いいねを取り消した人
「毎晩なんです」
一年C組の根岸さんは、そう言った。
「投稿すると、いいねが一つつくんです。それで、しばらくすると、消えるんです」
「消える?」
「取り消されるんです。毎晩。……三か月、ずっと」
彼女はうつむいた。
「見張られてるみたいで、気持ち悪くて」
「三か月」
ドパガキは机に頬をつけたまま言った。
「はい」
「一日も欠かさず?」
「……たぶん」
「たぶんじゃなくて」
彼は初めて顔を上げた。
「三か月分の通知、残ってるか」
根岸さんは慌てて操作した。通知欄には、意味不明な履歴の羅列が並んでいた。
「これ、消えたやつは残らないんじゃ」
「残るんだよ。穴が」
「一つめ、秒数」
彼は履歴を並べた。私にはただの時刻の列にしか見えなかった。二十二時四分十二秒。二十二時四分五十二秒。九十行くらいある。私は上から十行読んで、そこで読むのをやめた。読んでも何も出ないとわかっている列を、九十行読める人間と、十行でやめる人間がいる。私は、後者だった。
「押してから取り消すまでの時間。……四十秒前後だ。毎回」
「毎回?」
「三十八秒、四十一秒、四十秒、三十九秒。……ぶれてない」
彼はスマホを置いた。
「迷ってる人間はこうならねえよ。迷ってたら十秒のときも三分のときもある。これ、癖だ」
「癖……」
「押す。四十秒くらい何かする。で、思い出して取り消す。……毎晩、同じ流れをやってんだよ」
「二つめ、投稿からの時間」
彼は別の列を出した。
「あんたが上げてから、いいねがつくまで、平均二分。長くて四分」
「早いですか?」
「早い。通知オンにしてるってことだ」
根岸さんが、少し身を引いた。
「三つめ、押されない日」
彼はカレンダーを出した。三か月分に、いくつか穴があった。
「押されてない日が十二日ある。……全部、火曜だ」
「火曜」
「火曜だけ押されない。その時間に何かある人間だ。塾か、部活の遠征か、バイトか」
「で、決定打」
彼は最初の履歴に戻った。
「取り消しても、通知ログの並び順には穴が残る。……前後のアカウントから、抜けた場所が絞れる」
彼は三十秒ほど手を動かした。
「あんたと相互フォローの中に、火曜だけ夜が塞がってて、あんたの通知オンにしてる奴が一人だけいる」
彼は画面を根岸さんに向けた。根岸さんは、しばらく黙っていた。
「……あー」
小さく言った。
「あー、そっか」
一年A組の宇野さんは、否定しなかった。
「押してます」
彼女は、机の上で指を組んでいた。
「毎晩」
「なんで取り消すの」
私が聞くと、彼女は少し笑った。
「見てるってバレたくなくて」
「……なんで」
「中学のとき、めっちゃ仲良かったんです、根岸と。毎日一緒にいて。高校でクラス分かれて、そしたら、なんか、話しかけるタイミングがなくなって」
彼女は袖を引っ張った。
「三か月経つと、もう無理じゃないですか。急に『久しぶり』とか」
三か月、と私は頭の中で繰り返した。私にも、話しかけるタイミングを逃したまま三年経った人が、この学校に何人かいる。私は、その何人かの名前を数えなかった。
「無理?」
「無理です」
彼女は断言した。
「でも、投稿は毎日見てて。……押しちゃうんですよ。指が」
ドパガキは窓枠に腰かけていた。
「わかるよ」
彼は、窓枠に体重を預けたまま続けた。
「オレも押さねえもん。三年見てるアカウントでも押さねえ。……見てるだけのほうが楽なんだよ」
彼は足をぶらぶらさせた。
「でもさ。あんた、押してから取り消すまで四十秒かかってんだよな」
「……そうなんですか」
「四十秒だ。毎晩」
彼は指を折った。
「三か月で九十日。四十秒×九十日は、三千六百秒」
彼は顔を上げた。
「一時間だぞ」
宇野さんが、まばたきをした。私も、その計算をもう一度自分でやり直した。四十掛ける九十。答えは同じだった。同じなのに、聞かされるまで私はそれを一度も計算していなかった。
「あんた、三か月かけて、一時間ぶんちゃんと伝えてるんだよ。『見てる』って。……取り消したつもりでいるだけで、一時間出てる」
宇野さんは、そこでうつむいた。
根岸さんが、廊下の入口に立っていた。いつからそこにいたのかは、私にはわからない。私が呼んだのではない。伊丹まゆが連れてきた。あの人は、こういうことを勝手にやる。
「三か月も見てたの」
根岸さんが言った。
「……うん」
「気持ち悪いんだけど」
「ごめん」
「気持ち悪いって言った」
根岸さんは、そこでようやく息を吐いた。
「けど、うれしい」
その日から、根岸さんの投稿には、いいねが一つ、消えずに残るようになった。一つだけである。
ドパガキは、それを見て「一個かよ」と言った。
「一個で十分でしょう」
「一個で十分なわけねえだろ」
「そうかしら」
「一個で足りるんなら、誰も三か月も悩まねえよ」
彼は自販機の前でスマホを取り出した。
「うわ、猫が」
「今度は」
「猫が猫にいいね押してる」
「それはもう情報がないでしょう」
彼は十四分動かなかった。
なお彼は、翌週にはこの事件のことを、きれいさっぱり忘れていた。
だが私は、あれから彼のいいねの履歴を、一度だけ見たことがある。三年分あって、一件もなかった。




