数字を買う
六月。芦田さんから連絡が来た。
三年になっていた。佐倉ひかりの切り抜きアカウントを引き継いで、二年目である。
カット尻は、〇.四秒になっていた。前髪は、もう目にかかっていなかった。去年の秋に会ったときは、話すあいだじゅう前髪の内側からこちらを見る人だった。いまは顔が全部出ている。切ったのか、伸ばして分けたのかはわからない。ただ、目が合う回数がはっきり増えていて、私はそのことに、切り抜きの秒数より先に気づいた。
「フォロワーが、勝手に増えてるんです」
「増えるのは、いいことでしょう」
「三千人増えました」
「三千?」
「四日でです」
彼女は、その数字を三回言い直した。言い直すたびに、声が小さくなった。増えたことを喜んでいないのが、その言い方でわかる。ふつう、フォロワーが三千増えて青くなる人はいない。この人は一年半、一人ずつ増やしてきた側なので、四日で三千という速さがどういう意味かを、自分で先に理解してしまっている。
「うち、生徒四百八十人しかいないのに」
「一つめ、増加曲線」
ドパガキは、四日分のグラフを見た。
「見ろ。直線だ」
「直線?」
「一時間あたり三十一人ずつ増えてる。……ずっと同じ速度だ」
彼は、そのグラフを指でなぞった。指が、途中で一度も曲がらなかった。私は、その線を横から見ていた。線が真っ直ぐだということの意味は、言われるまで見えなかった。
「人間が増えるときは、波が出る。朝と夜で違う。土日で違う。……これは、平らだ」
「二つめ、時間帯」
彼は増加を時間帯別に並べた。
「深夜三時も、朝六時も、同じペースだ」
「寝てないの?」
「寝てる。人間は寝る」
彼は、そこで一度だけ顔を上げた。
「機械は寝ない」
「三つめ、アカウント」
彼は増えた三千人を、無作為に百人だけ調べた。百人を見終わるのに、二十分かかった。
「投稿ゼロが八十四人。アイコン無しが六十一人。……登録日が、全部この二か月以内だ」
彼はスマホを置いた。
「買ってる」
「私、買ってないです」
「知ってる」
彼は、そのリストを閉じた。
「あんたに買った奴がいる」
「決定打」
「フォロワー購入ってのは、アカウントのIDを渡して発注するんだよ。……で、業者の側に納品記録が残る」
「見られるんですか」
「見られねえよ。でも、同じ業者から納品された他のアカウントは見られる」
彼は、三千人の中から、二重にフォローしているものを抜き出した。
「三千人の中に、他のアカウントも同時にフォローしてる奴がいる。同じ束から配られてるからな」
彼は画面を出した。
「……で、その相手が、一つだけあった」
東雲高校の切り抜きアカウントだった。
戸田くんのものである。
戸田くんは、否定しなかった。
「買いました。自分のと、芦田さんのと」
「なんで」
「追いつかれたかったんです」
私は、意味がわからなかった。聞き間違えたのだと思って、一度聞き返した。
「追いつかれたい?」
「僕、東雲で三千人なんです。芦田さんは、そっちの学校で千二百人で」
彼は、鞄の紐を握った。去年と同じ握り方だった。親指を紐の内側に入れて、残りの四本で外から押さえる。去年、〇.四秒の話を三時間したときも、この人はずっとこの手をしていた。話が自分の弱いところに来ると、この握りが強くなる。それは去年から変わっていなかった。
「去年、〇.四秒の話を三時間しました。あの人、僕より上手くなってて」
彼は下を向いた。
「なのに、数字だけ僕のほうが多いんです」
「それが、嫌だったの?」
「嫌でした。……上手いほうが少ないのって、変じゃないですか」
「で、両方買ったのか」
「はい。三千ずつ」
「三千ずつ?」
「はい。同じ数にしたかったんで」
彼は、指で二つの数を空中に書いた。
「そうすれば、僕が六千で、あの人も六千で。……中身で勝負できるかなって」
ドパガキは、しばらく黙っていた。
「わかるよ。数字で負けてんのに、中身で勝ってるって言うのは、みっともない。……オレも言えねえと思う」
彼は、そこで画面を伏せた。
「でもさ」
「はい」
「あんた、あいつに三千人渡したつもりだろ」
「……はい」
「渡してねえよ」
彼は、その三千人のリストをもう一度出した。名前の無いアイコンが、画面の端まで並んでいた。
「三千人ぶんの嘘を渡したんだ」
「あいつの千二百人はな」
彼は続けた。
「一年半かけて、あいつが一人ずつ増やしたやつだ。二百回練習して、〇.一五秒を〇.四秒にして、そうやって増やしたやつだ」
彼は、二つの数字を並べて書いた。千二百と、三千である。
「そこに三千足したら、千二百がどこにあるかわかんなくなる」
戸田くんは、何も言わなかった。
「四千二百人になった。……で、あんた、あいつの本当の数字を消したんだよ」
三千人は、業者に返品された。そういう仕組みがあるらしい。私は初めて知った。芦田さんのフォロワーは、千二百人に戻った。
戸田くんも、自分のぶんを返した。三千人に戻った。そして八月に、二人は共同で一本作った。
再生数は八千回だった。
「四千二百のときより、少ないのよね」
「少ねえよ」
彼は、歩幅を変えずに続けた。
「でも、八千回だぞ」
「うん」
「買ってねえ八千だ」
彼は自販機の前で止まった。
「うわ」
「今度は」
「猫のアカウントがフォロワー買ってる」
「猫が?」
「飼い主が。……十万人いる」
「バレないの?」
「バレる」
彼は、その二つの数字を画面に並べた。
「十万人いて、いいねが四十件だ」
「……」
「数字は買えるけど、指は買えねえんだよ」
彼は十三分動かなかった。私は、千二百という数がどれくらいの重さなのかを、そのあいだ考えていた。一年半で千二百なら、一日に二人ちょっとである。二人ちょっとを五百四十日続けた数だと思うと、急に持ちにくくなる。三千は四日で来た。同じ棚に並べると、三千のほうが大きく見える。大きく見えるほうが軽い、ということが、この世界にはときどきある。




