記憶されない顔
九月。依頼人は、十七歳だった。
三浦亮太の紹介である。うちの高校ではない。市内の別の高校の二年生だった。
乙部さんという子である。
「私、加工がやめられないんです」
「よくある話でしょう」
私は正直にそう思った。思ってから、自分がその手のことを一度も真剣に考えたことがないのに気づいた。私は加工をしない。しないのは、投稿をしないからである。しない人間が「よくある話」と言うのは、やらずに済んでいる側の言い方だと気づいて、私はその先を言わないことにした。言わないでいるあいだに、彼女が続きを話しはじめた。
「みんなやってるんじゃないの」
「みんなやってます」
彼女は、スマホを机に置いた。
「でも、顔を覚えてもらえないんです」
「え?」
「初めて会う人に、必ず言われるんです。『動画と全然違う』って」
彼女は、そこで少し声を落とした。
「あと、動画を見た人が、私の顔を思い出せないって言うんです」
「一つめ、輪郭」
ドパガキは、二年分の投稿を並べた。三百本ある。彼は、その中の顔の座標を測った。
「顎の幅と、目の間隔と、鼻の長さ。……二年分を数値にする」
一時間かかった。私は、そのあいだに三百本を早送りで見た。三百本とも、同じ顔に見えた。同じ顔に見えるというのは、この人の顔を私が覚えていないということである。二年ぶんを一時間で通したのだから、覚えていなくて当然だとも思う。ただ、二年前の一本目と昨日の一本を並べて出されたとき、私はそれが同一人物だと言い切れなかった。
「見ろ」
彼はグラフを出した。
「顎の幅、二年で十四%細くなってる」
「痩せたんじゃなくて?」
「痩せてない。同じ日の別の投稿で、数値が違う」
彼は、その二本を並べた。
「加工の強度が上がってる」
「二つめ、比較」
彼は、無作為に選んだ五十のアカウントを出した。
全部、同じくらいのフォロワー数の、同じ世代の女子である。
「五十人の顔の数値を測った。……二年前は、五十人の数値がばらけてた」
彼はグラフを出した。点が散らばっていた。
「で、いまだ」
彼は次のグラフを出した。
点が、一か所に集まっていた。私は、二枚を見比べた。二枚目のほうが、見ていて落ち着かなかった。散らばっているほうが自然で、集まっているほうが不自然だというのは、たぶん理屈ではない。ただ、五十人が二年かけて同じ一点に寄っていったという絵は、誰かが集めたのではなく、五十人が別々に寄ってきた絵である。そのほうが気持ち悪かった。
「五十人が、同じ顔になってる」
私は、その二つのグラフを、しばらく見ていた。
「五十人?」
「五十人だ」
彼は、その一点を指した。
「乙部の数値も、この中に入ってる」
「三つめ、プロフィール写真」
彼は、乙部さんが二年間で変えた三枚を並べた。
「一枚目、二枚目、三枚目」
「……別人に見える」
「見えるだろ。でも、同一人物だ。目の位置は変わってない」
彼は、三枚の目の位置に、同じ高さで線を引いた。三本が、きれいに重なった。
「変わってるのは、輪郭と、目の大きさと、鼻の高さだ。……顔の中で、一番覚えやすいところが全部いじってある」
「で、決定打」
「乙部。あんた、いま何歳」
「十七です」
「二年前のあんたの動画」
彼は一本を再生した。十五歳の彼女が、そこにいた。加工は、かかっていた。だが、いまより弱かった。
「こっちのほうが、あんたっぽいぞ」
乙部さんは、その画面を見て、動かなかった。
「そうですか。……こっち、ブスですよ」
「知らね」
彼は、その画面を彼女のほうに向け直した。
「オレは、どっちがあんたに似てるかを言ってる」
「二年前のは、覚えられるんだよ」
彼は続けた。
「顎の形が、この人のものだからな。……で、いまのは、五十人と同じだ」
彼はグラフを指した。点の塊のところである。
「五十人が同じ顔してたら、誰の顔も覚えらんねえよ」
乙部さんは、しばらく黙っていた。
「わかってました。……でも、やめられないんです」
「なんで」
「弱くすると、伸びないんです」
彼女は、その数字を出した。去年の夏の三週間ぶんだった。
「一回、弱めたことがあるんです。去年の夏に。……いつもの三分の一になりました」
ドパガキは、少し黙った。
「わかるよ。オレも、流れてくるのは加工されたやつばっかりだ。……で、加工されてないのは、見ないで飛ばす」
彼は、自分の親指を見た。
「オレが飛ばしてるから、あんたが加工してんだよ。そういう関係だ」
彼は、その指を止めた。
「でもさ、あんた」
「はい」
「顔を直すのはいい」
彼は、そこで一度言い直した。
「オレは何も言わねえ。直したい奴は直せばいい」
彼は、二枚目のグラフをもう一度出した。
「でも、直した先が、他の四十九人と同じ顔なんだよ」
乙部さんは、加工をやめなかった。やめられるものではない、と私は思う。ただ、彼女は一つだけ変えた。
顎の幅の補正を、〇にした。他は全部残した。目も、鼻も、肌も、そのままである。顎だけ、自分のものに戻した。
再生数は、二割落ちた。
「二割か」
「二割だな」
彼は、歩幅を変えずに続けた。
「でも」
「うん」
「あいつの顔、覚えられるようになった」
彼は、そこで一度だけこちらを見た。
「オレ、いま思い出せる。……三か月前は、思い出せなかった」
「うわ」
「今度は」
「猫が加工されてる」
「猫を加工するの?」
「する。目がでかくなってる」
「……元から大きいでしょう」
「元から大きい。なのに、もっとでかくしてる」
彼は、二匹を並べた。
「で、どの猫かわかんねえ」
彼は十三分動かなかった。私は、自分の顎の形を、そのあいだ一度も思い出せなかった。毎朝鏡で見ているはずである。見ているのに、目を閉じると出てこない。人が自分の顔を覚えていないというのは、たぶん普通のことなのだと思う。ただ、覚えていない自分の顔を、他人が覚えていられる形にしておくかどうかは、この二年で選べるものになってしまった。




