中身のない一分
十月の終わり。依頼人は、自分から連絡してきた。
『やめ方を教えてください』
一行だけだった。深夜三時十二分に届いていた。
沖田という、市内の高校の三年生だった。
彼のアカウントは、フォロワーが十一万人いる。うちの市で、たぶん一番多い。
「毎日三本上げてます。一年半、休んでないです」
「内容は」
彼は少し黙った。黙ったあと、答えを探すのではなく、言い切ることにした顔をした。
「……無いです」
私は、その動画を三十本くらい見た。たしかに、内容が無かった。彼が歩いている。座る。何か食べる。振り向く。終わる。
一本一分である。台詞もない。テロップもない。オチもない。そして、平均で四十万回再生されていた。
私は三十本を見終わって、一本も思い出せなかった。三十分見ている。三十分見て一つも残らないというのは、私にとって初めての経験だった。テレビを三十分見れば、何かは残る。教科書を三十分読めば、一行は残る。この三十分は、見ているあいだは飽きずに見ていたのに、終わった瞬間に消えた。残らないように作ってあるのだと、あとで知った。
「一つめ、冒頭」
ドパガキは、三十本の最初の一秒を並べた。
「全部、〇.四秒で画面が動く」
「動く?」
「ズームか、パンか、切り替えだ。……三十本とも〇.四秒だ」
彼は、三十本の一秒目を続けて流した。三十回、同じ位置で画面が動いた。
「人間が離脱を判断するのが、〇.八秒だ。……その手前で動かしてる」
「二つめ、カット」
彼は一本の全体を分析した。
「一分で、カットが十四個ある。……で、間隔が均等じゃない」
彼はグラフを出した。
「最初が短くて、真ん中がちょっと長くて、後半でまた短くなる」
彼は、その上に別のグラフを重ねた。二本は、鏡のように向かい合った。
「これ、視聴維持率のグラフの逆だ」
「逆?」
「離脱しそうなところで、カットを増やしてる」
彼はスマホを置いた。
「数字を見ながら作ってる」
「三つめ、中身」
「で、中身は本当に無い」
彼はもう一度確認した。三十本を、今度は音だけで流した。
「三十本見た。……情報がゼロだ」
彼は、その音を切った。
「何かを教えてもない。笑わせてもない。感動させてもない。……構造だけがある」
「で、決定打」
「沖田。あんた、この一分、何分で作ってる?」
沖田くんは、少し考えた。
「……四十分くらいです」
「一日三本だと」
「二時間です」
「一年半だと」
彼は計算した。指を折らずに、二秒で出した。
「……千百時間くらいですね」
彼はスマホを置いた。
「千百時間かけて、情報ゼロのものを作ってる」
沖田くんは、そこで初めて下を向いた。それまで、この人はずっとこちらを見て話していた。目を逸らさないというのは、たいてい慣れている人の癖である。カメラの前に一年半立ち続けた人は、人の顔を見て喋るのが上手くなる。上手くなったところで、下を向くときは向く。向いたときに、初めて十八歳の顔になった。
「わかってます」
「じゃあ、なんでやめないの」
私が聞くと、彼は答えられなかった。答えられないまま、別のことを言った。答えないのか答えが無いのかは、私にはわからなかった。
「一日休むと、次の日の数字が落ちるんです。三日休むと、半分になります。……一週間休んだら、戻らないです」
「試したの?」
「一回だけ。去年の夏に。……四日休んで、四十万が九万になりました」
「で、戻したのか」
「三か月かかりました。三か月、一日も休まないで」
ドパガキは、しばらく黙っていた。
「わかるよ。オレも、一日見ないと落ち着かない。……四か月、一日も休んでない」
彼は、自分のスマホを机に伏せた。伏せてから、二回めくって確かめた。伏せたことを確かめたのではなく、通知が来ていないかを確かめている。伏せる、めくる、また伏せる。二回のあいだが、たぶん八秒くらいだった。この人が自分から画面を伏せる場面を、私は二年半で四度しか見ていない。四度とも、伏せたあとに同じことをしていた。
「あんたは上げる側だ。オレは見る側だ。……同じもんに捕まってる」
彼は、その手を離した。
「でもさ、あんた」
「はい」
「やめ方を聞きに来たんだよな」
「はい」
「やめ方は簡単だ。やめればいい」
「それは知ってます」
「知ってるよな」
彼は、そこで一度言い直した。
「じゃあ、あんたが聞きたいのは、やめ方じゃない」
沖田くんは、顔を上げた。
「え」
「やめていい理由が欲しいんだろ」
彼は、十一万という数字を紙に書いた。
「十一万人いる。四十万回いく。……やめたら、全部無くなる」
彼は、その数字を丸で囲った。
「で、やめる理由が見つからない」
沖田くんは、答えなかった。
「一個だけ言う」
「はい」
「あんた、やめ方がわかんなくなってるだけだろ」
彼は、その丸を消した。
「嫌いでもない。好きでもない。……ただ、止まり方を忘れてるだけだ」
彼は、ペンを置いた。
「それ、一年半やってると、そうなる」
「じゃあ、どうすれば」
「三本を二本にしろ」
「え」
「やめるのは無理だ。ゼロにはできない。……三本を二本にしろ」
彼は、指を三本立てて、一本折った。
「数字は落ちる。二割くらい落ちる。……でも、戻る」
「戻りますか」
「戻る」
彼は、その二本を彼のほうに向けた。
「一年半やってんだから、二割落ちて戻せない奴じゃねえよ」
沖田くんは、三本を二本にした。数字は、二割落ちた。一か月で、戻った。三か月後、彼は二本を一本にした。
数字は、四割落ちた。半年かけて、戻らなかった。
「戻らなかったのね」
「戻ってねえ。……二十四万で止まってる」
「本人は」
「寝てる」
彼は、そこで少し肩をすくめた。
「一日八時間寝てるらしい」
「うわ」
「今度は」
「猫が一分歩いてる」
「それだけ?」
「それだけだ。……七百万回」
「……」
「中身、ねえよ」
「見てるじゃない」
「見てる」
彼は、その画面を伏せなかった。
「オレが見てるから、ああいうのが増えるんだよ」
彼は十六分動かなかった。私は、千百時間という数字を、そのあいだ日数に数え直していた。四十六日である。丸四十六日ぶん、この人は情報ゼロのものを作っていた。




