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七月の半ば、うちの母校が、また名前を出した。今度はゲームではなかった。
『瀬々良木高校、スマホの校内持ち込みを全面禁止へ』
私がそれを知ったのは、寮の食堂だった。知らない大学生が、隣の席でその話をしていた。学校の名前を、正しく発音していなかった。せせらぎ、と言っていた。せせらぎではない。ぜぜらぎである。三年間そう呼ばれてきた場所が、二時間離れた食堂で、別の名前のまま禁止令を出したことになっている。私は箸を持ったまま、しばらくその会話を聞いていた。訂正しに行くには、席が二つ離れていた。
「禁止してないです」
古谷さんが電話をかけてきた。今度は、通知の音がしなかった。切ってあるのだと思った。
「してないの?」
「してないです。議題には出ました。六月の職員会議で。……で、否決されてます」
「じゃあ、誰が」
「わかんないです。でも、七万回回ってます」
「一つめ、原文」
ドパガキは、最初の投稿を探した。三十分かかった。引用の連鎖を、一段ずつ遡っていた。
「あった。……六月二十九日、二十一時十四分。投稿者は、うちの卒業生だ。三年前の」
「なんて書いてあるの」
「四百三十二文字ある」
彼は読み上げた。読み上げるのに、一分半かかった。
要約すると、こうだった。私は要約を書きながら、四百三十二文字を二百文字に縮めていることに気づいた。それが今日の話だと気づいたのは、そのあとである。
『母校でスマホの持ち込み禁止が議題に出たと聞いた。結果は否決されたらしい。自分の在学中もこの議論はあったが、生徒側から反対意見が出て流れた。禁止するかどうかより、なぜ議論が繰り返されるのかを考えるべきだと思う』
「まともな文章ね」
「まともだ」
彼は、その投稿の下を指した。
「で、この投稿、いいねが十一件だ」
「十一?」
「十一だ。……で、これを引用した投稿が、七万回回ってる」
「二つめ、引用」
彼はその引用投稿を出した。
引用元は表示されている。だが、そこに付けられたコメントは、こうだった。私は、引用元があることに、言われるまで気づかなかった。画面の下のほうに、小さく畳まれていた。
『瀬々良木高校、スマホ全面禁止らしい』
十六文字である。
「逆になってるじゃない」
「なってる。……引用した奴、本文を読んでない」
「わかるの?」
「わかる。……三つめだ」
「三つめ、滞在時間」
「引用投稿から、元の投稿に飛んだ人がどれくらいいるか。……七万回のうち、四百人だ」
「〇.五%」
七万人のうち六万九千六百人が、飛ばなかったということである。私は、その六万九千六百のほうを、しばらく見ていた。
「〇.五%だ。……で、その四百人の滞在時間の中央値」
彼は、その数字を出した。私は、それを二度見た。
「二秒」
彼はスマホを置いた。
「四百三十二文字あるんだよ、あれ。……二秒で読める字数じゃねえ」
「で、決定打」
彼は引用の連鎖を追った。さっき遡った道を、今度は下りていった。
「七万回のうち、元の投稿を引用してるのは、最初の三十件だけだ」
「あとは?」
「あとは、引用の引用だ」
彼は、三十件目のところで指を止めた。
「三十件目以降は、元の投稿にリンクすら付いてない。十六文字だけが独立して回ってる」
彼は、その十六文字を紙に書いた。
「四百三十二文字が、十六文字になって、七万回だ」
書いた卒業生は、七月十日に投稿を消していた。
私たちが連絡したときには、もうアカウントごと無かった。
アカウントの名前も、私は覚えていない。三年前の卒業生だというだけである。私はその人の顔も、声も、知らないままだった。四百三十二文字を書くのに、この人は何分かけたのだろうと思う。推敲した跡のある文章だった。結論を最後に置いて、そこまでを順に組んである。組んだものが十六文字にされて七万回回って、書いた本人は九文字で消えた。私が保存していなければ、四百三十二文字はどこにも残らなかった。
一つだけ、削除の直前に残した投稿があった。
『こんなつもりじゃなかったです』
九文字である。いいねは、二件だった。
学校は、訂正を出した。
『本校ではスマートフォンの校内持ち込みを禁止しておりません。』
古谷さんが書いた。二十八文字である。四百三十二文字を、二十八文字で打ち消そうとしていた。
リーチは、千七百回だった。
「七万と、千七百」
「四十一分の一だな」
ドパガキが言った。
「……」
「これが、明日の話だ」
「え?」
「明日、もう一回話す」
彼はそう言って、通話を切った。切ったあと、私はしばらく画面を見ていた。切れたあとの画面には、何も見えなかった。
私は、その夜、四百三十二文字の原文を、もう一度読んだ。保存しておいてよかったと思った。
もうどこにも無いからである。最後の一行は、こうだった。
『禁止するかどうかより、なぜ議論が繰り返されるのかを考えるべきだと思う』
この一行は、四百三十二文字の一番最後にある。つまり、最後まで読まないと出てこない。
七万人のうち、この一行を読んだ人は、四百人以下である。そして、その四百人の中央値は、二秒だった。
「うわ」
翌朝、彼から一件だけメッセージが来た。
『猫が禁止されてる』
私は返した。
『どこで』
『マンションの規約。……で、本文読んだら、猫は禁止されてない』
『じゃあ何が』
『餌やりが禁止されてる』
私は少し笑った。
そして、笑っている場合ではないと思い直した。規約の本文には、猫を飼うことについて何も書いていない。書いていないのに、猫が禁止されていると住民が思っている。四百三十二文字と十六文字の話を、彼は一晩かけて猫で言い直してきたことになる。この人は、昨日の話を覚えていた。翌週には忘れるはずの人が、一日は覚えている。




