善意のリポスト
九月の半ば、うちの市で、八十二歳の男性が行方不明になった。
拡散依頼が出た。写真と、服装と、特徴と、連絡先が書いてあった。
六時間で見つかった。
隣町のバス停で、無事だった。
問題は、そのあとだった。
「三か月経っても、止まらないんです」
家族から、市役所を経由して、風紀委員に相談が来た。私はもう風紀委員ではない。三浦亮太が引き継いでいる。
彼から、私に回ってきた。
「発見の投稿は出したんですよね」
「出しました。六時間後に、すぐ。『見つかりました、ありがとうございました』って」
「それで?」
「回らないんです」
電話の向こうで、通知の音がした。話しているあいだに、二回鳴った。二回とも、同じ音だった。三か月前に一度助けようとした人たちが、いまも同じ音を鳴らし続けている。鳴らしている側は、一人につき一回である。受け取る側だけが、四万二千回ぶんを一台の端末で受けていた。
「元の拡散依頼は、いまも回ってます。……今日も、四十件来ました」
「一つめ、リーチ比」
ドパガキは、二つの数字を並べた。
「拡散依頼、十九万回」
「多いわね」
「多い。……で、発見の投稿」
彼は、その下に書いた。
「四千二百回」
「四十五分の一」
「四十五分の一だ」
彼は、二か月前の数字を横に足した。四十一分の一である。
「先月と同じ話だ」
「二つめ、速度」
彼はグラフを出した。
「拡散依頼、最初の一時間で八万回だ」
「速い」
「異常に速い。……オレが見てきた中で、一番速い」
彼は、他の何本かのグラフを重ねた。どれも、この線より寝ていた。重ねられるまで、私にはこの線の角度が見えていない。
「バズる動画より速い。炎上より速い」
彼はスマホを置いた。
「善意が一番速い」
「三つめ、文言」
彼は、回した人のコメントを分析した。
「十九万件のうち、コメント付きが四万二千件」
「多いわね」
「多い。……で、内容」
彼は分類した。三つの束に分かれた。
「『拡散します』が一万八千件。『無事でありますように』が九千件。『微力ながら』が四千件」
彼は、その三つを丸で囲った。
「九割が善意の言葉だ」
「四つめ、止まらない理由」
彼は、三か月後の拡散を追った。
「いまも回してるのは、新しく見た人だ」
「新しく?」
「そう。……拡散依頼は、いまも検索に出る。で、発見の投稿は、検索に出ない」
彼は、その投稿の位置を指した。元の投稿の、ずっと下だった。
「元の投稿にぶら下がってるだけだからな。……元を見た人が、下までスクロールしない」
彼は、指を二本立てた。
「二秒だ。先月と同じだ」
「で、決定打」
「いま回してる人の九割が、元の投稿の日付を見てない」
彼はスマホを置いた。日付は、写真のすぐ下にあった。小さかったが、隠れてはいなかった。
「三か月前の投稿だ。日付は書いてある。……誰も見てない」
私たちは、家族の方に会った。
七十代の女性だった。息子さんが、あの八十二歳の男性である。
「四十件、毎日来ます。『見つかりましたか』『心配です』『拡散しました』」
彼女は、そのスマホを両手で持っていた。持ち方が、慣れていない人の持ち方だった。両手で下から支えて、親指だけを画面に置く。この人はたぶん、三か月前までこの端末をこんなに触っていない。息子さんが六時間いなくなったせいで、七十代の人が四千件の返事を打てるようになっている。
「優しい人ばっかりなんです」
彼女は、そこで少し笑った。
「だから、返事してるんです。全部」
「全部?」
「三か月、全部返してます。……四千件くらいになりました」
私は、去年の古谷さんのことを思い出した。
二千件のメッセージを、七時間かけて読んだ二年生である。
同じことが、また起きていた。相手が変わっただけで、形は同じだった。宛先が自分になっている言葉を、全部読んで全部返さなければならないと思う人がいる。そういう人は、たいてい誰にも頼まれていない。頼まれていないからこそ、やめられない。やめていいと言えるのは、外にいる人間だけだった。
ドパガキは、そこで初めて口を開いた。
「返さなくていいですよ」
彼は言った。珍しく敬語だった。
「でも、優しい人たちなんで」
「優しいです」
彼は、四万二千件の分類の紙を出した。
「みんな、助けようとして押してます。……一件も、悪意がないです」
彼は、その紙を置いた。
「で、それが一番速かった」
「あのさ」
彼は続けた。
「拡散依頼が十九万で、発見が四千二百です。……四十五分の一です」
「はい」
「これ、善意のほうが四十五倍速いってことです」
彼は、その二つの数字を並べて書いた。
「助けたい人は、四十五倍いる」
彼は、下のほうの数字を指した。
「助かったかどうかを確かめる人は、四十五分の一しかいない」
家族の方は、それを聞いて、しばらく黙っていた。
「じゃあ、どうすれば」
「元の投稿を消してください」
「え」
「消せば、検索に出なくなる。……発見の投稿だけ残せば、それが元になります」
「でも、拡散してくださった方に失礼じゃ」
「失礼です」
彼は、そこで即答した。即答してから、少しだけ声を落とした。
「でも、四十件が毎日来るほうが、きついです」
元の投稿は、消された。三日で、メッセージは五件になった。一週間で、ゼロになった。
「消したら終わったのね」
「終わった」
彼は、歩幅を変えずに続けた。
「六時間で見つかった話が、三か月続いて、消したら三日で終わった」
彼は少し黙った。
「あの十九万人、誰も終わりを知らねえんだよ」
「うわ」
「今度は」
「猫が迷子だ」
「拡散する?」
彼は、しばらく画面を見ていた。指が止まっていた。
「……日付見た」
「いつの?」
「二年前だ」
彼は、その画面をこちらに向けた。
「まだ回ってる」
彼は、それを回さなかった。
代わりに、投稿者に一通だけ送った。打つのに、二分かかった。この人が二分かけて文章を打つのを、私は数えるほどしか見ていない。
内容は、見ていない。見せてくれとも言わなかった。二年前の迷子の猫が見つかったのかどうかも、私は聞かなかった。聞かないほうがいいことが、この一年で少しずつ増えている。増えている理由は、自分でもわからない。




