最後の依頼
卒業式の三日前、苅田先生が依頼に来た。
「探してほしい人がいるの」
彼女は、生徒会室のドアを閉めてから、そう言った。閉めてから話しはじめた人を、私はこの二年で何人か見ている。
「十一年前の卒業生よ。一年目の教え子。……三年目に、電話をくれた子」
私は、その話を知っていた。一年生の秋に、先生が一度だけ話したことがある。話したというより、こぼしたに近い。職員室の印刷機の前で待っているあいだの、三十秒だった。あのとき先生は名前を言わなかったし、私も聞き返さなかった。聞き返さないほうがいい種類の話だというのは、そのときの顔でわかった。
卒業式の日の写真を求めてきた子である。母親を亡くしていて、卒業式が最後だった。
先生は、その写真を渡せなかった。それ以来、十一年間、卒業式の投稿を保存している。
「連絡先は」
「無いの」
彼女は、鞄から古い手帳を出した。角が丸くなっていた。
「当時の番号は、もう使われてない。住所も変わってる。……同期の子も、誰も知らないの」
「一つめ、アルバム」
ドパガキは、十一年前の卒業アルバムを開いた。
「名前は」
「沢村さん」
「三年何組」
「A組」
彼は名簿を見た。指が、三十八人ぶんを上から下まで滑った。
「同期、三十八人か。……で、この学年、アカウントが残ってる奴が何人いる」
「わからないわ」
「調べる」
彼は二日かかった。
三十八人のうち、いまも動いているアカウントは十四あった。そのうち、沢村さんと繋がっているものは、一つもなかった。
「無いのね」
「無い」
彼は、その十四をまとめて閉じた。
「……で、そこからだ」
「二つめ、逆から探す」
彼は、学校の公式アカウントを開いた。
「本人が見つからないなら、本人が見てるものを探す」
「見てるもの?」
「十一年前の卒業生が、いま見てそうなもんだ」
彼は、フォロワーの一覧を出した。
「学校の公式アカ、五年前からある。……で、フォロワーに、卒業生が混ざってる」
彼は、そのリストを三つに分けた。
「三百二十人。……このうち、在校生と保護者を引くと、六十一人が卒業生だ」
「三つめ、投稿」
彼はその六十一人を、一人ずつ見た。
四時間かかった。四時間を、私は壁の時計で数えていた。そのあいだ、引き継ぎの書類を仕上げて、二回お茶を替えた。彼は一度も立たなかった。六十一人分のアカウントを一つずつ開いて、投稿を上から下まで送る。ほとんどは何も出ない。何も出ないことを確かめるために画面を送る時間が、四時間のうちの三時間五十分くらいを占めている。私はその三時間五十分を、この二年で何度も横で見てきた。
「一人、三月一日にだけ投稿する奴がいる」
「え?」
「年に一回だ。三月一日だけ」
彼は画面を見せた。
「五年ぶんある。五件だけだ」
五件の写真は、全部同じだった。
うちの学校の校門である。
外から撮っている。中には入っていない。
文章は、五件とも無かった。日付だけが五つ、一年ずつ離れて並んでいる。写真は五枚とも、校門の右の柱が画面の中央に来ていた。撮り方に工夫がなく、同じ構図で、同じ時間で、同じ距離である。上手く撮ろうとしていないのが、五枚並べるとはっきりわかった。撮って残すためではなく、来たことを自分に確かめるための写真に見えた。
「決定打」
彼は五件の位置情報を見た。
「五件とも、校門から三十メートルだ」
彼は、そのうえで時刻を並べた。
「十時四十分、十時三十五分、十時四十二分、十時三十八分、十時四十分」
私は、その時刻に心当たりがあった。心当たりがあってから、少し息が止まった。心当たりの中身は、そのときはまだ見えていない。
「卒業式の、終わる時間」
「そうだ」
彼はスマホを置いた。
「十一年、毎年来てる」
苅田先生は、その画面を長いこと見ていた。眼鏡を外さなかった。
「五年分しか無いのね」
「アカウントを作ったのが五年前だからだ」
彼は、五件を一列に並べた。撮る位置が、五枚とも同じだった。
「その前は、たぶん撮ってない。……でも、来てたと思う」
「なんで」
「五年目でこの慣れ方はしねえよ」
彼は、その五枚を先生のほうに向けた。
「撮る位置が五回とも同じだ。三十メートル。……同じ場所に立ってる人間の写真だ」
「渡しに行きますか」
私が聞くと、先生は首を振った。
「行かないわ」
「え」
「明後日、来るもの」
彼女は、手帳を閉じた。
「十時四十分に、校門の外に」
三月一日。卒業式は、十時三十分に終わった。苅田先生は、校門の外に出た。私は、離れたところから見ていた。
十時四十一分に、一人の女性が来た。三十歳くらいだった。スマホを構えて、立ち止まった。立ち止まった場所は、たぶん三十メートルのところだった。
先生が、その人に声をかけた。
何を話したのかは、聞こえなかった。私は聞きに行かなかった。二人は、五分くらい話した。
先生が、封筒を渡した。
その人は、それを受け取って、しばらく持っていた。開けなかった。両手で持ったまま、一度だけ校門の中を見た。式が終わったあとの校門は、人が出てくる一方で、誰も入っていかない。その人は、十一年間ずっとこの向きで立っていたのだと思う。中に入る用事がないというのは、そういうことである。
そして、頭を下げて、帰っていった。
「渡せたのね」
私が言うと、先生はうなずいた。
「十一年かかったわ」
「……」
「毎年来てたなんて、知らなかった」
彼女は、校門の外のほうを見たままだった。
「学校の前を、毎年」
ドパガキは、校門のブロックに座っていた。例によって、スマホを縦にしていた。
「先生」
彼は画面から目を離さずに言った。
「なに」
「来年も来ると思うぞ、あの人」
「そうかしら」
「来るよ」
彼は、そこで一度だけ顔を上げた。
「十一年やってんだから、一回渡したくらいで止まらねえ」
先生は、少し笑った。
「そうね」
「で、来年も撮ると思う」
彼は、また画面に戻った。
「校門の外から」
これが、彼が高校でやった最後の事件である。
依頼人は教師だった。事件は起きていない。誰も泣かなかった。私はそれを、六十八件目としてノートに書いた。
「うわ」
「今度は」
「猫が校門の前にいる」
「入れないの?」
「入らねえ」
彼は、ブロックに座ったまま足を伸ばした。
「外にいるほうが好きな猫もいる」
彼は十四分動かなかった。その日は、私も先に帰らなかった。ブロックの隣に鞄を置いて、校門の外を見ていた。三十メートルというのは、思っていたより近い。声を出せば届く距離である。十一年、この距離に立っていた人がいて、こちらの誰も気づかなかった。気づかなかったことを責める相手がいないので、私はただ、その三十メートルを目で測っていた。




