十四人目
二月の終わり、私は久しぶりに、あのアカウントを開いた。二月の寮の部屋は、暖房を切ると三十分で冷える。私は切ってから開いた。切る必要は無かった。電気代を気にする癖が、一人暮らしを始めて半年でついている。半年でつく癖と、三年でつかない癖がある。
三年前、佐倉ひかりが「気持ち悪いのを見つけた」と言って持ってきたものである。
毎日二十二時四十七分。窓の外。電柱が一本。遠くに屋根と、山の稜線。投稿は、まだ続いていた。
四年目に入っていた。
そして、私は気づいた。
フォロワーが、十三人になっていた。
私は、その数字を三回数え直した。三回とも十三だった。十四という数を、私は三年間、確かめずに信じていた。数えたことは一度もない。画面に十四と書いてあったから十四だと思っていて、それが一つ減っていることに一年以上気づかなかった。数えるのは彼の癖である。癖のほうを私は覚えたのに、数えることは覚えていなかった。
「減ってる」
私は電話でそう言った。
「何が」
「あのアカウント。……十四人が十三人になってる」
電話の向こうが、静かになった。静かになり方が、いつもと違った。
「いつ」
彼の声が、少し変わっていた。
「わからない。……最後に見たのは、去年の三月よ」
「調べる」
彼は、それだけ言って切った。
十二時間後に、電話が来た。深夜三時である。
「一月十四日」
「一月十四日?」
「その日に一人減ってる。……で、減ったのはアカウントが消えたからだ。外したんじゃない」
彼の息の音が、電話に入った。
「消えたアカウント、辿った」
「一つめ、残骸」
「アカウントが消えても、他人のところに痕跡が残る。引用とか、コメントの返信元とか」
彼は、その一覧を読み上げた。
「三年ぶん探した。……十一件出た」
「十一件」
「そのうち九件は、意味のない返信だ。『おはよう』とか『わかる』とか」
彼は、二件のところで止まった。
「残り二件が違う」
「二つめ、引用」
「三年前、この人、一件だけ引用投稿をしてる」
「引用元は、いま消えてる。……でも、引用の中身は残ってる」
「何を引用してたの」
彼は、少し黙った。黙っている時間が、長かった。
「動画だ」
「三つめ」
「その動画のサムネイル、残ってる。……粗い。九十六ピクセルしかない。でも、見えた」
私は、待った。待っているあいだ、自分の心臓の音が聞こえた。深夜三時の寮は、廊下の音も外の音もしない。電話の向こうでは、彼が何かを拡大しているらしい音が二回した。九十六ピクセルというのは、切手より小さい。その小ささのものを、この人はいま画面いっぱいに広げている。
「猫だ」
私の呼吸が、そこで浅くなった。
「猫が」
「猫が、寿司を握ってる」
「四つめ、世代」
「そのサムネの画質を測った。……圧縮が一世代しかかかってない」
「意味があるの」
「ある」
彼は、少し声を落とした。
「オレが持ってる四百三十件は、全部六世代目から八世代目だ」
彼は、その差を一つずつ数えた。
「一世代目ってことは」
彼は、数えるのをやめた。
「本家に近い」
「決定打」
「三年前の一月十七日。……この人が引用した日だ」
「で、オレが本家を最後に見たのが」
彼は少し止まった。
「三年前の一月十九日だ」
彼は、二つの日付を読み上げ直した。
「二日違いだ」
私は、初めてそれを聞いた。
「あなた、本家を見てたの?」
「見てた。……毎日見てた」
「いつまで」
「三年前の一月十九日まで」
彼は、一度も言い直さなかった。
「その日に、消えた」
長い沈黙があった。深夜三時の沈黙は、昼間のものより厚い。
私は、十三という数字をもう一度見た。三年前、この十四人のことを最初に聞いたとき、私は毎日窓の外を撮る人がどこかにいて、それを十四人が見ているのだと思っていた。いま、一人が消えている。消えた一人が、この人とまったく別のところで同じ十七秒を探していた。偶然だと彼は言った。偶然だと思わないでいるのは、たぶん私のほうだった。
「じゃあ、その人は。……十四人目、じゃないわね」
「違う」
彼は、言い切った。
「あのアカウントの十四人とは、関係ない。……偶然だ」
彼は、少し間を置いた。
「でも」
「うん」
「この人、オレと同じもんを見てた」
私は、一つ思い出した。
三年前の十一月、彼は四百三十件の転載を調べた。三日かけて、全部見た。そして、本家は見つからなかった。
私はそのとき、こう書いている。
「ただ、四百三十件のリストだけは、消していなかった」
「私はそれを、半年後に知ることになる」
「あのリスト、まだ持ってる?」
「持ってる」
彼は、初めて少しだけ声を上げた。
「今日、四百三十一件目を足した」
彼は、その番号を読み上げた。
「三年で、初めて増えた」
「その人、誰なの」
彼は、答えなかった。
「わからないの?」
「わかる」
彼は、初めて言葉を選んだ。
「わかるけど、まだ言わない」
「なんで」
彼は、しばらく黙った。
「確かめてない」
彼は、間を置いた。
「オレ、いま、絵を組んでる。……蜂谷と同じことをやってる」
彼は、電話の向こうで何かを閉じた。
「だから、確かめてから言う」
電話は、そこで切れた。私は、深夜三時の寮の部屋で、しばらく座っていた。そして、あのアカウントを開いた。
その日の投稿は、まだ上がっていた。二十二時四十七分。窓の外。電柱が一本。フォロワーは、十三人だった。
私は、押さなかった。三年前に言われたことを、まだ守っている。
「押すなら毎日押せ」
「一回だけ押すのが、一番きついんだよ」
この日、事件は解決していない。一撃も、落ちも、猫の話もなかった。私は、それを九十件目としてノートに書いた。
結論の欄は、空けたままである。
二件目だった。空欄が二つになると、ノートの見え方が変わる。一つのときは書き忘れに見えた。二つあると、そういう欄なのだと思えてくる。三冊目を買うとき、私は結論の欄を作らないという選択もできたはずだった。作った以上、空けたまま残す。




