一分の案件
九月の半ば、一年生が二人、私のところに来た。二人とも、同じ紙袋を持っていた。中身も同じだった。
「返金してほしいんです」
「何を買ったの」
「サプリです。三千八百円」
もう一人が、袋から出して机に置いた。封が切ってあった。半分くらい減っている。三千八百円で、半分である。二人とも同じ減り方をしていた。同じ日に買って、同じ日から飲んで、同じ日にやめたのだと思う。やめた日が、たぶん今日だった。
「先輩が『効いた』って言ってたんで」
その「先輩」は、三年B組の宇津木さんだった。
フォロワーは二千人いる。美容と勉強の動画を上げていた。問題の動画は、一分ちょうどだった。
サプリを手に持って、飲んで、「三週間で肌が変わりました」と言う。それだけである。
「広告って書いてないわね」
「書いてないです」
一年生は、そこで少し声を落とした。
「だから、本当に使ってると思ったんです」
「一つめ、持ち方」
ドパガキは、その動画を止めた。
「商品の持ち方な。ラベルが正面を向いてる」
「当たり前じゃない?」
「一分間、一度もズレてない」
彼は、自分の手にペットボトルを持って回してみせた。三秒でラベルが横を向いた。
「人間が普通に持つと、必ずズレる。これはずっと同じ角度で保ってる。意識してる」
「二つめ、同時期の他アカ」
彼は、三本を並べた。
「同じ商品の動画、この週に十四本上がってる。全部フォロワー千から三千の女子アカだ」
「多いわね」
「多い。……で、台詞が一致してる」
彼は、三本を同時に再生した。
三人が、ほぼ同じ言い回しで、同じ順番で喋っていた。声が三つ重なると、言葉の輪郭がはっきりした。私は、一本ずつ見せられていたら、たぶん気づかなかったと思う。
「『三週間で』『肌が変わった』『続けやすい』。……十四本とも同じ三点だ」
「三つめ、表記」
彼は概要欄を出した。
「十四本とも、広告表記がない」
「偶然じゃないの」
「十四本ともか?」
彼は、その十四本の概要欄を、順に送った。どれも同じ長さで、同じくらい何も書いていなかった。
「一人二人なら知らなかったで済む。十四人全員が知らないってのは無い」
宇津木さんは、否定しなかった。
「もらってます。一本三千円です」
「広告って書かないのは」
「書くなって言われました」
彼女は、あっさりスマホを差し出した。
「『広告表記を入れると自然さが失われるので、今回は個人の感想として投稿してください』って、そう来ました」
「契約書は」
「ないです。全部メッセージです」
ドパガキは、そのメッセージを読ませてもらった。
読むのに、一分かかった。一分を、私は数えていた。彼が文章を一分読むのを、私は初めて見た。この人は、四千件を四十分で流す人である。文字を読むのが遅いわけではない。遅く読んだのは、一行ずつ意味を確かめていたからだと思う。確かめる必要のある文章だった、ということでもある。
「一つ聞くけどな。あんた、これ三週間使った?」
宇津木さんは、少し黙った。
「……四日です」
「四日か」
「商品が届いて、四日後が納期だったんで」
「わかるよ。三千円だ。オレでも受ける。バイトより楽だしな」
彼は、メッセージの画面を返した。
「でもさ、これ読めよ」
彼は、画面の一行を指した。
「『広告表記を入れると自然さが失われるので』……言い方が上手すぎる」
「え」
「『嘘をつけ』とは一言も書いてない。書くなとも書いてない。『今回は個人の感想として』だ」
彼は、その指を離した。
「もし問題になったら、あんたが勝手にやったことになる」
宇津木さんの顔が、少し変わった。
「あんた、言わされてるんじゃないんだよ」
彼は言葉を切って、言い直した。
「言わないことを、選ばされてる」
「あと、金の話な」
「はい」
「一本三千円だ。あんたのフォロワー、二千人」
「はい」
「一人あたり一円五十銭だぞ」
宇津木さんが、こちらを見た。私は、何も言えなかった。
「あんたが二年かけて集めた二千人を、三千円で貸してるんだよ」
宇津木さんは、その日のうちに動画を消した。そして、翌日、一分の動画を上げた。
内容は、案件を受けたこと、四日しか使っていないこと、三千円だったこと、そして「広告と書かないよう言われた」ことだった。
一年生二人には、彼女が自分で返金した。三千八百円ずつ、二人ぶんである。七千六百円の赤字だった。
帰り道、私はその差を口に出した。
「三千円もらって、七千六百円払ったのね」
「四千六百円の損だな」
「損した?」
「してねえよ」
彼は、いつもの計算の顔になった。
「四千六百円で、二千人が残った」
彼は自販機の前で止まった。
「一人あたり二円三十銭だ。さっきより高いぞ」
「そういう計算……」
「するよ」
十四本のうち、消えたのは三本だった。残りの十一本は、いまも上がっている。その会社は、いまも同じ文面のメッセージを送っている。
「十一本、どうにかならないの」
「ならねえよ。オレらは十四人に会えねえもん。会ったのは一人だ」
「……」
「で、その一人が消した」
彼は、指を一本立てた。
「十四分の一だ」
「少ないわね」
「ゼロよりは多い」
「うわ」
「今度は」
「猫がサプリ飲んでる」
「猫にサプリ?」
「猫用だ。広告って書いてある」
「……えらいわね」
「猫は嘘つかねえからな」
彼は十一分動かなかった。私は、机に置かれた封の切れた瓶を、そのあいだ思い出していた。半分減っていた。半分が私の目にどう見えたのかは、もう思い出せない。二人とも、三週間分は飲んでいない。
なお彼は、翌週にはこの事件のことを、きれいさっぱり忘れていた。




