虹は売り物になりません②
子どもたちが立ち去った後、めいは工房のカウンターに戻った。
目の前には、微細ミストの薬液瓶と分度器が並んでいる。めいは噴水広場の景色を思い浮かべながら、薬液瓶を手に取った。
「噴水の水しぶきにこのミストを重ねて、西日の角度を合わせれば、広場いっぱいに本物の虹を架けられるわ!」
めいの目は、すでに虹の完成を思い描いて輝いていた。
一方、蔵は少し離れた場所で、今後の配達ルートを考えていた。めいと子どもたちの会話は聞こえていたが、しばらく黙っていた。
やがて、蔵は顔を上げた。
「虹なんて数分で消えるんだぞ。一文の儲けにもならないじゃないか。天気屋は慈善事業じゃないんだ。俺は付き合わないからな。勝手にやってろ」
そう言い残すと、蔵は不機嫌そうに背を向け、アマギ屋を出ていった。
(蔵のケチ。一緒に手伝ってくれたっていいじゃない)
めいは頬を膨らませたが、すぐに気持ちを切り替えた。蔵がいなくても、やれるところまでやってみるつもりだった。
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アマギ屋を出た蔵は、石畳の路地を歩いていた。
(まったく、あいつは採算も考えずに。虹を架けたところで、金になるわけでもないのに)
口ではそう言いながらも、蔵の頭には、めいが子どもたちを見つめていた真剣な眼差しが残っていた。
あんな顔をされたら、めいはきっと諦めない。自分一人でも、何とかして虹を架けようとするだろう。
「どうせ本気でやるんだろうな」
蔵は足を止め、深いため息をついた。
「やるからには、半端な仕事でアマギ屋の評判を落とすわけにもいかないか」
そうつぶやくと、蔵は近くの古道具屋へ向かった。
店の中には、古びたレンズや真鍮の金具、用途の分からない機械部品が木箱に山積みされていた。店主がパイプをくゆらせるそばで、蔵は使えそうな品を探し始める。
「兄ちゃん、そんなガラクタの山から何を探してるんだ?」
「光をきれいに分けられる、昔の厚手のカットガラスだ。どこかに埋もれてないか?」
店主は少し考え、店の奥を指さした。
「そういえば、奥の木箱にそんなものが入っていた気がするな。あんなの二束三文にもならんから、持っていっていいぞ」
「助かる」
蔵は短く礼を言い、店の奥へ進んだ。
木箱の中をひっくり返すように探していると、やがて重厚なアンティークのカットガラス板が見つかった。厚みのあるガラスには、細かな面取りが施されている。
(まったく、余計な手間をかけさせやがって)
蔵はぶつぶつ言いながらも、ガラス板を傷つけないよう布で丁寧に包んだ。
店を出ると、路地に差し込む西日にガラス板をかざしてみる。
その瞬間、カットされた面から鮮やかな虹色の光が弾けた。七色の光が蔵の頬や手を彩り、石畳に小さな虹を映し出す。
蔵はその光を眺め、口元をわずかに緩めた。
「どうせやるなら、街中の人間が思わず空を見上げるくらい、派手な虹を架けてやろうじゃないか」
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ほどなくして、蔵はアマギ屋へ戻ってきた。
「めい! 古道具屋で使えそうなものを見つけてきたぞ」
「えっ、蔵? 付き合わないって言って出ていったんじゃなかったの?」
めいが驚いて振り返ると、蔵は手に持った包みを作業台に置いた。
「勘違いするなよ。手伝うつもりはなかった。でも、お前がやる気満々なのに、失敗して店の評判を落とされたら困るからな」
そう言って、蔵は包みをほどいた。
中から現れたのは、厚手のガラスに精密な多面カットを施したガラス板だった。
窓から差し込む西日がガラスに当たると、工房の壁や天井いっぱいに鮮やかな七色の光が広がった。
「な、何これ。昔の高純度クリスタルガラス? こんなにきれいに光を分けられるなんて!」
めいは目を輝かせ、ガラス板をさまざまな角度から確かめた。
「昔、灯台で使われていた特注品らしい。これだけきれいに光を分けられれば、お前のミストでも、街中の人が見上げるような虹を架けられるだろ?」
「うん! ありがとう、蔵!」
めいは思わず蔵の両手をぎゅっと握りしめた。
「な、何だよ、急に!」
蔵は慌てて手を引こうとしたが、めいのうれしそうな顔を見て、強く振りほどくこともできなかった。
「俺はアマギ屋の評判を守ろうとしてるだけだからな」
そう言って顔をそらす蔵の耳は、ほんのり赤くなっていた。
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虹を架ける準備が整うと、二人は必要な道具をそろえた。
蔵は三脚や金具を担ぎ、めいは調合器具を鞄に詰める。作業台の上には、微細噴霧液のボトルと太陽の位置を測るための器具が並んでいた。
「西日の角度が狙いどおりになるのは十六時四十分。噴水広場へ行くわ。蔵は子どもたちとお母さんに、広場へ来るように伝えてくれる?」
「はいはい。一文にもならない、最高の仕事にしようぜ」
蔵は肩をすくめながらも、準備した道具をしっかりと抱え直した。
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午後四時三十分。
街の中心にある噴水広場では、初夏の西日が石畳を黄金色に染めていた。
めいとレオ、ニーナ、ポコの三人は、石造りの花壇の陰に集まっていた。少し離れたところには、子どもたちのお母さんもいる。
「みんな、よく来てくれたわね。これから、とっておきのサプライズを見せてあげる」
「すごい。本当に虹が見られるの?」
レオが期待に満ちた目で尋ねた。
「めいお姉ちゃん、あたしたちは何を手伝えばいい?」
ニーナもそわそわしながら、噴水を見つめる。
「今日はそのまま見ていて。きっと、すてきなものが見られるわ」
めいは笑顔で答えると、エプロンの袖をまくった。
まずは噴水の調整だ。めいは噴水の縁から身を乗り出し、真鍮のレンチでノズルを少しずつ回した。
「水の出口を少し絞って、水しぶきを細かくするの。水滴の大きさを調整すれば、虹の見え方も変わるから」
水の勢いを確かめながら、めいはノズルを微調整していく。
次に、傾き始めた西日に向かって真鍮製の太陽高度計を掲げた。目盛りを確認し、狙った角度になるまで慎重に待つ。
「太陽の位置は、もうすぐ狙いどおり。きれいな虹を見せられる時間は短いわ。タイミングを逃さないようにしなくちゃ」
その頃、蔵は広場を見下ろせる時計塔の街灯の上にいた。アンティークのカットガラス板を取り付け、集光プリズムの向きを細かく調整している。
「めい! こっちの集光プリズムの軸合わせはうまくいったぞ。あとはお前のミスト次第だ。最高の虹を見せてみろよ!」
「ええ、任せて」
めいは微細噴霧液のボトルを手に取り、太陽高度計をもう一度確かめた。
「太陽の位置、よし。微細噴霧液、準備完了」
西日が狙いの位置に達した瞬間、めいはボトルのコルク栓を抜いた。
ポンッ。
噴水の水しぶきに微細噴霧液が重なり、細かな水滴が空気中へ広がっていく。夕日の光を受けた水滴は、まるで小さな宝石のようにきらめいた。
「すげえ、水しぶきがキラキラ光ってる!」
レオが声を上げる。
「お母さん、見てみて。すっごくきれい!」
ニーナが母親の手を引いた。
「本当にきれいね」
母親も目を細め、水しぶきを見上げた。
そのとき、時計塔の街灯の上にいた蔵が、アンティークのカットガラス板を西日に向けて微調整した。
「角度は問題なし。光を合わせるぞ!」
蔵がガラス板の向きを固定すると、集められた光が細かな水煙へと差し込んだ。
その瞬間、空中に七色の光が浮かび上がり始めた。
噴水広場にいた子どもたちだけでなく、通りすがりの人々も足を止め、驚いたように空を見上げた。




