千人のうち三人
十一月。依頼人は、二十歳だった。
宮野さんという。市内の専門学校生である。
夜、配信をしている。歌ったり、喋ったりするだけの配信で、視聴者は多いときで千人いる。私は一度だけ、その配信を見た。二時間のうち、名前を呼ばれた人が何人いたのかは、数えきれなかった。二時間のうち歌っていたのは二十分くらいで、あとはただ喋っていた。今日食べたものと、寒くなったことと、学校の課題の話である。中身は無い。無いのに、私は最後まで見た。この人の声は、切らずに置いておける種類の声だった。
投げ銭が、月に十五万円ある。
「相談っていうか」
彼女は、一度言葉を切った。
「怖いんです」
「何が怖いの」
「わからないです。……毎月十五万入るんです。それが、どこから来てるのか、わからないんです」
「一つめ、課金時刻」
ドパガキは、三か月分の投げ銭記録を見た。
「四千百件ある」
「多いわね」
「多い。……で、時刻の分布が変だ」
彼はグラフを出した。
「二十一時から二十三時に集中してる。……そこはいい。配信の時間だからな」
彼は、その山の中の一点を指した。
「で、その中で、二十二時十四分に、必ず一件ある」
「毎日?」
「九十日、全部だ」
「二つめ、金額」
彼は金額の分布を見た。
「四千百件のうち、三千二百件が百円以下だ」
「小さいのね」
「小さい。……で、金額の合計の八割が、残り九百件から出てる」
彼は、その九百件を抜き出した。
「その九百件を見る」
彼はスマホを置いた。
「金額が、全部『中途半端』だ」
「中途半端?」
「四百八十円、九百六十円、二千四百円。……四百八十の倍数だ」
「三つめ、決済」
「投げ銭は、アプリ内の通貨で買う。……で、通貨のパックに、四百八十円のがある」
彼は、その販売画面を出した。
「四百八十の倍数ってのは、パックを買った回数だ」
彼は、九百件をアカウントごとに束ねた。
「で、その九百件。……アカウントは何個ある」
彼は数えた。数え終わるのに、十秒もかからなかった。
「三個だ」
宮野さんは、その数字を、しばらく見ていた。
「三人?」
「三人だ」
彼は、その三つを並べた。
「三か月で、九百件。……一人あたり三百件だ」
彼は、九十で割った。
「毎日三回か四回、三か月」
「で、決定打」
「あんたの収入、月十五万だよな」
「はい」
「そのうち十二万が、この三人だ」
宮野さんは、動かなかった。
「残りの三万が、あとの三千二百件だ」
彼は、二つの数を並べて書いた。千と、三である。
「千人見てる。……で、十二万を出してるのは三人だ」
「あの」
「はい」
「その三人、誰かわかりますか」
「わかる。……アカウント名で言えば、たぶんあんたも知ってる」
彼は三つの名前を言った。
宮野さんは、一つ目で息を吸った。二つ目と三つ目のときは、何も言わなかった。知っていた、という反応ではなく、名前が音になった瞬間に何かが確定した、という反応に見えた。画面の中の文字列と、口に出された名前は、たぶん重さが違う。三か月見ていた文字列が三人の人間になるのに、二秒しかかからなかった。
「……知ってます。毎日います。三人とも」
「一人、中学の同級生です」
彼女は、その画面を見たまま言った。
「本人は名乗ってないですけど。……たぶん、あの人です」
「なんでわかるの」
「言い回しが同じなんで。……三年間、毎日います」
ドパガキは、しばらく黙っていた。
「あのさ」
「はい」
「千人に見られてると思ってた金、三人が出してるんだよ」
彼女は答えなかった。
「一人あたり、月に四万だ」
彼は、その四万を書いた。書いてから、丸で囲わなかった。
「二十歳の人間が、四万出してる。……三人とも、たぶん、そんなに余裕ねえよ」
彼は、ペンを置いた。
「重いだろ、それ」
宮野さんは、そこで泣いた。声を出さなかった。息を吸う音だけが、二回聞こえた。この人は配信で二時間喋る人である。喋ることに慣れている人が何も言わずに泣くのを、私は正面から見ていた。見ていることしかできなかった。ドパガキは画面を見ていた。彼が画面を見ているのは、この場合、たぶん親切だった。
「知りたくなかったです」
「知りたくないなら、聞かなきゃよかっただろ」
「……はい」
「でも、聞いたよな」
彼は、初めて彼女を見た。
「あんた、三か月前から気づいてただろ」
彼女は、うなずいた。
「二十二時十四分」
彼女は、その時刻を口に出した。
「毎日、その時間に来るんです。……私が喉が痛いって言った日も、来ました」
彼女は、袖で目を押さえた。
「配信、休んだ日も、来ました」
「休んだ日も?」
「はい」
彼女の声が、そこで崩れた。
「配信してないのに、投げてくるんです」
宮野さんは、投げ銭の上限を設定した。一人あたり、月に三千円までである。収入は、十五万から四万になった。
千人のうち、九百九十七人が変わらず見ている。三人は、いまも毎日来ている。金額は、三千円になった。
「二十二時十四分は」
「まだ来る」
「毎日?」
「毎日だ」
彼は、その記録をこちらに向けた。
「金額が、十円になってる」
「十円」
「十円だ。……上限まで使い切ったあとも、十円だけ投げてる」
彼は、歩幅を変えずに続けた。
「あれ、金じゃねえんだよ」
「じゃあ、何なの」
彼は少し考えた。三歩ぶんくらいである。
「出席だ」
「うわ」
「今度は」
「猫の配信がある」
「猫が配信?」
「飼い主が寝てる横で、猫が映ってる。……投げ銭が入ってる」
「猫に?」
「猫に」
彼は、その一覧を出した。
「三人だ」
彼は十四分動かなかった。私は、二十二時十四分という時刻を、そのあいだ何度か見返した。私の時計では、ただの半端な時刻だった。誰かにとっては、九十日連続で同じことをする時刻である。あの時刻に何があるのかは、たぶん本人にしかわからない。バイトが終わる時刻かもしれないし、家族が寝る時刻かもしれない。十円は、その時刻にしか投げられていなかった。




