トレンドに入った日
七月三日の朝、県立瀬々良木高等学校が、全国のトレンドに入った。三位だった。
「何もしてないです」
学校のアカウントを預かっている二年生の古谷さんが、私に電話をかけてきた。声が、電話の向こうで一度裏返るのが聞こえた。
去年、美術部のアカウントを誤って通報してしまった子である。あのとき謝りに行ったのは私で、謝られたのもたぶん私だった。どちらの役だったのか、いまでもよくわからない。志願して、いまは学校の広報を担当している。
「メッセージが、二千件来てます」
彼女の声の後ろで、通知の音が鳴り続けていた。話しているあいだに、四回鳴った。四回のうち二回は、彼女が喋っている途中にかぶった。かぶるたびに、この人は一度言葉を止めて、それから同じ文をはじめから言い直す。三度目でやめてほしいと言おうとして、私は言わなかった。止めるとしたら音のほうであって、この人ではない。
「二千?」
「朝からです。今も増えてます」
「一つめ、発信地域」
ドパガキは、その日の投稿の分布を見た。
「学校名を含む投稿、二万三千件」
「多いわね」
「多い。……で、県内からが六%だ」
「六%」
「残り九十四%が県外。しかも、うちの県に一度も来たことがない層だ」
彼は、その地図を出した。点は、日本中に散っていた。うちの県だけが、薄かった。
「これは、うちの学校の話じゃない」
「二つめ、表記」
彼は二万三千件の表記を数えた。
「『瀬々良木高校』が千百件。『県立瀬々良木高等学校』が二百件」
「あとは?」
「残り二万二千件が、ただの『瀬々良木』だ」
彼は、その三つの数を並べた。
「学校名じゃない。地名でもない」
「三つめ、共起」
「『瀬々良木』と一緒に出てくる単語を数える。……一位が『実装』、二位が『ガチャ』、三位が『声優』」
私は、少し間を置いてから理解した。理解してから、力が抜けた。実装、ガチャ、声優。三つとも、私の母校とは一文字も関係がない。二万三千件のうちの大半が、うちの学校の名前を正しく打ちながら、うちの学校のことをまったく考えていない。世の中には、同じ名前がそこにあるというだけで起きることがある。
「ゲーム?」
「ゲームだ」
彼は、そのゲームの告知を出した。
「昨日の夜、あるゲームに瀬々良木っていうキャラが実装されてる」
「決定打」
彼はスマホを置いた。
「二万三千件のうち、うちの学校について言ってるのは千三百件だ」
彼は、その千三百件をさらに分けた。
「そのうち、千件が『関係ない学校が混ざってる』って内容だ」
「じゃあ、残りは」
「三百件だ」
彼は、指で三を作った。
「二万三千件のうち、三百件が、本当にうちの学校に何か言ってる」
私は、古谷さんに折り返した。
「学校の話じゃないの。ゲームのキャラクターと、名前が同じなだけ」
「……はい」
「二千件のメッセージは」
彼女は、少し黙った。
「全部、読みました」
私は、そこで手を止めた。持っていたペンを、机に置いた。二千件を全部読むというのが、どういう作業なのかを想像した。一件を五秒で読んでも、二時間半かかる。実際には五秒では読めない。この人は朝から七時間、一件ずつ開いては閉じている。誰にも頼まれていない。頼まれていないことを黙ってやる人を、私は自分のノートで二年間見てきた。
「全部?」
「全部です。学校宛てなんで。……返事しないといけないと思って」
「二千件を?」
「はい。三百件くらい返しました。まだ千七百件あります」
ドパガキが、通話に入ってきた。
「古谷」
「はい」
「読まなくていいぞ、あれ」
「え」
「二千件のうち、あんたらのことを言ってるのは、二十件くらいだ」
彼は、さっきの分類を読み上げた。
「残りは、ゲームの話をしてる人が、間違って学校のアカウントを踏んだだけだ」
「でも、来てるんで」
「来てるな」
彼は、そこで少し声を落とした。
「あんたらのことじゃねえよ」
彼は少し黙った。
「でも、来た言葉は、あんたらのとこに来てる」
「じゃあ、どうすれば」
「二十件だけ返せ」
「二十件?」
「そう。……で、残り千六百八十件は、読むな」
「読まないんですか」
「読むな」
彼は、そこで一度言い直した。
「あんた、二千件読んで、いま何時間かかってる」
「……七時間くらいです」
「七時間だ」
彼は、その七時間を数字に置き換えた。
「その七時間で、あんたの学校の話は、二十件しか入ってねえんだよ」
学校のアカウントは、その日、一行だけ投稿した。
『本校とは関係のない話題でお騒がせしております。ゲームの件は本校ではわかりかねます。』
いいねが、一万八千件ついた。学校のアカウントの投稿としては、過去最高だった。
「一万八千」
私が言うと、ドパガキは笑った。四回目である。
「一番伸びたやつが、うちの学校の話じゃないんだよな」
「そうね」
「で、その一万八千人、明日には忘れてる」
トレンドは、二日で消えた。学校名は、いまも同じである。古谷さんは、二十件に返事を書いた。
そのうちの一件は、こういうものだった。
『三年前に卒業した者です。名前がトレンドに入ってたので、久しぶりに検索しました。元気にやってます。』
古谷さんは、それを保存した。
苅田先生のフォルダに、追加してもらったそうである。あのフォルダは、十一年前の卒業生のために作られたものである。もう渡す相手はいない。それでも先生は、いまも卒業式の投稿を毎年入れている。そこに、ゲームの名前が同じだったせいで思い出した人の一件が、混ざって入った。混ざり方としては、悪くないと思った。
「うわ」
「今度は」
「猫がトレンドに入ってる」
「かわいいから?」
「違う。……同じ名前のラーメン屋が閉店したからだ」
「……猫は関係ないのね」
「関係ねえ。でも、猫のとこにコメントが来てる」
「なんて?」
「『残念です』って」
彼は十二分動かなかった。十二分を、私は数えていた。七時間かけて二千件読んだ人のことを、そのあいだ考えていた。二十件は、その七時間のどこかにあったはずである。




