コメントを書く仕事
十一月の終わり、灰谷透から連絡が来た。
高校三年生である。日下部陸と二人でダンスアカウントをやっている。三万から五万で安定している。
「コメント欄が、怖いんです」
「荒れてるの?」
「逆です」
彼は、そこで一度言い直した。
「優しすぎるんです」
私は、そのコメント欄を見た。
たしかに、温かかった。読んでいて、こちらが少し嬉しくなった。嬉しくなってから、彼の言葉を思い出した。私は他人のコメント欄を読んで嬉しくなるような人間ではない。二年半、荒れたコメント欄ばかり見てきた。それでも、三十件も読むと、こちらの肩が下がってくる。下げにきているのだと知ったのは、そのあとである。
『二人の関係性がいい』
『毎回楽しみにしてます』
『前より上手くなってる』
「いいことでしょう」
「先月からなんです。……先月、急に、こうなったんです」
「一つめ、語彙の分散」
ドパガキは、コメント欄の言葉を数えた。
「先月までのコメント、語彙の種類が四百八十」
「はい」
「先月からのコメント、千二百だ」
「増えてる?」
「増えてる。……で、これがおかしい」
彼は、二つの分布を並べた。片方は山になっていて、片方は平らだった。並べられるまで、私にはどちらも同じ線に見えていた。
「人間のコメント欄は、語彙が偏る。同じ言葉が繰り返される。『かわいい』『すごい』『好き』」
彼は、平らなほうを指した。
「綺麗に散らばってるのは、人工的だ」
「二つめ、誤字率」
「先月までの誤字率、二.一%」
「はい」
「先月から、〇.一%」
彼はスマホを置いた。私は、自分が今日送ったメッセージを開いた。三件のうち一件に、誤字があった。「よろしくお願いします」の「ろ」が抜けていた。送る前に一度読み返しているはずである。読み返して、それでも抜けたまま送っている。二.一%というのは、そういう率だった。誤字が無いというのは、送る前に二度読む人だけの数字である。
「人間は、スマホで打つと二%くらい間違える。……〇.一%は、確認してから送ってる」
「三つめ、時刻」
彼はコメントの投稿時刻を並べた。
「先月までは、二十四時間ばらけてた。……先月からは、九時から十八時に集中してる」
「平日の昼間ね」
「平日の昼間だ」
彼は、その山を指した。
「あんたらのファン、高校生だぞ」
彼は、その指を離した。
「授業中に書いてねえだろ」
「で、決定打」
「三百件のコメントを、文体で分類した」
彼は、その三つの束を机に並べた。
「……三つの塊になった」
「三人?」
「三人だ」
彼はスマホを置いた。
「あんたのコメント欄、三人で書いてる」
「なんでですか」
「これは、あんたを応援してんじゃない」
「え?」
「コメント欄が温かいアカウントは、伸びやすい」
彼は、そのコメント欄を上から下まで送った。
「新しく来た人が、コメント欄を見る。荒れてたら逃げる。温かかったら残る」
彼は、画面を伏せた。
「環境を整えてんだよ」
「誰が」
「あんたら、先月、何かあっただろ」
灰谷くんは、少し黙った。
「……事務所から、話が来ました。契約はしてないです。まだ相談だけです」
「その事務所の名前」
灰谷くんが答えた。私は、その名前を知っていた。蜂谷灯の取引先の一つである。十二月の店内は、入口が開くたびに足元が冷えた。私は、鞄を足に寄せた。
「相談だけで、これですか」
「テストしてんだよ」
「テスト?」
「契約前に、コメント欄を整えて、数字が伸びるかどうか見てる」
彼は、二つの月の再生数を並べた。私は、その二つを見比べた。先月のほうが、たしかに少し高かった。
「伸びたら契約する。伸びなかったら、やめる」
彼は、その紙を灰谷くんのほうへ回した。
「あんたら、試されてる」
灰谷くんは、日下部くんに話した。二人は、その事務所に断りを入れた。コメント欄は、その週から元に戻った。
語彙の種類は四百八十に戻り、誤字率は二.一%に戻り、時刻は二十四時間にばらけた。
「戻ったのね」
「戻った」
彼は、そこで少し口の端を上げた。
「で、あいつ、なんて言ってたと思う」
「なんて?」
「『前のほうが好きです』」
「あと、これだ」
彼は続けた。
「先月の三百件のコメント、日下部が全部返してた」
「え」
「一件残らずだ」
彼は、その三百件を送った。返信は、三百回とも付いていた。一つずつ違うことが書いてある。ありがとうございます、が三百回ではない。相手のコメントの中身に触れてから、それに返している。三人が交代で三百件書いて、一人がそれに三百回返した。書くほうは仕事で、返すほうは仕事ではなかった。
「三百件だぞ。……で、書いてたのは三人だ」
彼は、指を三本立てた。
「あいつ、三人に三百回返してた」
「言ったの?」
「言った」
「なんて言ってた?」
彼は少し黙った。
「『どうりで返しやすいと思った』って」
「二百四十万のときと、同じね」
「同じだ」
彼は、歩幅を変えずに続けた。
「二年前、あいつは二百四十万人に見られて、三千回のコメント欄に返してた」
彼は、二つの数を並べた。
「今回は、三万人に見られて、三人に返してた」
彼は少し黙った。
「進歩してねえよ」
「そうかしら」
「してねえ」
彼は、そこで一度だけこちらを見た。
「……でも、今回は、こいつが気づいた」
彼は灰谷くんのほうを指した。
「二年前は、気づくのに二か月かかってる」
彼は、指を一本折った。
「今回は、一か月だ」
「うわ」
「今度は」
「猫のコメント欄が優しい」
「猫だからでしょう」
「猫だからだ。……でも、三人が書いてる」
「わかるの?」
「わかる。誤字がねえ」
彼は十二分動かなかった。十二分を、私は数えていた。そのあいだに、自分の誤字を直さないままメッセージを送った。直そうと思えば直せた。直さなかったのは、二.一%の側に残っておきたかったからだと思う。理屈としては馬鹿げている。誤字のある文章が人間の証拠になる世の中のほうが、たぶんおかしい。おかしいと思いながら、私はその「ろ」を抜いたまま送信した。




