなかった。
規格外の雨を、困っている人々に無償で届けるためのものだったのだ。
めいは胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。
(蔵……あなたは、こんなことをしていたのね)
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蔵は何事もなかったかのような足取りで、めいが待つ場所へ戻ってきた。
「待たせたな、めい。用事は済んだ」
「おかえりなさい、蔵。……ずいぶんショルダーバッグが軽くなったのね」
めいは怒るでも問い詰めるでもなく、柔らかな微笑みを向けた。
蔵はその表情を見て、自分の行動がすべて見られていたことを察した。
「な……!? もしかして、めい、俺の後をつけてきたのか……? ち、違うぞ! あれはタダで雨を配ったわけじゃなくて……! どうせ売り物にならない在庫だったんだ。倉庫の整理を兼ねて、使えそうな場所に回しただけだ!」
「ううん。ありがとう。いちばん必要としている人たちに、天気を届けてくれたのね」
めいはまっすぐに蔵を見つめた。
「おじいちゃんが残してくれた教え……『天気を届ける』ことの本当の意味を、蔵は誰よりもよく知っているのね」
「……大げさだ。売り物にならない雨を、使ってくれそうな場所に置いてきただけだよ」
蔵は顔を背けた。
「それでも、あの村の人たちは助かるかもしれないわ」
「……ああ。だから、届けたんだ」
その声には、いつものぶっきらぼうな響きとは違う、静かな決意がこもっていた。
めいは、それ以上理由を尋ねなかった。
代わりに、そっと微笑む。
「そっか。……蔵らしいね」
その言葉に、蔵は一瞬だけ目を見開いた。
何か言い返そうとしたものの、結局、小さく息を吐くだけだった。
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少し気恥ずかしい空気のまま、ふたりは並んで歩き始めた。
夕暮れの空は黄金色から深い茜色へと移り変わり、街道には長い影が伸びている。
「あともうちょっとでアマギ屋に着くわね。日が暮れる前に街に戻れそう」
「ああ。今日は歩き回って疲れただろう。晩飯は街の食堂で奢ってやるよ」
「えっ、いいの? ありがとう、蔵!」
嬉しそうに顔を輝かせるめいに、蔵は思わず目を細めた。
「……そんなに喜ぶことかよ」
「だって、蔵と一緒に食事するのも楽しみだもの」
めいが何気なく口にした言葉に、蔵の足が一瞬だけ止まる。
「……そ、そうかよ」
ぶっきらぼうに答えたものの、耳の先はほんのり赤くなっていた。
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ふたりが歩いていると、道端に古びた大木が見えてきた。
その根元に、擦り切れたフード付きマントを深くかぶった老人が、うずくまるように座っている。
不気味な雰囲気を感じながらも、ふたりはそのまま通り過ぎようとした。
「……ほう。大地を踏みながら、大気の抵抗を完全に逃がす歩法……」
老人は低いしわがれ声でつぶやき、蔵を見上げた。
「……間違いない。『天上の風歩き』……!」
蔵の表情から、すっと笑みが消えた。
「おい、そこの小僧」
老人の声に、蔵は足を止める。
「……いい脚を持っているな。だが、その足運び――お前も、あの空から逃げてきたのか」
老人の口から出た「あの空」という言葉に、めいは息をのんだ。
隣に立つ蔵の背中から、先ほどまでとは明らかに違う緊張感が伝わってくる。
めいは、ただならぬ事態が起きようとしていることを察した。
「……風はいずれ、逃れられぬ嵐を呼ぶ。覚悟しておくことだな、若き翼よ」
老人は意味深な言葉を残すと、ゆっくりと立ち上がり、夕闇の中へと姿を消していった。
めいは去っていく老人の背中を見つめた。
「……蔵。今の人、あなたのことを知っているの?」
蔵は答えなかった。
夕闇に沈む道の先を、険しい表情で見つめていた。




