五十本の同時投稿
六月の終わり、瀬々良木市が褒められた。五十本の動画で、である。
「気持ち悪いんです」
商店街の丸尾さんから、三浦亮太経由で連絡が来た。
去年、乾物屋がバズった店の主人である。七十五歳になっていた。電話の声は、去年より少しゆっくりだった。
「褒められてるんですよね」
三浦が言った。
「褒められてます」
丸尾さんが、一度咳をした。
「でも、誰も来ないんです」
五十本の動画は、どれも似ていた。
商店街、駅前、川沿い、山。「知られていない街」「移住したい」「時間がゆっくり流れる」。
再生数は、合計で九十万回あった。
私は五本見た。五本とも、きれいだった。きれいすぎて、私は自分の住んでいた町だと気づくのに二本かかった。逆光の川面と、木漏れ日の落ちるアーケードと、夕方の駅前。どれも実際にある場所である。ただ、私が三年間そこを歩いていたあいだに、その光が当たっているのを見たことは一度も無かった。一日のうちの十分だけ来る光を、五十本ぶん集めてある。
「悪いことじゃないでしょう」
「三日で九十万回です。……で、うちの売り上げは、先週と同じです」
「一つめ、間隔」
ドパガキは五十本の投稿時刻を並べた。
「一本目が六月二十四日、十時ちょうど。……で、二本目が十時十二分」
彼は、紙に縦に書いていった。
「三本目が十時二十四分。四本目が十時三十六分」
「十二分ずつ」
「十二分ずつだ。五十本、一本も外れてない」
彼はスマホを置いた。私は、その五十行を上から下まで読んだ。十時ちょうど、十時十二分、十時二十四分。数字が十二ずつ足されていくだけの表である。読み終わって、少し気持ちが悪くなった。人の書いた時刻表なら、どこかで一分ずれる。昼を挟めば止まる。この表は昼も止まらず、夜も止まらず、十時間ぶん十二を足し続けていた。
「分散がゼロだ」
「二つめ、アカウント」
彼は五十のアカウントを見た。
「全部違うアカウントだ。名前も、アイコンも、フォロワー数もばらばら」
「じゃあ、五十人?」
「五十人じゃない」
彼は、三本の文面を並べた。
「五十本の文面が、語順だけ入れ替えてある」
『時間がゆっくり流れる街。知られていないのがもったいない。』
『知られていないのがもったいない。時間がゆっくり流れる街。』
『もったいない、知られていない街。時間がゆっくり流れる。』
「……同じね」
「同じだ。単語が完全に一致してる」
「三つめ、素材」
彼は五十本の映像を比べた。
「同じ場所を、同じ角度で撮ってる。……で、時刻が全部同じだ」
「同じ日に撮ったのね」
「同じ日、同じ時間帯だ。……で、影の位置から、撮影は三月だ」
彼は、五十本の影を一枚の紙に写した。影は、五十本とも同じ方向を向いていた。
「三か月前に一日で撮って、六月に十二分間隔で流してる」
「で、決定打」
彼は五十本の中に、一本だけ違うものを見つけた。
「四十七本目。……川の名前が間違ってる」
「間違ってる?」
「うちの川、瀬々良木川だ。……これ、瀬良木川って書いてある」
私は、その一文字を三回読んだ。三回目でやっと見つけた。瀬々良木と瀬良木は、声に出せばはっきり違う。文字で見ると、々が一つ抜けているだけである。私は十八年この地名を書いてきて、それでも三回読んだ。九十万回見た人のうち、何人がここで止まったのかを考えて、たぶんゼロだろうと思った。
「で、この間違い、四十七本目にしか無い」
「他は正しいの?」
「正しい。……つまり」
彼はスマホを置いた。
「四十七本目だけ、人間が手で直すのを忘れてる」
私は、そこで理解した。
「元の文章が一つあって、それを機械が並べ替えてるのね」
「そうだ。……で、四十七本目だけ、元の文章の誤字がそのまま出た」
彼は、五十行の紙を裏返した。
「五十本、人間が書いてねえんだよ」
蜂谷灯は、私が連絡すると、すぐに返事をよこした。
『私です』
一言だった。そして、こう続けた。
『違法性はありません。ステマ規制の対象にもなりません。全部、実在の風景です』
私は返した。
『川の名前が間違っています』
三分後に返ってきた。
『ご指摘ありがとうございます。修正します』
四十七本目は、修正された。十四分後である。
五十本の動画は、いまも上がっている。九十万回のままである。商店街の売り上げは、変わらなかった。
「あの人、本当に悪いことしてないのよね」
私は電話で言った。
「してねえよ」
「じゃあ」
「あのさ。二年前、オレ、あんたにこう言っただろ」
彼は、少し間を置いた。
「投稿時刻がぴったり一致してるのは、同じ人間がやってる証拠だって」
私は覚えていた。三浦亮太の、十一分差の投稿である。ノートの二件目に書いてある。二件目のページは、いまでも目を閉じれば見える。
「覚えてる」
「今回は逆だ」
彼は、電話の向こうで何かを叩いた。たぶん、自販機の横だった。
「分散がゼロってのは、人間がいねえってことだ」
「同じ手がかりで、逆の結論なのね」
「そうだ。……あのときは、十一分ずれてた。ずれてたから人間だった」
「……」
「今回は、一秒もずれてない」
彼は少し黙った。
「九十万回、この街を褒めてんのが、誰もいねえんだよ」
私は、丸尾さんにそれを伝えた。彼は、電話の向こうで、しばらく黙っていた。
「そうですか」
「がっかりしましたか」
「いいえ」
彼は、また一度咳をした。
「去年のほうが良かったです」
去年、行列を作った篠田くんの話である。
三日で終わって、店を潰しかけた、あのバズのことだった。あのとき丸尾さんは仕入れを四倍にして、三日目に全部余らせている。損の額を私は知らない。知らないが、七十四歳が一年で取り返せる額ではなかったはずである。その人が、去年のほうが良かったと言っている。私は受話器を持ち替えて、返事を探した。
「あれは、あの子が作ったんで」
「うわ」
「今度は」
「猫が五十匹いる」
「五十?」
「同じ猫だ。……五十のアカウントが同じ猫を上げてる」
「転載ね」
「転載だ。……で、十二分間隔だ」
「……」
「猫は一匹しかいねえんだよ」
彼は十一分動かなかった。私は、五十行の紙のことを、そのあいだ思い出していた。五十行を、もう一度頭の中で数えた。あれは、投稿時刻の表ではなかった。誰もいないことの表だった。




