匿名質問箱
七月。二年A組の関口さんの質問箱に、中傷が届き続けていた。三か月である。
「毎日じゃないんです。週に二回か三回」
彼女は、生徒会室の椅子に、背もたれを使わずに座っていた。
「内容は……言いたくないです」
「言わなくていいわ」
「でも、たぶん、同じ人です」
私は、その画面を見せてもらった。
読むのがつらい文章だった。人の容姿と、家庭のことと、成績のことが書いてあった。三件読んで、私は画面から目を上げた。
「三か月で、何件?」
「三十一件です」
彼女は即答した。
数えている。 私は、それが一番こたえた。三か月で三十一件である。週に二回か三回という言い方をしていたのに、総数は一の位まで出てきた。数えていない人は、こういう答え方をしない。この時点で、私はまだ何も疑っていなかった。ただ、その正確さだけが引っかかった。
「一つめ、時刻」
ドパガキは、三十一件の受信時刻を並べた。
「深夜が二件。あとは全部、十七時から十九時だ」
「帰宅後ってこと?」
「たぶんな。……で、土日が一件もない」
「学校にいる日だけ?」
「そう。……で、テスト期間中も一件もない」
「二つめ、変換」
彼は文面を並べた。私は、それを直視しないようにしながら、指の先だけを追った。
「誤変換が三か所ある。三か月で三か所。……同じ変換ミスだ」
「同じ?」
「『きもい』を打とうとして『気持ちい』になってる。三回とも同じだ」
彼は、自分の指で空中にフリックの動きをした。
「指が滑るとこうなる。……癖だ」
「三つめ、改行」
彼は三十一件を並べた。
「全部、二行目の頭が一字下がってる」
私は、そこを見た。たしかに、三十一件が同じ形に下がっていた。私は、それに三か月気づかなかった。
「わざと?」
「わざとじゃない。コピペの書式残りだ」
彼は、画面を斜めにした。
「どっかに書いてから貼ってる。メモ帳か、下書きか。……で、その元の書式が残ってる」
彼はスマホを机に置いた。
「送る前に、一回書いてるんだよ。三十一件全部」
「で、決定打」
彼は、関口さん自身の投稿を開いた。
「関口。あんたの投稿、三か月分見た」
「はい」
「あんた、二行目の頭が一字下がってる」
関口さんの手が、止まった。
「『きもい』を打つとき、同じ変換ミスをしてる。七月三日の投稿だ」
彼は、画面を彼女のほうに向けた。
「あと、深夜に送られた二件。……あんたのアカウントが、その三分後にログインしてる」
生徒会室は、静かだった。窓の外で、蝉が鳴きはじめていた。七月の午後である。この部屋は西向きで、この時間がいちばん暑い。三か月、この人はこの時間帯に自分あての文章を書いていた。十七時から十九時である。帰宅後だと彼は言った。帰宅後というのは、一人になったあと、ということだった。
「三か月、自分に送ってたんだよな」
関口さんは、答えなかった。
「三十一件。一件も忘れてない。件数を即答した」
彼は、机の上で指を組まなかった。ただ、画面を伏せた。
「……全部、自分で書いたからだろ」
彼女は、長いあいだ黙っていた。それから、小さな声で言った。
「一件目は、本物だったんです」
私は、顔を上げた。
「四月に、一件だけ。……本当に来ました。誰かから」
彼女は、指を見ていた。
「そのとき、友達が三人、すごく心配してくれて。ずっとそばにいてくれて」
「……」
「二週間くらいで、みんな普通に戻って。……それで、二件目を、自分で書きました」
私は、何も言えなかった。
「馬鹿ですよね。三十件も書いて。……自分の悪口を、三十件」
「読み返した?」
私は、聞いてしまった。聞いてから、聞くべきではなかったと思った。
「読み返しました。毎回」
ドパガキは、天井を見ていた。
「わかるよ。反応が欲しくて、何かをやるのはわかる。オレも数字が気持ちいいのは知ってる」
彼は、視線を戻した。
「でもさ、あんた」
「はい」
「匿名で書いた文章が、一番あんたっぽいの、わかってて書いてんだろ」
関口さんの肩が、動いた。
「三か月分、あんたの癖が全部出てる。変換ミスも、改行も、書式も。……隠す気ゼロだ」
彼はスマホを机に置いた。
「一件目の本物は、癖が全然違う。別人だ」
「……」
「あんた、自分の悪口を、自分の文体で書いてたんだよ。三か月」
「じゃあ、一件目の人は」
私が聞くと、彼は首を振った。
「わからん。……四月の一件だけだ。文体のサンプルが足りない」
「調べられないの」
「調べられない。一件じゃ癖が出ないんだよ」
彼は、関口さんのほうを見た。
「あんた、そいつを探してほしいか」
彼女は、しばらく考えた。蝉の声が、一度切れて、また始まった。
「いいです。……一件だったんで」
質問箱は、閉じられた。
関口さんは、三人の友達に自分から話した。三人がどう反応したかは、聞いていない。八月に、彼女は一度だけ私にメッセージをくれた。
『三十件、消しました』
それだけである。
帰り道、私はまだそれを考えていた。
「一件目のやつ、探せた?」
「探せねえよ。ほんとに」
「調べようとした?」
彼は、少し黙った。
「した」
「わかった?」
「わからん」
彼は、前を向いたまま続けた。
「わからんけど、一件でやめてるんだよ、そいつ」
「意味があるの?」
「意味はねえよ。……でも、三十件書いた人間より、一件でやめた人間のほうが多いと思う」
「それって、慰め?」
「知らね」
彼は自販機の前で止まった。
「うわ」
「今度は」
「猫が自分の写真にいいねしてる」
「猫が?」
「飼い主が、猫のアカで、自分の猫にいいねしてる」
「……」
「気持ちはわかる」
彼は十四分動かなかった。私は、三十一という数を、そのあいだ二回数え直した。三十件と、一件である。書いた側と、来た側が、同じ箱に入っていた。関口さんは、その三十一件を毎回読み返したと言った。読み返しているうちに、どれが本物だったかは、たぶんわからなくなる。
なお彼は、翌週にはこの事件のことを、きれいさっぱり忘れていた。




