転載botの飼い主
三月。彼は、二度目に、自分から動いた。
三月の寮は、暖房の切り替えが十五日と決まっている。それまでは、窓を開けても閉めても同じくらい寒い。私は上着を着たまま通話をつないだ。県外に出て一年、私はこの部屋で彼の声だけを聞いている。顔を見ないでいると、この人が何を見ているのかは声の間でしかわからない。わかるようになったのは、たぶん去年の秋からである。
一度目は、三年前の十一月である。猫の転載が四百三十件に増えたときだった。今度は、四百三十一件目だった。
「一つめ、bot」
彼は言った。私は寮にいた。通話である。
「四百三十件、上げてるのはbotだ。……で、botは元をどこかから拾ってる」
「拾う?」
「自分で持ってるわけじゃない。どこかにある動画を、自動で取ってきてる」
彼は、その投稿間隔を出した。四百三十件が、きれいに等間隔だった。
「取ってきてる先を辿る」
「二つめ、参照元」
「botの投稿には、圧縮の癖が残る。……同じ元から取ってきたやつは、癖が同じだ」
彼は、四百三十件を三つの束に分けた。私には、その三つの違いがわからなかった。四百三十件とも、同じ猫の同じ十七秒である。粒の粗さが違うのだと彼は言った。言われて三つを見比べても、私には、粗い、もっと粗い、いちばん粗い、としか見えなかった。
「四百三十件、癖が三種類ある。……三か所から取ってる」
「三か所」
「そのうち二か所は、消えてた。……残り一か所が生きてる」
「三つめ、サイト」
「個人サイトだ。……消えた動画のアーカイブをやってる」
「アーカイブ」
「削除された動画を、保存して並べてる。……十一年ぶんある」
彼は、そのページ数を数えた。数えるのに、しばらくかかった。ページの作りが古い。一覧が縦に並んでいて、検索の窓が上に一つあるだけの、飾りのないサイトだった。十一年前に作られたまま、体裁を一度も変えていないのだと思う。中身だけが、毎日増えている。
「本数、二十八万本だ」
サイトの持ち主は、三十四歳の男性だった。県外に住んでいる。名前は出さない約束をした。
彼は、私たちの連絡に、翌日返事をくれた。
「botのことは知ってます。勝手に取っていくんです。……止められないんで、放置してます」
「なんでアーカイブしてるんですか」
「消えるからです」
「え?」
「動画って、消えるんですよ。アカウントごと消えると、全部消えます」
彼は、その数字を出した。年ごとの、消えた本数の表だった。
「一年で、僕が見てたものの三割が消えます。……十一年で、ほとんど残ってないです」
「一日、何時間やってるんですか」
「三時間くらいです。仕事の前と、寝る前に」
「十一年?」
「十一年です」
彼は、少し笑った。
「たまに、やめようと思います。……誰も見に来ないんで」
ドパガキが、初めて口を開いた。
「あんたさ」
「はい」
「消えた動画を保存し続けてんだよな」
「はい」
「十一年」
「十一年です」
彼は、画面の向こうで少し姿勢を直した。
「……オレと同じだ」
「え?」
「オレ、三年だ。……一本だけ探してる。三年、毎日探してる」
彼は、二つの数を並べた。二十八万と、一である。
「あんたは二十八万本だ。オレは一本だ。……やってることは同じだ」
電話の向こうが、少し静かになった。
「何を探してるんですか」
ドパガキは、動画の名前を言った。猫が寿司を握る、三年前の十七秒である。
「知ってます」
彼は即答した。即答が、速すぎた。
「本家、持ってますか」
「持ってないです。探しました。……四年前から探してます」
「四年?」
「四年です。僕、あれ、消える前に保存し忘れたんです」
彼の声が、そこで一度途切れた。
「三日、寝込みました」
私は、その言葉を聞いて、少し笑ってしまった。
笑ってから、笑うところではないと気づいた。この三年で、私が同じことをしたのは、これで何度目かわからない。保存し忘れて三日寝込むというのは、笑い話の形をしている。形が笑い話なだけで、中身はそうではない。この人は四年、そのことを引きずって、二十八万本を集める側に回った。引きずり方としては、たぶん一番まともなほうである。
「あの動画、変なんです」
彼は続けた。
「変?」
「転載が四百件以上あるのに、一世代目が一本もないんです」
彼は、他の例を三つ挙げた。三つとも、一世代目が残っていた。
「普通、こんなに転載されてたら、どこかに一本くらい残ってます」
彼は、一度言葉を切った。
「誰かが、一世代目を消して回ってる可能性があります」
「消して回る?」
「権利者が申請すると、消えます。……でも、この動画の権利者は、三年前にアカウントごと消えてます」
彼は、その申請の記録を出した。三年間で、四十件以上あった。
「消えた人が、消して回ってるんです」
ドパガキは、長く黙った。
「あと、一個いいですか」
サイトの持ち主が言った。
「はい」
「僕のところに、三年前から、月に一度、同じ問い合わせが来ます」
彼は、その受信箱を開いた音がした。ホイールを回す音が、しばらく続いた。三年ぶんを遡っているのだと思う。この人のところには、たぶん毎日いろいろな問い合わせが来る。その中から同じ一行だけを、月に一度、三年間拾い続けている。拾っている側も、数えているということである。
「同じ人からです。同じ動画を探してます。……あなたじゃないですよね」
「オレじゃない」
「じゃあ、もう一人いますね」
彼は、その件数を数えた。
「三年間、月に一度です。一度も欠かしてないです。……三十六回来てます」
「その人、誰ですか」
「名前は言えないです」
彼は、少し言い直した。
「あの、」
「はい」
「言えないんじゃなくて、知らないんです。……名乗ってないんで」
「文面は」
ドパガキが聞いた。
「毎回、同じです。一行だけです」
彼は、その一行を読み上げた。
『まだ見つかりませんか』
ドパガキは、通話を切らなかった。
だが、そのあと十秒くらい、何も言わなかった。私も、何も言えなかった。十秒というのは、通話では長い。向こうの部屋の音が、そのあいだ二度した。三年間、月に一度、同じ一行を送っている人がいる。その人は、返事が「まだです」であることを三十六回確かめている。確かめるためにやっているのだ、と彼は三日後に自分で言うことになる。この時点では、まだ誰もそう言っていない。
「あの」
サイトの持ち主が言った。
「はい」
「その人にも、同じことを言ってます」
「なんて」
「『まだです』」
彼は、そこで一度息を吸った。
「三十六回、同じ返事をしてます」
事件は、解決していない。私は、それを九十一件目としてノートに書いた。結論の欄は、空けたままである。
三件目だった。
「うわ」
その夜、彼は久しぶりにそう言った。
「今度は」
「猫が」
彼は止めた。
「……いや」
「何」
「四百三十二件目だ」
「増えたの?」
「増えた」
彼は、そこで数字を言い直した。
「今日、二件増えた」




