四月、教室がない
四月の終わり、私は自分の生活を数えてみた。一日に喋る人数、四人。一週間に会う人数、九人。
高校のときは、たぶん四十人だった。
数えたのは、彼の癖である。数えてから、数えなければよかったと思った。それも、たぶん彼の癖だった。
私は県外の大学の、法学部にいる。
理由を聞かれると、いつも困る。風紀委員をやっていたから、というのは嘘ではないが、正確でもない。
一年前、三雲さんに言われた言葉を、私はまだ持っている。
「私、誰かの人生の理由になりたくないんです」
だから私は、理由を言わないことにしている。
佐倉ひかりは、県内の大学に行った。経済学部である。
「数字を勉強するの」
彼女は電話でそう言った。
「意外ね」
「意外じゃないでしょう」
電話の向こうで、ページをめくる音がした。
「私、三年間、数字を見てたのよ」
灰谷透と日下部陸は、三年になった。
アカウントは続いている。手持ちのカメラで、カットは〇.八秒のままである。再生数は、三万から五万のあいだで安定していた。
「二百四十万にはならないですね」
「なりたい?」
「ならないほうがいいです」
彼は即答した。
「あいつ、いま寝てるんで。八時間」
相原景も、三年になった。
彼は週に二回くらい学校に来る。数学の解説アカウントは続いていて、フォロワーは二百人を超えた。
「先輩、大学どうですか」
「静かよ」
「そうですか」
「あなたは」
「相変わらずです」
彼は、そこで少しだけ間を置いた。
「あと、窓は、まだ見てます」
峰岸美結は、高校一年になった。
隣の市の高校である。制服の写真が一枚だけ送られてきた。
『受かりました』
去年の二月のあの夜のことは、一度も話題に出ない。出さないほうがいいのだと、私は思っている。
土場我輝は、何もしていなかった。バイトを二つ受けて、二つとも一か月で辞めた。
「三分で切れるんだよ」
彼は電話でそう言った。
「三分で切れる仕事って、あるのかしら」
「ねえよ」
「探した?」
「探してない」
四月のあいだ、依頼は一件も来なかった。三浦亮太から、永瀬くんの件で連絡が来ただけである。
それ以外は、何もなかった。
「気づいてる?」
私は五月の連休に、彼に聞いた。
私は帰省していた。駅前で会った。彼は相変わらず、日陰にしゃがんでスマホを見ていた。一年前と、しゃがみ方まで同じだった。
「何が」
「事件が来ないの」
彼は顔を上げなかった。
「来ねえな」
「気にならない?」
「ならねえよ」
彼は、画面を送る手を止めなかった。
「オレ、依頼が来るのを待ってたことねえもん。……来たらやってただけだ」
私は、そこで少し腹が立った。理由は、たぶん、彼が正しいからだった。
「あなた、二年間で六十八件やったのよ」
「うん」
「全部、学校で起きた事件よ」
「そうだな」
「学校が無くなったら、来ないのよ」
彼は、そこで初めて顔を上げた。日陰から出ないまま、首だけこちらに向けた。
「そうだな」
「で?」
「で、って」
「オレは探偵じゃねえよ」
彼は、立ち上がった。膝の埃を払わなかった。
「あんたが六十八件書いただけだ。……オレは、廊下でスマホ見てただけだ」
彼は、鞄を肩にかけた。
「六十八件、全部、あんたが持ってきたんだよ」
私は、その日、何も言い返せなかった。言い返せなかったのは、それが事実だったからである。
六十八件のうち、六十二件は、私が持ち込んでいた。
残りの六件も、三浦亮太か、佐倉ひかりが持ってきたものである。私はノートを開いて、一件ずつ「誰が持ってきたか」を欄外に書き足していった。二冊ぶんを数え直すのに、一時間半かかった。数えているあいだ、私は自分がこの二年で何をしていたのかが、少しずつ形になっていくのを感じた。形になったものは、あまり嬉しいものではなかった。
彼が自分から動いたのは、猫の転載の件、一度だけだった。
寮に戻ってから、私はノートを開いた。二冊ある。二年ぶんである。三冊目は、まだ一行も書いていない。
買ってはある。同じ色を探して、三軒回った。三軒目は寮から自転車で四十分の店で、そこにも無くて、取り寄せてもらった。届くのに二週間かかった。二週間待って、一行も書かないまま机の引き出しに入れてある。書くことが無いから書いていないのだと、私は自分に説明していた。説明の要るところが、たぶん問題だった。
五月の半ば、蜂谷灯から連絡が来た。私にである。彼にではなかった。
『鎮目さん、いま何をしていますか』
私は返さなかった。三日後、もう一通来た。
『土場さん、何もしていないでしょう。もったいないです』
私は、これにも返さなかった。返さないでいるあいだ、二回開いた。開けば既読がつく。既読がついたことは向こうに見えている。返さないという返事を、私は二回送ったことになる。あの人はたぶん、それも織り込んで送ってきている。もったいない、という言葉を選んだのも、そういう計算のうちだと思った。
一週間後、彼女から三通目が来た。
『仕事を紹介できます。彼にも、あなたにも』
私は、これには返した。
『結構です』
すぐに返事が来た。速すぎた。開いたまま待っていたのだと思う。
『わかりました。またご連絡します』
私は、それを彼に転送した。返事は、一言だった。
『あいつ、あんたに来たのか』
『来た』
『そうか』
そして、こう来た。
『オレには来てねえ』
五月の終わり、依頼が一件来た。三浦亮太からである。
内容は、高校の話ではなかった。私はその一行を、寮の机の前で読んだ。引き出しには、まだ一行も書いていない三冊目が入っている。学校が無くなったら来ない、と私は連休に言ったばかりだった。言った本人が、その二週間後に、学校の外の話を受け取っている。私は引き出しを開けて、三冊目を出した。
『先輩、うちの学校じゃないんですけど、聞いてもらえますか』




