『袖』の赤
翌日の午後、ディトーと落ち合ってメーゼンブルク大聖堂へ向かう。宝物庫は大聖堂に付属の建物で、大聖堂広場に面していた。
ディトーはその建物に迷わず近づいて行き、その後をユーナとクリスが続く。
宝物庫の入口は特に何の変哲もない木製の扉だった。宝物庫というくらいだから、さぞ豪華なんだろうと思っていたユーナは肩すかしを食らった。
「なんか、地味ですね」
「街のど真ん中で目立つと、いろいろ面倒だからな」とディトー。
その理由はなんとなく理解できた。
ディトーが衛兵に用件を告げると、衛兵は警戒を解いて3人を中へ導いた。
木製の階段を上がると、そこにきらびやかな世界が広がっていた。テーブルや椅子、暖炉などの家具もあるにはあるが、それらは精緻な細工が施されており、日常使いのものではないことが見てとれる。
それから、テーブルの上の他、様々な場所に置かれた貴重品の数々。
宝石が散りばめられた司教杖や冠、壺、黄金製の時計、さらに、壁に掛けられた絵画など高価そうな物から、人の顔程もある卵の殻、珊瑚、頭の禿げた子供の置物など珍妙なもの。それから、骨、骨、骨。
そう、宝物の中には人骨が多く含まれていた。頭蓋骨や大腿骨のようなものはなく、ほとんどが指の骨とか、砕かれた破片とか、小さなものばかりだが、それらは聖人の物(いわゆる聖遺物)で、ガラスがはめ込まれた専用の入れ物に納められている。その小物入れも金の地金に宝石がはめ込まれたりしていて、それ自体が高価な物だと判る。
ユーナは、こういう雰囲気の空間を訪れたのは初めてだった。なんとも奇妙な感覚を覚える。
リーズ家は武門の家柄で質実剛健をモットーとするようなところがあるから、宝石や絵画などには目をくれない。代わりに武器庫と称する鎧、剣、槍、楯などが集められた部屋ならあった。
「こっちだ」
ディトーが促す方向に足を進めると、広い空間の向こうに頑丈そうな木製の扉が現れた。その前に、老人が一人、たたずんでいる。ユーナ達はその方向へ歩みを進める。
「ひさしぶりだな」
老人はディトーを懐かしげに見つめた。
「あんたもね」
言い返すディトーは素っ気ない。
「もう40年にはなるか。変わらないな、君は」
「いや、変わったさ、お互いにな。立場も、外見も、何もかも」
「変わらない物もある」
「……そういうことにしておこうか」
老人が年に似合わない、はにかむような笑みを浮かべる。それはディトーも同じだった。
やりとりから、老人が大司教なのだとユーナは悟った。そして、失礼とは思いつつ、可愛らしい人物だと思った。
「『袖』を見せたいというのは、そちらのお嬢さん達か?」
「そうだ」
ディトーの言葉の言外に自己紹介するよう指示が含まれていると感じ取って、ユーナは名と学年を告げた。慌ててクリスが続いた。
「そうかそうか、よろしく、お嬢さん達」
大司教は、目尻に皺を寄せて笑顔になる。
もっと偉ぶっても良さそうな物なのだが、この大司教はそういうところが一切なく、終始、気さくな雰囲気だった。もしかすると、ディトーの存在が大きかったのかも知れない。
大司教は懐から大きな鍵を取り出し、扉につけられた鍵穴に差し込み、回した。
がちん、と扉の中で音がした。
「さあ、入りなさい」
扉をくぐった先は薄暗く、人が5人も入れば窮屈になるくらい狭い部屋だった。天井は高く、上の方に採光用の窓が一つ。そして、奥まったところに台があり、その上に聖遺物が置かれていた。「それで、『赤色探し』だったな」
と大司教が確認する。
ディトーが「そうだ」と肯定すると、大司教は『袖』をひょいとつまみ上げた。
「え?」
ユーナは驚きの声を上げる。仮にも聖遺物である。聖堂にとってそれは黄金以上の価値を持つ。そんなものをぞんざいに扱うというのが信じられなかった。
ユーナの表情を見た大司教は、楽しそうに、
「これは、確かに聖人が着ていた服の一部だ。だが、聖人そのものではない。ただの擦り切れたぼろ布と変わらぬよ」
「そ、そういう物なんですか」と、ユーナは適当に返す。
「そうだ。さらに言うなら、聖人も人と何も変わらぬ。食べるし、寝るし、恋もする。特別なものではない」
「世の中では、それは通用しないが、ね」とディトーが混ぜっかえす。
それに対して大司教は、ふっと笑みを浮かべるだけだった。
「ついてきなさい」
『袖』をつまんだまま、大司教が部屋を出る。それに合わせて、ユーナ達も出た。
午後の日差しがユーナ達を明るく包んだ。
大司教が『袖』をテーブルの空いているところに置く。
光の中で見ると、『袖』は赤紫色をしていた。赤いと言えなくもない。
「試してみると良い」と大司教。
ユーナは躊躇った。
「大丈夫だ、ほら」
ディトーに言われ、ユーナはおそるおそる『袖の』に触れる。滑らかというより、生地が古すぎてふにゃふにゃした感触がする。ただし、多少雑に扱ったからといってすぐに崩れてしまうようなものでもなさそうだ。
クリスがユーナに『番外の緋』を渡す。大司教の目の前で試すのは何となく気が引けたが、この場はやるしかなかった。
左手で『袖』に触れたまま、右手の緋に持力を込める。いつものように、闇が広かった。
「おお!」という大司教の驚きの声。
暗闇の中、「はい、もう大丈夫です」とクリスの声がしたので、ユーナは持力を止める。
「どうだった?」
「うーん」と悩んだクリスは、自信なさげに「いつもより大きい気がします」と答えた。
クリスの見立てでは、『袖』の赤色は多少の増幅作用をユーナに与えている。ただし、それほど劇的な効果ではないと言うことだろう。
『自分の赤』と呼ぶにはほど遠い。
「じゃあ、次はクリスね」
ユーナはクリスに『番外の緋』を渡す。左手で受け取ったクリスは、右手で『袖』に触れる。
「行きます」とクリスが宣言した途端、光の球が現れる。それは、いつもより数倍大きく膨らみ、クリスの上半身を包み込んだ。
「もう良いよ」
ユーナが告げると、光球が消える。球の中から現れたクリスの表情は、明らかに興奮していた。
「大きかったですよね⁈ 今の、大きかったですよね‼」
「う、うん」
「これって『自分の赤』ですよね?」
クリスはディトーに確認する。
「まあ、そう言っても良いんじゃないか?」
一度クリスの発現を見ているディトーは、そう判断した。
「嬉しい! こんなに強くなるものなんですね!」
クリスは今にも踊り出しそう。
それを見たユーナも自分のことのように嬉しくなる。
「……あー、水を差すようで悪いんだが」とディトー。
ユーナはその口振りにいやな感触を受ける。その理由は、判っていた。
ディトーが、申し訳なさそうに告げる。
「あのな、これ、一応『聖遺物』だからな。貸し出せるようなシロモノじゃないんだよ」
「え?」
途端にクリスの表情が凍りつく。
やっぱり、そうなるよなあ……、とユーナは思った。
だったら、最初から『袖』を試させるようなことをしなければ良いのに! ともユーナは思ったが、ディトーとしても、まさか『袖』の赤色がクリスにとっての『自分の赤』に相当するとは思ってもいなかったのだろう。
だが、一番ショックを受けているのはクリスだ。
持力量が少ないクリスにとって、持力増幅手段はあるに越したことはない。しかし、せっかく『自分の赤』を見つけても、それが手に入らないのでは意味がない。
しゅんとして俯くクリス。ユーナは掛ける言葉を思いつけなかった。
その時、大司教が『袖』をつかみ上げて、「どのくらい必要なのだね?」と謎なことを言った。
「あんた、まさか」
止めようとするディトーよりも速く、大司教は『袖』をびりびりと引き裂いた。
「あ」
ユーナとクリスは呆然としてそれを見ていることしかできなかった。
大司教は、裂いた『袖』の小さい方ををクリスに差し出す。
「これくらいあれば、十分かね?」
「……あんた、何やったのか、判ってんのかい?」
ディトーが咎める。
しかし、大司教は、飄々としていた。
「ああ、判っているとも。前途ある娘さんに、少しでも役に立てればと思ってね」
「それにしたって、やり方ってもんが…」
「さあ、受け取りなさい」
大司教が『袖』の切れ端をクリスに差し出す。
動揺しているクリスは受け取るべきか判断できずにユーナを見て、それからディトーを見た。
「もらっておきな」
ディトーはクリスに微笑んで見せた。
「ですけど……」
「いいから」
ディトーはクリスの肩に触れて、
「代金なんて考えなくて良いからな? これはあくまで大司教様のご厚意だ」
それから、内緒にしてくれると助かる、と付け加えた。
クリスはぶんぶんと首を縦に振る。ユーナも「判りました」と答えた。
「あの、大司教様。ありがとうございます」
『袖』の切れ端を手にしたクリスは大司教の前に跪く。
「あなたにスイルバイアスのご加護があらんことを」
大司教はにこやかに祝福を与えてくれた。
どうして大司教は、あんな暴挙に及んだのだろう? ユーナは不思議だった。大司教は『クリスの役に立つならば』と言っていたが、それが本心とは思えない。
どちらかというと、ディトーの為と解釈した方が納得が行く。若い頃のディトーと大司教の間には、小娘では判りかねる事情があるようだったし。とは言うものの、自分の立場を危うくするような大司教の行動は全く理解の外だった。
いろいろと複雑そうな事情が絡んでいるものの、ともかく、クリスの『自分の赤』が見つかったのは幸いと言って良かった。




