涙のサムネイル
八月の終わり、佐倉ひかりから連絡が来た。大学一年である。経済学部で、数字の勉強をしている。
「寄付したの」
「三千円」
「何に?」
「ある人の、生活の支援に。……で、騙されたのか知りたいの」
その動画は、四分あった。
三十代の女性が、自分の状況を話している。仕事を失って、家賃が払えず、子どもがいる。
淡々とした語り口だった。演出はほとんどなかった。私は最後まで見た。見ながら、私も押しそうになった。押しそうになった理由は、自分でもわからなかった。押しそうになったのは、話の内容ではなく、話し方のほうだった。この人は自分の状況を説明するのに、一度も声を大きくしない。同情を引く言い方を知らない人の喋り方である。知らないまま四分喋っている人を見ると、こちらが勝手に埋めたくなる。
寄付は、二百四十万円集まっていた。
「騙されてはいないと思うけど」
「事実は本当なの」
ひかりは、調べた資料を送ってきた。三枚あった。
「全部本当。……でも、サムネイルが変なの」
サムネイルは、その女性が泣いている写真だった。
「本編に、泣いてるシーンがないの」
彼女は、少しだけ声を強くした。
「四分、一度も泣いてないの。……なのに、サムネは泣いてるの」
「一つめ、フレーム」
ドパガキは、四分を〇.一秒ずつ確認した。二時間かかった。
「二千四百フレームある。……サムネと一致するフレームは無い」
「切り出しじゃないってこと?」
「切り出しじゃない。別撮りだ」
「二つめ、服」
彼はサムネと本編を並べた。
「同じ服だ。……で、襟の折れ方が違う」
彼は拡大した。私は、その襟を見た。言われてから、たしかに違った。言われるまで、私には同じ襟にしか見えていない。本編の襟は右側だけが内に折れ込んでいて、四分のあいだ一度も直されない。話しているあいだ、この人は自分の襟のことを考えていない。サムネイルの襟は両側とも外に出ていて、左右の長さが揃っていた。誰かが直したか、直してから撮ったか、どちらかである。
「本編は、右の襟が内側に折れてる。四分間ずっとだ。……サムネは、折れてない」
彼は、二枚を重ねるように並べた。
「着直してる」
「三つめ、光」
彼は影の方向を見た。
「本編、光が左から。窓だな。……サムネは、右上から」
彼は、二枚の影を指でなぞった。
「時間帯が違う。……たぶん、別の日だ」
「四つめ、視線」
彼はサムネを拡大した。
「この人、カメラをまっすぐ見てない」
「そう?」
「見てない。〇.五度くらい下だ」
彼は、その角度を指で作った。ほとんど水平だった。
「これ、一番効く角度なんだよ」
「効く?」
「クリック率が上がる。……まっすぐ見られると、人は逃げる。ちょっと下だと、見てしまう」
彼は、画面を伏せた。
「知らないとできない角度だ」
「で、決定打」
「この女の人、サムネを自分で撮ってない」
「わかるの?」
「わかる。……この角度で自撮りは無理だ。誰かが撮ってる」
彼はスマホを置いた。
「で、この人、寄付を集めるのに慣れてない。四分の語りが下手だ。台本もない」
彼は、二つを並べた。四分と、一枚である。
「サムネだけ、プロが作ってる」
作っていたのは、支援団体だった。
真っ当な団体である。実際に困窮者を支援している。二百四十万円は、ちゃんとその女性に渡っていた。
担当者は、私たちの質問に、正直に答えた。正直すぎて、私は途中から聞くのがつらくなった。この人は隠す気が無い。隠す気が無いということは、後ろめたく思っていないか、後ろめたさを毎日抱えたまま何年もやってきたかのどちらかである。声の疲れ方から、私は後者だと思った。思ったところで、質問は続けなければならなかった。
「サムネイルは、別で撮っています」
「泣いてもらってるんですか」
「……はい」
「毎回?」
「毎回です」
私は、その資料から顔を上げた。
「なんでですか。本当のことを伝えるのに、なんで嘘のサムネがいるんですか」
担当者は、しばらく黙っていた。
「本当のままだと、誰も見ないからです」
「三年前まで、やってませんでした」
彼は続けた。
「本人が話す映像を、そのまま出してました。……平均で四百回でした」
「四百回」
「四百回です。寄付は、月に二万円くらいでした」
彼は、手元の資料を閉じた。
「サムネを変えたら、二百四十万になりました」
私は、言葉に詰まった。二万円と二百四十万円という二つの数字を、私は同じ天秤に乗せられなかった。二万円では家賃が払えない。二百四十万円なら払える。払えるかどうかというのは、正しいかどうかとはまったく別の問いである。別の問いなのに、片方に答えると、もう片方にも答えたことになってしまう。私は、その仕組みが嫌だった。
「じゃあ、正しいんですか」
「わからないです。……毎回、わからないままやってます」
ドパガキは、それまで黙っていた。
「あのさ」
「はい」
「困ってるのは本当だよな」
「本当です」
「金もちゃんと渡ってるよな」
「渡ってます。全額です」
「うん」
彼は、初めて顔を上げた。
「じゃあ、これだけ聞く」
彼は担当者を見た。
「あの人、泣くとき、何回撮り直した?」
担当者は、答えなかった。長い沈黙のあと、彼は言った。
「……四回です」
「四回か」
「はい」
「四回目が一番よかったんだよな」
「……はい」
ドパガキが、スマホを置いた。
「困ってるのは本当だ。金も届いてる。……でも、あの涙は、あんたが作った」
彼は、その一枚をもう一度出した。
「四回目だぞ」
その団体は、いまも同じやり方をしている。変えなかった。理由は、変えると寄付が減るからである。
私は、それを責める言葉を持っていない。持っていないことを、私はこの夏に何度も確かめた。何度確かめても、代わりに何を言えばいいのかはわからなかった。
佐倉ひかりは、寄付を取り消さなかった。
「三千円は、あの人に届いてるから」
「でも」
「でも?」
「私、あのサムネで押したの」
彼女は、一度言葉を切った。
「四分の話を聞いて押したんじゃないの」
彼女は、そこで一度言葉を切った。
「泣いてる写真で押したの」
彼女は、電話の向こうで何かを閉じた。
「それが、気持ち悪いの」
「うわ」
「今度は」
「猫が泣いてる」
「猫は泣かないでしょう」
「泣いてない。目やにだ」
彼は、その画面を伏せた。
「……で、サムネは『助けて』って書いてある」
「本文は?」
「病院行って治りました、って書いてある」
彼は十一分動かなかった。私は、四回目の涙のことを、そのあいだ考えていた。一回目から三回目までは、たぶん本当に泣いている。四回撮り直させるというのは、三回ぶんの本当を捨てさせることである。捨てた三回は、どこにも残っていない。残っているのは一番よく撮れた四回目だけで、二百四十万円はそれに集まった。




