保護される数字
十月の終わり、一年生の女子が生徒会室に来た。
赤羽さんという子だった。上履きの踵が、まだ新しかった。
「同じ動画を、二人で上げたんです」
「同じ?」
「同じです。文化祭の準備の。二人で撮って、二人で別々に上げました」
彼女はスマホを差し出した。画面には、二つの数字が並べて表示してあった。並べて撮ったスクリーンショットである。並べて撮る、というところに、三か月が入っていた。
「向こうが八万回で、私が四十回でした」
「同じ内容?」
「同じです。同じ日、同じ時間、同じ場所。編集も一緒にやりました」
「上げた時刻は」
「五分違いです」
彼女は、そこを少しだけ強く言った。
「私が先です」
「一つめ、初速」
ドパガキは、二本のグラフを並べた。
「見ろ。最初の三十分だ」
「向こうが……」
「四百二十回。あんたは七回」
「三十分で七回」
七という数字は、私が知っている数字の中でも小さいほうだった。三十分は、授業の半分より長い。七回という数字が何を意味するのか、私にはわからなかった。
「七回だ。……で、ここで勝負がついてる」
彼は、グラフの左端を指で押さえた。私が見ていたのは、いつも右端だった。押さえられて初めて、左端の低さが見えた。
「三十分で四百回いった動画は、機械がもっと配る。七回のは、そこで止める」
「なんで最初から差がつくの」
「そこが今日の話だ」
「二つめ、アカウントの履歴」
彼は、二人の過去の投稿を並べた。
「向こう、去年の十一月に一本だけ伸びてる。十四万回」
「一本だけ?」
「一本だけだ。あとは全部三桁。……で、あんたは、一度も伸びたことがない」
赤羽さんは、否定しなかった。否定するところではない、という顔だった。十月の終わりで、窓の外はもう暗い。蛍光灯が一本、机の上だけを白くしていた。
「はい」
「これが全部だ」
彼は、その一本を指した。
「機械はな、一回伸びた奴を覚えてる」
「三つめ、フォロワーの活性」
彼は数字を出した。
「フォロワーの数はほぼ同じだ。向こう三百十、あんた二百八十。……で、開封率が違う」
「開封率?」
「フォロワーのうち、何%がその投稿を実際に見たか。……向こうは十八%。あんたは四%」
「そんなに」
「そんなにだ。……で、これも過去に引きずられてる」
彼は、二つの数字を並べて書いた。
「去年伸びたとき、向こうのフォロワーは『この人の投稿は見る価値がある』って学習された。……機械にじゃない。フォロワーの指にだ」
「で、決定打」
彼は、二本の動画をもう一度並べた。
「中身は同じだ。オレが見た限り、完全に同じだ。編集も、音も、長さも」
彼はスマホを机に置いた。私は、そこで初めて、この話がどこへ行くのかを理解した。
「中身は関係ないんだよ、これ」
赤羽さんは、しばらく黙っていた。
「じゃあ、私、もう無理ですね」
彼女は、笑って言った。三か月ぶんの笑い方だった。
「無理だな」
ドパガキが即答した。私は思わず彼を見た。
「ちょっと」
「無理だよ」
彼は繰り返した。言い直しもしなかった。
「あんたが機械に配ってもらうのを待ってる限り、一生四十回だ」
赤羽さんは、うつむいた。
「わかってました。三か月、毎日上げて、一回も伸びなかったんで」
私は、その三か月を想像しようとした。九十回上げて、九十回、数字が動かない。想像はできたが、たぶん本物とは違うものを想像していた。
「わかるよ。オレも見る側だから、たまに思う。……流れてこない動画は、存在しないのと同じなんだよ、こっちからすると」
彼は、椅子の背にもたれた。
「で、それはあんたのせいじゃない」
「……」
「順番の話だ。一回目に伸びた奴に、二回目が配られる。二回目に伸びた奴に、三回目が配られる」
彼は、指を三本順に折った。
「その一回目は、たいてい事故だ」
「じゃあ、どうすればいいんですか」
ドパガキは、しばらく黙った。
「四十回って、四十人だぞ」
「え」
「四十人が見てる。……あんた、その四十人の顔、思い浮かぶか」
彼女は少し考えた。考えている時間が、思ったより長かった。
「……十人くらいなら」
「じゃあ、その十人に直接見せろ」
彼は、スマホを彼女のほうに押し戻した。
「機械に頼むな。機械はあんたを配らない。……で、十人が十五人になるまでやれ」
「八万回にはならないですよね」
「ならねえよ」
彼は即答した。
「でも、四十人は消えねえ」
赤羽さんは、スマホを鞄にしまった。しまうときに、画面を一度も見なかった。三か月、見すぎていたのだと思う。
赤羽さんは、投稿を続けている。
十二月の時点で、平均六十回になった。三月には百二十回になった。八万回には、たぶん一生ならない。
だが彼女は、いま自分の動画を見ている人のうち、二十七人の名前を知っている。そう聞いた。
帰り道、私はその数を口に出した。
「二十七人」
「うん」
「八万人と、二十七人」
「比べらんねえよ、あれは」
彼は、歩幅を変えずに続けた。
「八万人は、二秒で通り過ぎた人間だ。二十七人は、名前を知ってる人間だ」
「どっちが上なの」
「上とかねえよ」
彼は自販機の前で止まった。
「でも、片方は消えるぞ」
「うわ」
「今度は」
「猫が二匹、同じことしてる」
「同じ?」
「同じポーズだ。片方が九十万で、片方が三百」
「かわいそう」
「かわいそうじゃねえよ。猫は数字知らねえもん」
「……そうね」
「飼い主が知ってる」
彼は十五分動かなかった。十五分を、私は数えていた。十月の終わりの風は、もう冷たい。私は、並べて撮られた二つの数字のことを、そのあいだ考えていた。
なお彼は、翌週にはこの事件のことを、きれいさっぱり忘れていた。




