商店街のバズ
八月。中央商店街の乾物屋に、行列ができた。
その商店街は、シャッターが七割下りている。行列ができたのは、たぶん二十年ぶりだった。
依頼人は、その店の主人だった。
七十四歳である。私たちの、初めての大人の依頼人だった。
丸尾さんは生徒会室には来られないので、私たちが店に行った。
店の奥は狭くて、鰹節の匂いがした。天井が低い。ドパガキは、入ってすぐに頭を少し下げた。木の棚が三段あって、上の段には埃がかぶっていた。下の二段だけが、手で触られた跡で光っている。四十年、この人が届く高さだけを使ってきた棚である。
「なんでうちがこうなったのか、教えてほしいんです」
「はい」
「先週の火曜から急に。若い人が来て、写真撮って、帰って。……売り上げは、先月の四十倍です」
「困ってるんですか」
「困ってます」
彼は即答した。木の椅子が、その拍子に鳴った。
「在庫がないんです。仕入れを増やしたら、来月どうなるか」
「一つめ、初動」
ドパガキは、店の椅子に座ってスマホを見ていた。
「バズの最初の四十分が全部だ。ここで火がつくかどうかが決まる」
彼は投稿を遡った。
「火曜の十九時十二分。一本目」
「これがきっかけ?」
「そう。……で、十九時十四分に二本目。十九時十七分に三本目」
「早いわね」
「早すぎる」
彼はスマホを膝に置いた。
「同じ店の投稿が、五分で三本上がる確率を考えろ」
「二つめ、三アカウント」
彼は三つを並べた。
「一本目、フォロワー四百。二本目、千二百。三本目、八千」
「だんだん大きくなってる」
「階段だ。小さいので火を点けて、中くらいで広げて、大きいので飛ばす」
私は、その三段を見た。四百、千二百、八千。言われるまで、ただの三本の投稿だった。三本とも、同じ店を褒めている。褒め方も、写真の角度も違う。違うから、私はそれを別々の人が別々に見つけたのだと思っていた。数字を縦に並べられて、初めてそう見えなくなった。
「これは事故じゃない。設計されてる」
「誰が」
「三アカウントの共通点を見る。……フォローが一つだけ重なってる」
「三つめ、写真」
彼は、一本目の写真を拡大した。店先の、乾物の並んだ木箱である。
「これ、火曜に撮ったもんじゃない」
「え?」
「影の角度が違う。あと、この木箱、いま店の奥にある」
私は店の中を見た。たしかに、同じ木箱が奥に積んであった。埃が薄くかぶっていた。積んである数は、暗くて数えられなかった。
「三か月前だ、これ」
彼は、その木箱と画面を交互に見た。
「三か月かけて素材を集めて、火曜に一気に出してる」
仕掛けたのは、うちの一年生だった。
篠田という子である。私は名前も知らなかった。
彼は、店の前で素直に認めた。
「僕がやりました」
「なんで」
「潰れそうだったんで」
彼は、シャッターの下りた向かいの店を見ていた。
「祖父ちゃんの代から買ってて。……春に、店主さんが『今年で終わりかも』って言ってて」
彼はうつむいた。
「それで、調べました。どうやったら伸びるか。三か月調べました」
「三アカウントは」
「二つは僕のです。三つ目は、頼みました。……ネットで知り合った人に」
丸尾さんは、その話を黙って聞いていた。それから、篠田くんに「ありがとう」と言った。
篠田くんは、泣きそうな顔をした。泣かなかった。この学校の子は、たいてい泣かない。
ドパガキは、店の椅子に座ったままだった。
「篠田。行列、いつまで続くと思う」
彼は、答えられなかった。
「三週間だ」
ドパガキは、指を三本立てた。指の間に、埃が薄く乗っていた。
「オレは見る側だから知ってる。この種類のバズは三週間で終わる。四週目には半分、二か月で元に戻る」
「……」
「で、店は仕入れを増やしてる。三週間のために、三か月分の在庫を抱える」
彼は、丸尾さんのほうを見た。
「じいさん。仕入れ、増やした?」
「……増やしました」
「戻せ。いますぐ」
篠田くんの顔が、白くなった。
「僕、店を潰しますか」
「潰さねえよ、仕入れを戻せば」
彼は椅子から立った。天井が低いので、また少し頭を下げた。
「でもな。三日で行列だ。すげえよ。オレにはできない」
「……」
「四か月後に誰もいなくなったとき、あんた、まだここに来るか」
篠田くんは、即答した。
「来ます」
「即答だな」
「ずっと来てるんで」
ドパガキは、少し黙った。鰹節の匂いが、その分だけ濃くなった気がした。
「じゃあ、いい」
彼は、篠田くんの肩の高さまで視線を落とした。
「バズは終わる。終わったあとに残る客が、店の売り上げだ」
彼は、そのあと三十分かけて、丸尾さんに三つのことを説明した。
行列の客のうち何割が二度目に来るか。仕入れをどう戻すか。そして、三週間のあいだに何をすべきか。
「常連の名前と顔を、この三週間で覚えてください」
彼は、珍しく敬語だった。
「二百人来ても、二度目に来るのは十人です。……その十人だけ覚えてください」
三週間後、行列は消えた。十一月に私が店の前を通ったとき、店は開いていた。客は三人いた。そのうち一人は、篠田くんだった。
帰り道、私はまだその三十分のことを考えていた。
「十人、覚えられたかしら」
「知らね」
「三十分も説明してたのに」
「あれは説明じゃねえよ」
彼は、歩幅を変えずに続けた。
「あのじいさん、四十年やってんだよ。オレより知ってる」
「じゃあ、何を説明してたの」
彼は、少し考えた。
「数字のほうが嘘だってこと」
彼は自販機の前で止まった。
「うわ」
「今度は」
「猫が乾物食ってる」
「あげちゃだめでしょう」
「じいさんがあげてる」
「……どこの?」
「あの店だ。さっき上げてた」
「……篠田くんが撮ったのね」
「たぶんな。……四百回しか回ってねえ」
彼は、その動画を七回見た。
十八分動かなかった。四百回のほうを、七回である。八千のほうも、千二百のほうも、この人は一度しか見ていない。四百回の、じいさんが猫に乾物をやっている動画を、七回である。私は、その差を数えた。数えただけで、意味は聞かなかった。
なお彼は、翌週にはこの事件のことを、きれいさっぱり忘れていた。




