二月の炎上
二月の全校集会で、苅田先生が十七分間話した。
三年生を送る話である。私はその場にいた。体育館は寒くて、私は途中から足の裏の感覚がなかった。二月のあそこは、外より寒いことがある。石油ストーブが二台、壇の脇に置いてあるが、あれは前の五列ぶんしか温めない。私は風紀委員なので、いつも一番うしろの壁際に立っている。壁は氷のようだった。
三日後、そのうちの三十秒が切り抜かれて、外に出た。
『努力しても報われないことはあります』
その一文が、切り抜きの真ん中にあった。再生数は、四日で二十万回になった。コメントは、教師への批判で埋まっていた。
「あの三十秒だけ聞いたら」
苅田先生は、職員室の椅子を回してこちらを向いた。
「たしかに、ひどいこと言ってるわよね」
彼女は落ち着いていた。落ち着きすぎていた。加湿器のスイッチを、話しながら二回押していた。
「先生、反論しないんですか」
「しないわよ。……言ったのは本当だもの」
私は、あの十七分を聞いていた。というより、聞かされていた。壁際に立って動けないので、聞くしかない。あのとき私は退屈していて、話の半分は右から左に抜けていた。それでも、この一文の前後だけは覚えている。覚えているのは、そこで先生が一度、言葉を探して黙ったからである。三秒くらい黙った。
前後は、こうだった。
『努力しても報われないことはあります。それは本当です。だから、報われなかったときに、自分を責めなくていいように、いまのうちに、報われなかった人の話を聞いておいてください』
三十秒には、後半が入っていなかった。
「一つめ、繋ぎ」
ドパガキは、切り抜きの音声を見た。
「頭とケツ、両方切ってる。……で、フェードがかかってる」
「意味があるの」
「ある。繋ぎ目を隠すためじゃない」
彼は、その両端の波形を指した。同じ形の三角が、二つあった。
「機械が自動でかける処理だ。……編集ソフトの初期設定だよ」
「じゃあ、手で編集してないってこと?」
「手で切ってはいる。でも、いじってない」
「二つめ、切り出し位置」
彼は、十七分の音声波形を出した。
「見ろ。十七分のうち、ここが一番でかい」
彼は一点を指した。私にも、そこだけ山が高いのがわかった。
「音量?」
「音量だ。……で、切り抜かれてるのは、ここを中心に前後十五秒ずつだ」
彼はスマホを置いた。
「内容で選んでない」
「三つめ、投稿者」
彼は切り抜きアカウントを開いた。投稿は、四千件を超えていた。
「一日十件くらい上げてる。……全部、誰かの喋りの切り抜きだ」
「四千件も見てるの?」
「見てねえよ。四千件見るのは不可能だ」
彼は、投稿の間隔を見た。
「一件あたり、平均六分で上げてる。……六分で十七分の動画は聞けない」
「で、決定打」
彼は、その切り抜きアカウントの過去の投稿を三十件確認した。
「三十件のうち二十八件が、元動画の一番音量がでかいところだ」
彼は、三十本の波形を紙に並べて描いた。二十八本の印が、同じ位置に落ちた。
「この人、波形を見て切ってる」
「聞いてないってこと?」
「聞いてない」
彼はスマホを置いた。
「内容を知らないまま、二十万人に配ってる」
私たちは、その人に連絡を取った。返事が来るまで、四日かかった。
大学生だった。県外にいた。声は普通だった。普通すぎて、私は少し困った。普通の声が普通に聞こえることに、困っていた。
「そうです。波形で切ってます。そのほうが速いんで」
「内容は」
「聞いてないです。……いや、たまに聞きます。でも、だいたい聞いてないです」
「一日十件だからな」
ドパガキが言った。
「はい」
「聞いてたら間に合わねえよな」
「間に合わないです」
電話の向こうで、キーボードの音がしていた。話しながら、まだ切っているのだと思う。速い音だった。一定の速さで、迷いがない。この人は悪意で切っているのではなく、仕事として切っている。悪意なら止められる気がしたが、仕事は止められない。私はそのことに、そのとき初めて気づいた。
「これ、収入なんで。月に六万くらいで」
「あのさ」
「はい」
「あんた、あの三十秒の後半、聞いた?」
電話の向こうが、静かになった。キーボードの音も止まった。
「……聞いてないです」
「聞いてみ。いま」
彼は待った。一分くらい、何も聞こえなかった。それから、彼が言った。
「……あ」
「二十万人が見てる」
「はい」
「あんたも見てねえのにな」
「……はい」
「オレはあんたを責めねえよ。オレも三秒で飛ばす側だ」
彼は、スマホを耳から少し離した。
「でも、これだけ言う」
彼はスマホを持ち直した。
「十七分喋った人間がいるんだよ」
切り抜きは、削除された。
削除の理由は「著作権」だった。内容ではなかった。それが一番、私には応えた。内容で消されたのなら、まだ形が見える。
炎上は、二週間で収まった。次のものが流れてきたからである。
苅田先生には、ドパガキが直接話した。
「先生」
「なに」
「あの日、十七分喋ってんだよな」
「そうね」
「で、三十秒しか残ってない」
彼は、職員室の窓のほうを見た。
「全部上げろよ、十七分」
先生は、少し笑った。
「誰も見ないわよ」
「四十人見る」
彼は即答した。
「え?」
「あの日、聞いてた奴が四百八十人いる。……そのうち四十人は、後半を覚えてる」
彼は、そこで指を四本立てた。
「四十人が見て、四十人が『そうだった』って言えば、それでいいだろ」
十七分の動画は、学校のアカウントに上がった。再生数は、三千回だった。二十万分の三千である。
「少ないわね」
先生が言った。
「三千人だぞ」
ドパガキは、そこで加湿器のスイッチを見た。二回押されたぶん、湯気が濃かった。
「体育館に入りきらねえ」
「あなた、それ何回言うのよ」
「言うよ。……そのたびに本当だからな」
彼は自販機の前で止まった。
「うわ」
「今度は」
「猫が十七分寝てる」
「切り抜きは?」
「ある。三十秒だけ切ってある」
「どこを?」
「一番でかいあくびのとこ」
彼は十四分動かなかった。私は、あの日の寒さを、そのあいだ思い出していた。十七分、私は足の裏の感覚が無かった。それでも、後半を覚えている。二十万人は覚えていない。覚えていないのではなく、最初から渡されていない。渡されなかったものを覚えていないことで、あの人たちを責めるのは筋が違う気がした。筋が違うと思いながら、私は少し腹を立てていた。
なお彼は、翌週にはこの事件のことを、きれいさっぱり忘れていた。




