卒業式の四十秒
三月一日。私たちは高校を卒業した。
式は、十時三十分に終わった。
体育館を出ると、三年生が四方に散った。写真を撮る子、泣いている子、もう帰る子。
私は、風紀委員の仕事が残っていたので、体育館の片付けをしていた。最後まで、そういう役だった。パイプ椅子を四十脚、一人で畳んだ。畳んで、六脚ずつ台車に積んで、倉庫まで七往復した。三年前の入学式のときにも、私は同じ椅子を並べている。あのときは五十脚を三人でやった。人数が減ったのは私が引き受けたからで、引き受けたのは、そのほうが早いからである。早いほうを選び続けた三年間だった、と畳みながら思った。
土場我輝は、体育館の隅で、スマホを縦にしていた。最後まで、そういう男だった。
佐倉ひかりが来た。
「鎮目さん」
「佐倉さん」
「二年間、ありがとう」
彼女は、卒業証書の筒を両手で持っていた。
「私、あなたに一度、風紀委員はこわいって言ったわね」
「言ったわね」
「取り消すわ」
彼女は、そこで少し笑った。
「あなた、ちゃんとこわかった」
私は、それを褒め言葉として受け取ることにした。
伊丹まゆが来た。
彼女は、私に牛乳パックを渡した。冷たかった。式のあいだ、どこかに置いてあったのだと思う。どこに置いてあったのかは、聞いてもわからなかった。
「なんで」
「なんとなく」
彼女は、自分のぶんの封を切った。
「二年前、十二万回だったやつ」
「覚えてるの?」
「覚えてない」
彼女は、一口飲んでから続けた。
「けど、あんたが覚えてるでしょ」
三浦亮太が来た。二年生である。彼はもう、うちの学校の中心にいた。
「先輩」
「三浦くん」
「僕、来年、風紀委員やります」
「あなた、生徒会じゃないの」
「両方やります」
彼はあっさり言った。
「先輩のノート、貸してもらえませんか」
私は、少し驚いた。二冊のことは、苅田先生と、彼と、私しか知らないはずだった。
「なんで知ってるの」
「苅田先生が言ってました。『前例がある』って」
相原景が来た。
彼が卒業式に来るとは、私は思っていなかった。制服を着ていた。少し大きかった。
「相原くん」
「はい」
「来たのね」
「はい」
彼はそれだけ言った。そして、体育館の隅のほうを見た。ドパガキは、こちらを見ていなかった。
相原は、彼のところには行かなかった。代わりに、私にこう言った。
「先輩、二年前に、僕の家の前に来ましたよね」
「行ったわね」
「あのとき、僕、二階から見てました」
彼は、その窓のかたちを手で作った。指で四角を作って、その下半分だけを残す。カーテンの下から見ていた、という意味だと私にはわかった。二年前のあの日、私はあの家の前に二十分立っていて、一度も二階を見上げなかった。見上げなかったのは、見上げるのが失礼だと思ったからである。失礼だと思って避けたその窓から、ずっと見られていた。
「二人が来るの、十五分前から見てました」
「知ってた?」
私はあとでドパガキに聞いた。
「知ってた」
「知ってて座ってたの?」
「座ってた」
彼は、体育館の床のほうを見ていた。
「見られてるほうが、都合よかったからな」
その日の夜、二十二時四十七分に、私は自分のスマホを見た。理由はない。いや、理由はあった。
十四人のフォロワーのアカウントが、まだ毎日投稿しているかを確認したのである。
投稿は、あった。窓の外。電柱が一本。三月の、まだ寒そうな空。いいねは、ゼロだった。
私は、押さなかった。押さない理由も、たぶん、彼から教わったものだった。
二十三時十一分に、通知が来た。土場我輝が、投稿していた。三年間で、初めてである。
私は、それを見た。十五秒だった。内容は、書かない。四十秒後に、消えた。
私は、閲覧者リストを見なかった。
見れば、誰が見たかわかったはずである。何人が起きていて、何人が通知をオンにしていたのか、全部わかったはずである。
私は、見なかった。
理由は、うまく説明できない。
ただ、二年前のあの日、彼が古市奏太に言った言葉を、私は覚えていた。
「三十八人中、四人が、深夜一時四十七分に四十秒以内に見た」
私は、その四人のうちの一人になりたかったのだと思う。数えるほうではなく。
翌朝、彼から連絡が来た。
『見た?』
三文字である。私は返した。
『見た』
しばらく間があって、こう来た。
『何人だった?』
私は、その一行を三分見てから、返した。
『見てない』
彼から、それきり返事は来なかった。三日後に、一言だけ来た。
『そうか』
それだけだった。
四月から、私は県外の大学に行く。彼は、何も決まっていない。三月の終わり、私は最後に一度、駅で彼に会った。
「進路、決まった?」
「決まってねえ」
「そう」
「あんたは」
「決まってる」
「そうか」
私たちは、それで五分くらい黙っていた。ホームのアナウンスが、二回鳴った。三月の終わりのホームは、風が線路の向きに抜けていく。彼は制服を着ていなかった。私も着ていなかった。私服の彼を見るのは、二年間で四度目である。四度とも同じ上着だった。それに気づいてしまったことを、私はその場では言わなかった。
「あのさ」
「うん」
「六十七件だったよな」
「六十八件よ」
私は訂正した。
「最後、苅田先生のがあったでしょう」
「あー」
彼は、そこで少しだけ首を傾けた。
「覚えてねえ」
「知ってる」
電車が来た。彼は乗らなかった。私が乗ってから、彼はスマホを取り出した。ホームの真ん中で、動かなくなった。
私は、窓からそれを見ていた。電車が動きだしてから、彼の姿はすぐに柱の向こうに入って、それきり見えなくなった。彼は、たぶん、二十分くらいそこにいたと思う。二十分というのは、私が二年間で覚えた彼の単位である。十二分、十四分、十七分、十九分。数えていたのは私で、彼は一度も自分では数えていない。
猫が寿司を握る動画を見ていたのかどうかは、わからない。私は聞かなかった。
これが、高校三年間の、最後である。
なお彼は、翌週にはこの日のことを、きれいさっぱり忘れていた。
私は忘れていない。




