窓から見ていた
十月。中間テストが終わって、学校が少しだらけている時期だった。事件は、深夜のプールから始まった。
「侵入?」
「そう。九月二十八日の深夜一時ごろ。プールサイドで撮った動画が上がってる」
私は自分のスマホをドパガキに向けた。彼は机に突っ伏したまま、片目だけそちらを向けた。
十五秒。暗い水面。フェンス。誰かの足がぶらぶらしている。ジオタグには、うちの学校の名前がついていた。
「で、疑われてんのが一年の宮下って子。バスケ部。その夜、家にいたって言ってるけど、証明できない」
「親は」
「夜勤。誰もいない」
「ふーん」
彼はスマホを閉じた。
「学校じゃねえよ、これ」
「一つめ、影」
彼は動画を止めた。プールサイドのフェンスの影が、細く長く伸びている。
「深夜一時に影が出てんだよ。しかもこの濃さ。月じゃない。照明だ」
「プールの照明、夜は落ちてるはずだけど」
「だろ。で、影が一本しかない」
私は画面を見た。たしかに、フェンスの影は一方向にしか出ていない。二方向あるはずのものが、一方向しか見えない。
「うちのプール、四隅にポールが立ってる。点けたら影が四本出る。……ここ、光源が一個しかない場所だ」
「二つめ、音」
彼は音量を上げた。水の音の下に、低い唸りが一定のリズムで入っていた。
「室外機。しかもでかい。業務用だ。学校のプールの横に、こんなもんは無い」
「三つめ、反射」
彼はフェンスの手前、水面のふちを指した。
「ここ、暗くて見えねえだろ。……〇.二秒だけ、右下が光る」
彼は再生をコマ送りにした。一瞬、水面に白い筋が走った。
「対向車のヘッドライトだ。車が通ってる。深夜一時に、二台。……うちのプール、道路に面してねえよ」
彼は顔を上げた。
「市民プールだ、これ。国道沿いの。あそこ、外から柵越しに撮れる」
「じゃあ、なんでジオタグが学校になってるの」
「そのほうが伸びるからだよ」
彼は当たり前のように言った。
「市民プールの夜景なんて誰も見ねえ。『高校に深夜侵入』なら見る。……嘘の中でいちばん安いやつだ」
「でも、じゃあ、投稿したのは誰なの」
彼は黙った。それから、めずらしく、こう言った。
「そこは、あんたのほうが得意だろ」
私は宮下くんに話を聞いた。彼は口が重かった。バスケ部の一年で、背が高くて、目を合わせない子だった。
「先輩たちにも聞かれました。何回も」
「その夜、家にいたのよね」
「はい。……でも、証明できないんで」
私は諦めかけた。証明できないことを証明する方法が、私にはわからなかった。そこで、ドパガキが言った。
「あー。あいつに聞けば」
「あいつ?」
「相原」
相原景の家は、通学路の途中にある。二階の窓が、道路に面していた。
私たちがインターホンを押すと、彼は少しだけドアを開けて、それから、意外なほどあっさり外に出てきた。
「九月二十八日?」
「そう。深夜一時ごろ」
彼は少し考えて、それから言った。
「誰も通ってないです」
「……え」
「その日、雨降ってたんで、窓開けてました。バイクも自転車も通ってないです。人も」
私は言葉を失った。
「なんで、そんなこと」
「見てるんで」
彼は淡々と言った。
「夜、寝れないんで。ずっと窓、見てるんです。……何時ごろに誰が通るか、だいたい決まってて」
「決まってる?」
「一時前に、犬の散歩のおじいさんが一人。二時に新聞のバイク。あと、たまに高校の人が自転車で。……九月二十八日は、雨だったから、全部いなかったです」
彼は少しだけ、恥ずかしそうにした。
「変ですよね」
宮下くんの家は、相原の家の先にある。
学校に行くには、必ずこの道を通る。深夜だろうと同じである。つまり彼は、その夜、学校に行っていない。
「証言になるの?」私は聞いた。「三か月学校に来てない子の証言が」
ドパガキは、ブロック塀にもたれていた。
「なるだろ」
「先生が信じるかって話よ」
「知らね。でも」
彼は相原のほうを見なかった。相変わらず、地面を見て喋っていた。
「あんた、三か月分の記録持ってんだよ」
相原の肩が、少し動いた。
「毎晩、何時に誰が通ったか。誰も持ってねえやつを」
「……ただ、見てただけです」
「うん。それが記録なんだよ」
相原は、何も言わなかった。
でも、玄関に戻らなかった。私たちが帰るまで、ずっと門のところに立っていた。角を曲がるまでに、私は二度振り返った。二度目は、もう見えなかった。
投稿者は、三日後にわかった。
宮下くんと同じクラスの、同じバスケ部の男子だった。私が探したのではない。三浦亮太が、頼んでもいないのに調べてきた。
「先輩、あいつです。市民プール、家の近くなんで」
私はその子に会った。彼は否定しなかった。
「伸びると思って」
「宮下くんが疑われたのは」
「……知らなかったです。マジで。俺、名前とか書いてないし」
たぶん、本当だった。彼は宮下くんを陥れようとしたのではない。ただ、嘘のほうが伸びると知っていただけだった。
ドパガキは、壁にもたれたまま天井を見ていた。
「わかるよ」
「え」
「オレも、伸びる嘘と伸びない本当だったら、伸びる嘘のほう見るからな。……見る側がそうだから、上げる側もそうなる」
彼は体を起こした。
「でもさ。あんたの嘘、四十人が信じたぞ」
「……」
「で、そのうち一人が、部活来なくなった」
動画は消えた。宮下くんは翌週から部活に戻った。相原景は、その次の週に、一時間目だけ学校に来た。
理由は聞かなかった。
帰り道、ドパガキがスマホを取り出した。
「うわ」
「今度は何」
「猫が餅ついてる」
「季節が早いでしょう」
「猫に季節はねえよ」
彼は十八分動かなかった。私は先に帰った。
なお彼は、翌週にはこの事件のことを、きれいさっぱり忘れていた。
ただ、相原景の家の前を通るとき、なぜか毎回、二階の窓を見上げるようになった。本人は、そのことに気づいていない。




