バッテリー四パーセント
十月の下旬。伊丹まゆが、初めて自分から私のところに来た。
彼女は一年前に十五秒で十二万回再生された女子で、けろりと復帰して、いまも変わらず牛乳を飲んでいる。
「野々村さん、助けてほしいんだけど」
「野々村さん?」
「同じクラスの。いま、ちょっと死にかけてる」
伊丹さんは言葉を選ばない人だった。
事の起こりは、一枚のスクリーンショットだった。
六人のグループのやりとりが、外に流出した。その中で野々村さんが、同じグループの一人を、はっきりと悪く言っていた。
スクショは校内に広がり、野々村さんは三日で孤立した。
「本人は?」
「言ってないって言ってる。でも、あのスクショ、加工じゃないと思う」
「……なんでわかるの」
「私もあのグループにいるから」
伊丹さんはあっさり言った。
「私も、あそこにいた」
「スクショ寄こせ」
ドパガキは今日も机に突っ伏していた。
「加工かどうか調べるの?」
「いや。加工じゃねえよ、たぶん」
彼はスマホを受け取った。
「じゃあ何を」
「誰が撮ったかだよ。中身じゃない。撮った奴の一日を出す」
彼は画面の一番上を拡大した。
やりとりの文面ではなかった。ステータスバーだった。画面の一番上の、細い帯である。時刻と、電波と、バッテリーが並んでいる。私は毎日その帯を見ているはずだった。見ているのに、そこに何が書いてあるかを、私は一度も読んだことがない。読むものではないと思っていた。
「一つめ、時刻」
細い数字が並んでいた。三時十四分。
「深夜三時十四分。学校の話をしてるグループを、深夜三時に開いてスクショ撮ってる」
「起きてただけじゃ」
「そうかもな。次」
彼は隣を指した。
「二つめ、バッテリー」
4%。
「四%だ。で、充電マークが出てない」
「充電してないってこと」
「そう。深夜三時に、四%で、充電してない。家にいる人間はこうならねえよ。寝る前に挿すだろ」
私は黙った。
「三つめ、電波」
彼は左端を指した。
「一本しか立ってない。うちの市で電波が一本になる場所、そんなにない。……国道沿いか、駅の地下通路か、川沿いだ」
「四つめ、画面の明るさ」
「明るさ?」
「スクショの色を見りゃわかる。これ、明るさ最低だ。黒が潰れてる。……四%で、明るさ落として、それでも切ってない」
彼はスマホを置いた。
「この人間、その夜、家にいない。帰れてない」
「で、決定打」
彼は右上を指した。私には、ただの数字にしか見えなかった。
47。
「通知バッジ。四十七件」
「多いわね」
「多くねえよ。……開いてないってことだ」
彼は初めてこちらを見た。
「四十七件も通知が来てんのに、一件も開いてない。深夜三時に、四%で、電波一本の場所で、四十七件の通知を放置してる」
「……なんで」
「待ってる通知が、その中に無いからだよ」
堂本さんは、二年A組の教室の隅にいた。
小柄で、髪が長くて、私はそれまで一度も話したことがなかった。同じ学年で、隣のクラスである。名前は名簿で知っていた。四百八十人の学校で、名前を知っていて話したことのない人が、私には何十人もいる。この人は、その何十人のうちの一人だった。
彼女は三秒で認めた。
「……私が流しました」
「なんで」
言ってから、私は自分の声が硬いのに気づいた。
「わかんないです」
彼女は本当にわからない顔をしていた。
「その日、家に帰れなくて」
膝の上で、袖口を握っていた。
「母の再婚相手と揉めて、出てきて。行くとこなくて、駅の高架下にいました。寒くて。……で、みんなに送ったんです。泊めてって」
「返事は」
「来なかったです」
彼女は、そこで初めて笑った。うまく笑えていなかった。
「十七件送りました。誰も、既読つかなくて。……四%になったとき、なんか、どうでもよくなって」
「それで、あのスクショを」
「はい」
ドパガキは、窓枠に腰かけていた。
「わかるよ」
彼は、窓の外のほうを向いたまま続けた。
「深夜三時に一人でいて、返事が来ないのは、しんどい。オレも夜中に無限に動画見てんのは、たぶんそれと同じだ。……何かが返ってくるのを待ってんだよ、ずっと」
彼は堂本さんのほうを見た。
「でもさ。あんた、十七件送ったんだよな」
「……はい」
「全部、既読ついてなかっただろ」
堂本さんが、顔を上げた。
「読まれて無視されたなら、既読がつく。……ついてないんだよ。一件も」
彼はスマホを持ち上げた。
「深夜三時だ。全員寝てる」
「……」
「誰もあんたを無視してない。全員、寝てただけだ」
堂本さんは、そこで泣いた。
私はやっぱり何も言えなかった。伊丹まゆだけが、ずかずかと近寄っていって、彼女の肩を叩いた。
「言えばよかったのに」
「……言えないよ」
「言えばよかったのに」
伊丹さんはもう一度言った。それだけだった。
野々村さんへの誤解は、二日で解けた。堂本さんが自分で説明した。
グループは、そのあと解散した。誰も悪くない、という結論には、たぶんならなかった。
堂本さんは学校を辞めなかった。それだけが、私にとっての結果だった。
「四%まで粘ったんだな、あの子」
帰り道、ドパガキが言った。
「え?」
「バッテリー。切りたくなかったんだよ。切ったら、返事が来ても気づけねえから」
彼はスマホを取り出した。
「オレのいま、九十二%」
「……そう」
「あんたは」
私は確認した。三十四%だった。
「三十四」
「充電しとけよ。四%はきついぞ」
そして彼は、廊下の真ん中で立ち止まった。
「うわ、猫が」
「何」
「猫がバッテリー充電してる」
「それはもう猫じゃなくていいでしょう」
彼は十一分動かなかった。
なお彼は、翌週にはこの事件のことを、きれいさっぱり忘れていた。
ただ、その日から、彼のスマホの残量は一度も四十%を切っていない。私はそれに気づいているが、指摘していない。




