中学の裏アカ
峰岸美結から連絡が来たのは、八月の終わりだった。
一年前、姉の端末で家出を調べていた中学生である。いまは中学三年になっていた。
「後輩が晒されてます」
文面は、一年前より少し長くなっていた。
「うちの中学の裏アカです。……高校の人、入れないと思うんですけど」
市立瀬々良木中学校の裏アカは、鍵がかかっていた。在校生しか承認されない。
「私、まだ入れます」
「じゃあ、あなたが見て、教えてくれる?」
「はい」
彼女はうなずいた。制服が、去年より少し大きく見えた。中学の制服は、三年でそうなるらしい。買うときに大きめを買って、三年目にちょうどになる。この人の場合は、まだ大きい。去年の夏、この人は姉の端末を持って生徒会室に来た。あのときも、同じ制服だった。
そして少し間を置いて、こう言った。
「私も、去年、載ってたんで」
晒されていたのは、二年生の男子だった。
五月から学校に来ていない。投稿は、それを責める内容だった。
『来ないのに成績だけついてるのずるくない?』
『進路どうすんの』
『先生も甘やかしすぎ』
「三か月続いてます。毎週です」
美結さんは、画面をスクロールしながらそう言った。指の動きが、速い。慣れている速さである。
「一つめ、校内放送」
ドパガキは、投稿に添えられた動画を再生した。
教室を撮ったものである。誰も映っていない。空いた席が一つ、映っているだけだった。
「背後に放送が入ってる。……下校の音楽だ」
「時刻がわかるのね」
「わかる。……で、これ、うちの高校とは違う曲だ」
私は、その音楽を聞き取ろうとした。生活音に埋もれて、私には旋律の途中しか拾えなかった。三音か四音である。それが何の曲かは、たぶんその中学の生徒なら誰でもわかる。私は違う中学だった。同じ市内なのに下校の音楽が違うということを、私はその日まで知らなかった。
「中学の?」
「中学のだ。十六時十分」
「二つめ、給食」
彼は別の投稿を出した。
「この写真、給食のトレーが端に映ってる。献立表と照合すれば日付が出る」
「献立表、公開されてるの?」
「市のサイトに載ってる」
彼は、そこを三分でめくった。
「六月十四日。九月二日。……十一件、日付が出た」
「三つめ、床」
彼は、動画の床を拡大した。
「体育館の床。……ラインの色が、塗り直されてる」
「意味があるの」
「ある。この中学、七月に体育館を改修してる。改修前と後で、ラインの色が違う」
彼はスマホを机に置いた。
「で、七月以降の投稿にも、改修前の床が映ってる」
「使い回し?」
「使い回しだ。……新しい写真を撮ってない」
「で、決定打」
彼は、十一件の投稿時刻を並べた。
「全部、十六時二十分から四十分」
「下校直後ね」
「そう。……で、投稿の直前に、必ず教室の写真がある」
彼は、その十一枚を一列に並べた。全部、同じ角度の、同じ空席だった。
「毎回、下校時刻に教室に残って、空いた席を撮ってから投稿してる」
「三か月」
「三か月だ。……毎週、居残ってる」
美結さんが、その子を連れてきた。
三年生の女子だった。学級委員をしているらしい。背筋がまっすぐで、話し方が丁寧で、私は最初、彼女が犯人だとは思えなかった。思えなかった理由を、いま並べてみても、私にはよくわからない。
彼女はあっさり認めた。
「私です」
「なんで」
「ずるいからです」
彼女は、鞄を膝に乗せたまま座った。
「あの子、来てないのに成績いいんです。私、毎日来てるのに」
「毎日来てんだよな」
「はい」
「三年間?」
「三年間です。一日も休んでないです」
彼女は、そこを少し強く言った。
「皆勤です」
彼は、そこで少し黙った。
「三年間、一日もか」
「一日もです」
「熱出しても?」
「出しても行きました」
「うん」
彼は、椅子の背から体を起こした。
「じゃあ、聞くけど」
「はい」
「来たくて来てんの?」
彼女は、答えなかった。
たぶん、十秒くらい黙っていた。廊下で、誰かがロッカーを閉めた。九月である。中学の廊下は高校のより天井が低くて、音がよく響く。十秒のあいだ、この人は膝の上の鞄を一度も動かさなかった。来たくて来ているのか、という問いに、十秒かかった。
「意味が、わからないです」
「そうか」
ドパガキは食い下がらなかった。
「じゃあ、いい」
彼はスマホを取り出した。
「あんたが上げた十一件、日付も時刻も場所も全部出てる。先生に出せば三日で終わる」
「……はい」
「出すかどうかは、そこの二人が決める」
彼は、美結さんと私を、指で順に示した。
私は、その十一件を先生に出さなかった。美結さんが「待ってほしい」と言ったからである。
彼女は、その学級委員の子と、二回話した。何を話したのかは教えてもらっていない。
投稿は止まった。三か月ぶりに、その週は何も上がらなかった。十月に、その学級委員は一日休んだ。
三年間で初めてだったらしい。
「なんで待ってって言ったの」
私が聞くと、美結さんは少し考えた。
「去年、私が載ってたとき」
彼女は、スマホを裏返して机に置いた。
「誰も、書いた人を晒さなかったんで」
「……」
「晒されてたら、たぶん、もっとひどくなってました。私も、書いた人も」
彼女は、そこで一度だけ笑った。
「あと、書いた人、たぶん、しんどかったと思うんで」
帰り道、私はその声の大きさを思い返していた。
「あの子、しんどかったのかしら」
「知らね」
「皆勤って言ったとき、声が大きかったわ」
「大きかったな」
彼は、歩幅を変えずに続けた。
「三年間、一日も休んでないって、先に言ったんだよ、あいつ」
「……」
「聞いてねえのにな」
彼は自販機の前で止まった。
「うわ」
「今度は」
「猫が学校に入ろうとしてる」
「入れるの?」
「先生が止めてる」
「……ダメなの?」
「猫はダメだ」
彼は十三分動かなかった。十三分を、私は数えていた。八月の最後の風は、まだ夏のものだった。私は、皆勤という言葉を、そのあいだ何度か考えていた。三年間一日も休まない人と、五月から来ていない人が、同じ学年にいる。片方が片方を責める形になったが、責めていたものは、たぶん相手ではなかった。
なお彼は、翌週にはこの事件のことを、きれいさっぱり忘れていた。




