合宿の生配信
十二月。私の大学の話である。
私が入っているサークルは、法学部の勉強会で、部員は十四人しかいない。
冬の合宿があった。私は行かなかった。行かなかったのに、事件だけが来た。行かない人間のところに事件だけが来るというのは、この二年で何度もあった。
「財布が無くなったって」
同級生の羽鳥さんが、寮に戻ってきて言った。荷物も下ろさずに、ドアのところで喋りはじめた。合宿から直帰したらしく、上着に外の匂いがついていた。この人が私に相談してくるのは初めてである。大学で私は風紀委員でもなければ、そういう役をやっている人間でもない。それでも話す相手として選ばれた理由が、そのときはわからなかった。
「盗まれたの?」
「わかんない。……でも、あの部屋、六人しかいなかったの。三時間、誰も出てないの」
「配信してたのよ。三時間、生配信。……アーカイブある」
「じゃあ、映ってるでしょう」
「映ってない」
彼女は、その画面を出した。机の上の資料と、手だけが映っていた。
「カメラ、机のほうしか向いてないの」
「一つめ、部屋」
ドパガキは、通話でそれを聞いた。私は寮の自分の部屋にいて、彼は瀬々良木にいた。
「アーカイブ寄こせ。三時間ぶん」
「三時間、見るの?」
「見ない。聞く」
彼は、四十分で終わった。四十分で三時間を聞いたということである。私は、その計算をあとでやった。四.五倍速である。四.五倍の音声は、人の声としては聞き取れない。彼が聞いているのは声ではなく、音の粒のほうだった。粒の間隔と硬さだけを拾うなら、速いほうがかえって揃って聞こえるのだと思う。思うだけで、私にはできない。
「この部屋、六畳より広い。八畳か十畳だ」
「わかるの?」
「わかる。……で、畳じゃない。フローリングだ」
彼は、その音を三秒だけ流した。私には、ただの物音だった。
「反響が硬い」
「二つめ、足音」
「三時間で、足音が六十一回入ってる」
「多いわね」
「多くねえよ。六人で三時間だ」
彼は、その六十一回を六つに分けた。
「足音の重さで、人を分けられる。……六人ぶんある。で、そのうち一人だけ、床が軋む」
「軋む?」
「同じ場所を通るときだけ、軋む。……その人が座ってた場所が決まる」
「三つめ、呼吸」
「配信中、喋ってない時間が四十分ある。……そこで呼吸が拾える」
「六人分?」
「四人分だ。……マイクから遠い二人は、拾えてない」
彼は、四人の位置を紙に描いた。机を中心に、四つの点が置かれた。
「で、その四人の位置がわかる」
「決定打」
「財布が無くなったのは、二時間十分ごろだ。……その直前に、音がある」
彼は再生した。かすかに、何かが落ちる音がした。
そして、その〇.八秒後に、布がこすれる音がした。
私は三回聞き直した。三回目で、二つ目の音がやっと聞こえた。一つ目の、何かが落ちる音はすぐわかる。二つ目は、音というより音の下にある擦れである。誰かが上着の袖を動かしただけの音が、〇.八秒後に鳴っている。三十人が三時間これを聞いていて、誰も気づかなかった。私も、位置を教えられてから三回目でようやく聞こえた。
「拾ってる」
「誰が」
「床が軋む人だ」
彼は、さっきの紙の一点を指した。
「その位置から、その音までの距離が合う」
床が軋む場所に座っていたのは、二年生の熊沢さんだった。私は面識がなかった。羽鳥さんが連絡を取ってくれた。
彼女は、あっさり認めた。
「拾いました」
「なんで言わなかったの」
「言うタイミングを逃したんです」
「落ちてきて、自分の鞄の横にあったんです。拾って、上に置こうと思って。……で、そのとき配信中で、誰かが喋ってて」
彼女は、手を膝の上で組んだ。
「入るのが悪いなと思って、いったん自分の鞄に入れました。……そのあと、言えなくなりました」
「三時間?」
「三時間です。途中から、もう言えないなって思って」
彼女は、組んだ手を見た。
「配信終わったら言おうと思ってて。……そしたら、終わった瞬間に『無い』って騒ぎになって」
彼女は、コップを両手で包んだ。
「言ったら、盗んだことになるなって」
ドパガキは、通話の向こうで、しばらく黙っていた。
「わかるよ。オレも、言うタイミング逃したら、そのまま黙る。……十秒逃すと、一生言えない」
彼は、少し声を落とした。
「でもさ、あんた」
「はい」
「三時間、鞄に入れてただけだろ」
彼女は答えなかった。
「盗んでねえよ。持ってただけだ」
彼は、その三時間を数字で言い直した。
「持ってる時間が三時間になっただけで、やったことは、拾っただけだ」
財布は、返された。
サークルの中で、話は済んだ。誰も熊沢さんを責めなかった。ただ、彼女は「一週間、行きたくない」と言った。
一週間後に、行った。
「配信してなかったら、わからなかったのね」
「わからなかった」
「配信は、三十人しか見てなかったのよ」
「三十人か」
彼は、少し間を置いた。
「で、三時間ぶんの音が残ってる」
彼は、その音をもう一度流した。
「三十人が見て、誰も気づかなかった。……でも、音は残ってた」
「あなた、その場にいなかったのに解いたわね」
「音だけだからな」
彼は、一度だけ笑いかけて、やめた。
「オレ、現場に行くのが一番苦手なんだよ。……三分で切れるからな」
「うわ」
「今度は」
「猫が配信してる」
「三時間?」
「三時間だ。……猫、五分で寝てる」
「残り二時間五十五分は」
「寝てる猫を映してる」
「見る人いるの?」
「いる」
彼は、その数字を読み上げた。
「四千人いる」
彼は十七分動かなかった。私は、四十分で三時間を聞いた人のことを、そのあいだ考えていた。この人は、その四十分のあいだ一度も画面を見ていない。目を使わずに四十分続けられるのは、たぶん、そこが一番楽だからである。三分で切れると本人が言う集中が、音のときだけ四十分続く。何が続いて何が続かないのかを、この人自身が説明できたことは一度もない。




