センター街の少女
二月十日の夜、峰岸ゆいから連絡が来た。
一年半前、おすすめ欄が家出動画で埋まると相談に来た人である。いまは三年で、受験が終わったところだった。
『妹がいません』
それだけだった。四文字である。彼女の文章は、いつもこれより長い。一年半前に相談に来たときも、彼女は前置きから書く人だった。用件に入るまでに三行あって、謝る一文が必ず入っていた。その人が四文字で送ってきている。私は自分の指が冷たくなっているのに気づいて、それから返事を打った。
峰岸美結は、中学三年である。公立高校の入試まで、あと二十日だった。
「夕方から帰ってないんです」
ゆいさんの声は、電話の向こうで一定だった。一定にしようとしている一定さだった。
「連絡は」
「つかないです。……電源、入ってます。既読はつかないです」
私は時計を見た。二十一時四十分だった。
ドパガキは、その連絡を見て、五秒で動いた。五秒で動く彼を、私は初めて見た。
「保存フォルダ」
「え?」
「あいつの保存フォルダ、いま見れるか」
「妹の?」
「そう」
ゆいさんは、少し黙った。
「見れます。……アカウント、共有してるんで。去年から」
「開けろ」
「一つめ、保存」
彼は画面を見た。
「夜行バスの動画が、また入ってる」
私は息を吸った。一年半前、消えたはずのものである。
「いつから」
「十二月十八日からだ」
彼は、その日付のところまでスクロールした。
「二か月ぶんある。……で、二十三本」
「多いの?」
「多くねえ。……でも、一年半前は一本だった」
「二つめ、投稿の間隔」
彼は美結さんのアカウントを開いた。
「今日、四件上げてる。……で、間隔が開いていってる」
彼は、四つの時刻を並べた。
「十六時二分、十七時十四分、十八時五十分、二十時三十一分」
「だんだん長くなってる」
「そう。……電池を節約してる」
彼は、四つの間隔を指で測った。七十二分、九十六分、百一分。
「充電できない場所にいる」
「三つめ、音」
彼は最後の投稿を再生した。
七秒の動画である。何も映っていなかった。ただ、暗い地面が映っているだけだった。彼は音量を上げた。
かすかに、アナウンスが入っていた。私には、人の声だということしかわからなかった。
「……バス」
「バスターミナルだ。駅前ロータリーの西端。……夜行バス乗り場だ」
「で、決定打」
彼はスマホを閉じた。
「あいつ、履歴を消してる」
「え?」
「一年半前は、消してなかった。三か月分、丸ごと残してた。……今回は、検索履歴が全部消えてる」
「じゃあ、わからないんじゃ」
「わかるよ」
彼は立ち上がった。立ち上がる音が、椅子ごと鳴った。私は、彼が急ぐところを一年半のあいだ一度も見ていない。廊下を走らない。授業に遅れても走らない。体育の集合にも歩いて来る人である。その人が、椅子を鳴らして立った。私は、それだけで自分の呼吸が変わったのがわかった。
「消してるってことがわかる」
私たちは、駅前に走った。
ゆいさんが一番速かった。私は途中で一度、鞄を持ち直した。美結さんは、ロータリーの西端のベンチに座っていた。
膝の上に、小さいリュックが乗っていた。中学の遠足に持っていくような大きさだった。県外まで行くには小さすぎる。二泊もできない。彼女はそれを両腕で抱えていて、腕の内側だけが白かった。私はその大きさを見て、この人はまだ帰る前提でいる、と思った。思ってから、それは私がそう思いたいだけかもしれない、とも思った。
ゆいさんは、走り寄って、何も言えずに立っていた。
私も、何も言えなかった。言葉を三つくらい用意して、三つとも捨てた。ドパガキは、少し離れたところで、ベンチの端に座った。
そして、スマホを縦にした。いつもの姿勢である。
十分くらい、誰も何も言わなかった。それから、彼が言った。
「バス、何時のだ」
美結さんは、少し驚いた顔をした。
「……二十三時十分です」
「あと五十分か」
「はい」
「行き先」
彼女は答えなかった。
「一年半前」
ドパガキは、画面から目を離さなかった。
「はい」
「あんた、履歴消してなかったよな」
「……はい」
「今回は消してる」
彼は、そこでも目を上げなかった。
「それ、本気だってことだぞ」
美結さんの手が、リュックの紐を握った。
「行っていいぞ」
私は思わず彼を見た。
「え」
「行っていい。……オレは止めねえよ」
彼は、スマホを膝に伏せた。
「あんた、十五だ。金がいくらあるか知らんけど、たぶん足りない。行った先で困る。……でも、それはあんたの問題だ」
彼はそこで、初めて顔を上げた。
「一個だけ言う」
「……はい」
「行き先だけ、姉に送れ」
美結さんは、答えなかった。
「家出ってのは、消えることじゃない」
彼は、ロータリーのほうを見た。バスが一台、入ってきて、出ていった。
「移動することだ」
彼はスマホをポケットに入れた。
「消えたら、あんた、誰にも見られない。……で、あんた、一年半前、見られたかったんだろ」
長い沈黙があった。二十三時十分のバスが来た。美結さんは、乗らなかった。
理由は、本人にも説明できなかった。私たちも聞かなかった。バスは十一分停まって、それから出ていった。行き先の表示が角を曲がって見えなくなるまで、四人とも同じほうを向いていた。ゆいさんは泣かなかった。泣かない人だというのは、一年半前に一度見て知っている。
彼女は、二十日後に入試を受けた。受かった。うちの高校ではなく、隣の市の高校である。
四月に、彼女は電車で通いはじめた。
一年後の夏、彼女はあの夜行バスに乗った。
修学旅行ではない。友達と二人で、県外のライブに行くためである。そのときの写真が、ゆいさんから送られてきた。
バス乗り場のベンチに、二人が座っていた。同じベンチだった。
「あのとき、止めなくてよかったの?」
私は、ずっとあとになってドパガキに聞いた。
「止めてねえよ。あいつが乗らなかっただけだ」
「あなたが座ったからでしょう」
「座っただけだ」
彼は、そこで肩をすくめた。
「オレはなんもしてない」
「そうね」
「ほんとになんもしてない。五十分、動画見てただけだ」
「そうね」
「なんで笑ってんだよ」




