↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
41/137

声が高すぎる

 七月の終わり、裏アカに音声が上がった。

 夏休みに入って四日目である。学校には、部活の生徒しかいない。それでも、話は半日で回った。人がいなくても、噂は回る。むしろ、そのほうが速い。

 四十七秒。教師が生徒を罵倒している音声である。声の主は、うちの学年主任だとされた。


「本人は否定してます」

 三浦亮太は、イヤホンの片方を私に渡してから、そう言った。

「否定するでしょう、そりゃ」

「でも、聞いた人はみんな『あの人の声だ』って言うんです」

 私も聞いた。

 たしかに、そう聞こえた。四十七秒のあいだ、一度も疑わなかった。学年主任の声を、私は三年間聞いている。朝礼でも、集会でも、注意されるときにも聞いた。聞き慣れた声だと思っていた。聞き慣れた声を、私は四十七秒のあいだ一度も確かめなかった。


「一つめ、ピッチ」

 ドパガキは、波形を出した。

「これ、加工されてる。下げてる」

「声を変えてるってこと?」

「元の声が高い。それを下げて、あの人の声域に寄せてる」

「そんなことできるの」

「できる。アプリで三十秒だ」


「二つめ、子音」

 彼は、音声を拡大した。

「ピッチを下げると、子音がついてこない。サ行とタ行の破裂が、ぐしゃっとなる」

 彼は、該当箇所を再生した。私は、三回聞いて、三回目でようやくその潰れがわかった。わかってしまうと、もう元には聞こえなかった。

「本物の低い声は、こうならない。低い声は、子音も低いところで鳴るからだ」

「三つめ、息継ぎ」

 彼は、間の部分を再生した。

「息を吸う音が入ってる。……で、息継ぎの間隔が短い」

「短いと?」

「若いんだよ。肺活量が違う」

 彼はスマホを机に置いた。

「四十七秒で、息継ぎが十四回。学年主任、五十過ぎだろ。あの人ならもっと少ない」


「で、決定打」

 彼は、最後の三秒を再生した。そこで、誰かが笑った。短い笑い声である。

「ここ。笑い声だけ、加工が甘い」

「甘い?」

「笑い声は音が急に変わる。加工が追いつかないんだよ。……ここだけ、元の声が出てる」

 彼は音量を上げて、もう一度再生した。高い声だった。

 明らかに、若い人の声である。私の背中が、そこで初めて冷たくなった。四十七秒のうち、〇.四秒だけ、本人が出ていた。


 一年D組の牧くんは、認めるのに時間がかからなかった。

「作りました」

「なんで」

「面白いと思って」

「面白い?」

「学年主任の物真似、僕、得意なんです。クラスでウケてて」

 彼は、少し笑った。それがすぐに消えた。

「それを、加工して上げたら、もっとウケると思って」


「バレると思ってた?」

「バレると思ってました」

 彼は即答した。

「加工、雑なんで。聞けばわかると思ってて。……『うますぎ』とか言われて終わると思ってました」

「思わなかったのね」

「思わなかったです」

 彼は下を向いた。

「みんな、本物だと思って」


 ドパガキは、壁にもたれていた。廊下の壁は、七月でも冷たい。

「わかるよ。オレも、これ本物だろって思って回したこと、何回もある。あとで違うって知って、そのまま忘れる」

 彼は、壁から背中を離した。

「で、あんた。バレると思ってただろ」

「……はい」

「バレねえよ」

 彼は、初めて牧くんを見た。

「誰も確かめねえんだよ、いまは」

 牧くんが、顔を上げた。

「四十七秒だぞ。確かめるには、波形見て、子音聞いて、息継ぎ数える。……三十分かかる」

 彼は肩をすくめた。

「三十分かけて確かめる奴が、この学校に何人いる」


 牧くんは、自分で名乗り出た。

 裏アカに、加工前の音声と、加工の手順を上げた。誰にも言われずに、そうした。音声は消えた。学年主任の件は、二週間で収まった。

 収まったというより、次の話題が来た、というのが正確だと思う。夏休みの噂は、賞味期限が短い。

 牧くんは、物真似をやめた。

「やめなくていいのに」

 私が言うと、彼は首を振った。

「うまくなりすぎたんで。……本物みたいになったら、もう、面白くないんで」


 学年主任は、牧くんを叱らなかった。代わりに、全校集会で五分間、この件の話をした。

 内容は「音声は加工できる」という説明である。それだけだった。誰かを責める言葉は、一つも入っていなかった。

 私は、その五分間が、この学校で一番まともな指導だったと思っている。まともなのかどうか、いまでも私にはよくわからない。


 帰り道、私はそのことを言った。

「あの先生、いい人ね」

「まあな」

「あなた、あの人のこと嫌いだったでしょう」

「嫌いだよ。授業がつまんねえ」

 彼は、あっさり言った。

「でも、あれはよかった」

「どこが」

「怒らなかったとこじゃなくて」

 彼は、足を止めた。

「説明したとこだよ」


 彼は自販機の前で止まった。

「うわ」

「今度は」

「猫が喋ってる」

「猫は喋らないでしょう」

「加工だ。人間の声を上げてる」

「……」

「下手だな、これ」

「わかるの?」

「子音が潰れてる」

 彼は十六分動かなかった。私は、その十六分のあいだ、〇.四秒のことを考えていた。四十七秒のうちの〇.四秒である。百分の一より少し多い。その百分の一を聞き取れる人が一人いて、残りは全員、四十六秒六のほうを本物として聞いた。多数決なら、四十六秒六が勝つ。


 なお彼は、翌週にはこの事件のことを、きれいさっぱり忘れていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。