2話 狂人くんは仕返しする
翌日。
その男、虚は学校に入ってすぐに多くの視線を感じる。それは明らかに敵意を持ったもので、それに気づきつつも、隠れているものを横目に下駄箱を開ける。案の定、上履きの中には画鋲が敷き詰められていた。
虚は一瞬困ったように眉を寄せると、ニヤリと楽しげに笑い、震えを抑えるように自分の二の腕をガシッと掴む。
「やっぱいじめはこうでなくちゃね」
気づかないはずがない。これは画鋲を踏ませるために用意されたものでなく、お前は今いじめられてるんだぞと、そう伝えるためのものだ。いくらなんでも画鋲を踏ませるようなことをすれば、先生らも動かざるを得ないのだ。
虚は上履きを履いた。
「…え?」
誰かから吐息のような声が漏れた。その震えた声と同時に場がしんと静まる。
「うわあぁぁ! 痛いぃ!」
そしてもちろん、画鋲を刺された虚は足を上げ、上履きを取っ払い、情けなく大声で泣き叫んだ。痛みで転がり周りながらも、顔が少しにやけているように見えるのは、きっと気のせいだろう。
「あ、あいつなにして……まさか、ほんとに気づかなかったって言うの…?」
いじめの主犯格に当たるであろう女子生徒。彼女は罪悪感からか、はたまた恐怖からか、口に手を添え体を大きく震わせる。
それから時間が経つに連れ、不思議と泣き声は適当になっていった。
「うわぁーん、うわぁーん」
虚はまるでふざけているのかと思うほどに、小さな女の子のように内股で座り、目に手を添えて泣いた。その姿は誰もが人目見るだけで泣いていると分かる。先生が来るのも時間の問題だろう。
既に何人かの生徒は、何事もなかったかのように額に汗を垂らし、尻尾を巻いて逃亡している。だが、主犯格の女だけはその場に力無く座り込んでいた。
「ち、ちが、こんなつもりじゃ……」
頭を抱えて息を荒げながら、彼女は小さく震えた声で呟く。
画鋲が1本刺さる分には、そこまで人体に影響を及ぼさない。が、今回の場合は刺さった画鋲は10本以上、歩行障害に陥ってもおかしくはない。
「だ、大丈夫ですか? 救急車、救急車を!」
声を聞いた小さな女の先生が駆けつけ、その後なんやかんやで救急車に運ばれた。
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計画通りッ。
やはり僕ってば天才。あれから針を抜く手術をし、もう特に痛みもない。後は主犯格のやつを父親ごと脅して、手術代(精神的苦痛の慰謝料もね!)を貰えば完璧だ。
まあこれで少なくとも、あの女からのいじめはなくなるだろう。針も浅く刺さるよう、体重の掛け方を調整したからすぐに抜けたし、すべてうまくいったぜ。
「お兄ちゃん!!」
すると制服姿の慌てた明が、汗だくで登場した。そしてそのままベットに座る僕に勢いよくダイブ。すると飛び蹴りを喰らったような衝撃が体に走る。明ちゃんって体育会系だったのだろうか。なんか44キロ走った後くらいの汗の量だけど。
「ぐはっ! や、やめろ」
僕は流石に恥ずかしいし、慌てて明の顔を体から剥がして、体を持ち上げ横の椅子にちょこんと置いた。てかちょっとキモい…。
明は一瞬ぷくっと頬を膨らませると、僕の怪我が視界に写ったのか歯を噛み締めた。
「その怪我、どうしたの……」
下向いた明の目は前髪に隠れてよく見えなかったが、なんとなく鋭い視線を感じた。これは明確にキレてる。明だけに。とか冗談は言ってられない雰囲気だ。
そして明は勢いよく顔を上げると、鋭く強い瞳で僕を見た。その瞳はまるで感情を押さえ込むように震え、揺れる眼光が赤黒く光った。
「誰にやられたの!」
言葉同時に腕を机にドンッと振り下ろした。兄貴、迫力がヤクザ並みなんですけど。え、ほんとに中3だよね? もしかして前世伝説殺し屋だったりする?
殺し屋だろうとなんだろうと、されども相手は妹。ビビって引くわけにもいかず、内心ガクガクに震えながら僕は最低限の対抗を見せた。
「に、人間」
すると、まるで僕の回答を予測してたかのように、明は迷いなく胸ぐらを掴んだ。いやいや流石に明ちゃんワイルドガールすぎない? いやもはや殺し屋説、有力になっちゃってきてるから!
そんなことを考えながらも、あくまでクール系なので落ち着いて僕は言葉を選ぶ。
「見逃してくれるはず」
「承諾した覚えは無い!」
うん、確かに……。ていうかなんか今の会話、重要な取引みたいな感じでかっこよかったな。もしかしたら内心明ちゃんも恥ずかしがってるかもね。咄嗟に変なこと言葉遣いしちゃったぁ、てへへ。みたいにさ。
「もう、そういうのやめてよ…。もっとちゃんとした解決方法があるはずなのに、なんで」
明は血管が浮き出るほど強く拳を握って、まるで顔を隠すように下を向いた。暗く影に覆われたその顔はおそらく怒りに歪んだものだろう。この感じ明ちゃん泣いちゃうやつだ。僕だって妹を泣かせる趣味はないし、てか怖いし、仕方ないか…。
僕は観念し諦めたように大袈裟に息を吐いて見せた。
「わかったって、もうやめるから」
明は顔を上げると、疑心暗鬼の目で僕を見た。その目はまるで震えた子犬のようで、さっきのこわーいのではなくなっていた。その瞳の縁には透明な雫が溜まっている。
僕はその美しい雫を指で優しく拭い、明の頭を撫でた。
「だからその顔はやめてくれ」
僕は明の、人のこの悲しい顔が嫌いだ。人は笑っていたほうがいいに決まっている。あ、でもでも喜ばせるってのも立派な娯楽、それに幸せを感じるのは人間である限り至極当然で、僕の狂気は揺るがないからっ! 勘違いしないでよね!
と、心の中で1人ふざけていると再び今度は優しく抱きつかれ、僕の服に顔を擦り付けて涙を拭いた。この密着感がなんていうか、うん……。
「んん」
これが兄妹愛かな。うん、とても不快だ。
別に抱きつかれるのはいいんだけど、なんか僕の服で涙と鼻水を拭いてるですけど。いや待てよ、この子鼻水かんでない!? もしかして僕のことティッシュだと思ってる?!
それから明は、2時間くらい離れてくれなかった。鼻もかまれた。拷問かな?
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そんなこんなで大体回復した僕は、久しぶりの学校に来ていた。いやぁ、楽しみだなぁ。
と、考えていると、たくさんの人が僕をすごく歓迎してくれた。下駄箱になんて寄せ書きまでもが書いてあった。いつの間にか人気者になっちゃったみたいだ。
ええっと? 二度と学校に来るなとか、早く消えろとか、うんうん、みんな照れ屋さんなんだね。でもちょっとだけツンが強すぎない…?
「おはよう」
返事は来ない。その集まった奴らは、ただ鋭く僕を睨むばかりだった。それにしてもトイレ行きたいな。僕は教室に来たが、なぜか僕の席がない。
誰かが間違えて捨ててしまったのだろうか?
「ねえ、僕の席知らない?」
僕はとりあえず隣に座るクラスメイトに質問した。この子は卯月絲。確か日本一の天才だとかなんとかだ。なんと僕と卯月は中学が一緒なのだ。だから名前は覚えていた。
卯月は視線は本の向けたまま、淡々と無機質に答える。
「捨てられましたよ」
「知ってる」
「意図的にですよ」
「そんなのはわからないだろ?」
この子本当に会話ペース早いんだよね。僕お得意の、心の中で相槌ができないじゃないか。頭の回転早すぎだろ。
「わかりますよ。この状況ですし、間違え廃棄するなど、全く意味がわかりません」
本を読みながら興味なさげに答える卯月だったが、なぜかとても怒っているように見えた。それは大袈裟に表情に出ているわけでもなく、声に出ているわけでもない。本当になんとなくだ。
この天才は本物だ。テストは毎回百点満点。毎回90点台なのと、毎回100点なのとでは天と地ほどの差がある。なによりえげつないのは、授業以外でまともに勉強している姿を見たことがないことだ。
とりあえずそんな天才様に助言を乞うことにしよう。
「どうしたらいいですかね。天才様?」
「へ、変な呼び方をするのはやめてください」
ちょっとからかっただけだが、意外と卯月は反応が良く、むっと僕を見つめると顔を赤らめた。そして小さく、こほん、と咳払いをする。
「まずは先生に相談するといいですよ」
まあ、それもそうか。とりあえず、ここは天才様の助言に従っておこう。そこで僕は廊下に出て、ちょうど用具を腕に抱えている先生がいたので話しかけた。
「稲葉先生、席が消えたのでなんとかして下さい」
うちのクラスの担任、稲葉咲。
小柄で美人で可愛らしく、男子生徒からも大人気の先生だ。まあでも僕としては嫌いだ。僕がいじめられてたのを見て見ぬ振りしてたし、腹黒なんじゃないかと思い始めている。
「あ、はい、そ、そうですか。どうしましょうか」
彼女は焦りを隠せないようで、気まずそうに目を逸らした。やっぱ悪気ありだな。まあそりゃそうだよな、アニメじゃないんだし、まともな大人ならあいつの父さんを敵に回したりしない。
「僕、いじめられてます」
それは言わないでほしかったと、言わんばかりの顔で見つめられた。彼女には申し訳ないけど、少し巻き込ませてもらおう。狂気を封じた僕はもはやただの一般人に等しいからね。いじめに対抗する策なんてない。自己犠牲のない狂気なんて狂気ではないからね。
「そ、それは大変ですね」
「それだけ?」
僕は同情を誘うように、うるうるした瞳を作ってみせた。彼女は目を泳がせた。
「いえ、そ、それは許せません。ど、どんなことをされたんですか…?」
彼女は取り繕ったようなみたいに、えへへと引き攣った笑いを見せる。すごい汗かいてるし……。なに、もしかしてあいつのお父さんヤクザだったりする感じ?
「知ってるでしょ?」
僕が呆れたように言うと、ビクッと体を震わせてわざとらしく苦笑いした。ここまで協力する姿勢がないなんて、東雲のやつどんなやばい野郎なんだ?
彼女は諦めたみたいに視線を落とし、負のオーラを放ちながら言う。
「あ、ああ、そうでした。画鋲を刺されたんでしたね……」
「助けてください」
僕は慌てる彼女の目を、がっちり両目で捉えた。彼女は悪い人じゃない。多分あれだ、邪魔するなら家族を殺すぞ、的な事言われたんだろう。知らんけど。
「も、もちろんです。だ、だから、もう少しだけ耐えてください!」
先生はばっと後ろを向くと、ふらふらとした足取りで、慌てて走って逃げて行ってしまった。おい! 廊下を走ってんじゃねぇぞ!




