塾の順位表
六月。駅前の進学塾の順位表が、ネットに出た。上位五十名。実名。所属校。点数。うちの生徒が十一人載っていた。
依頼に来たのは、三年D組の須賀くんだった。
痩せていて、鞄が大きい。中身の重さで、肩の片方が下がっていた。三年の六月である。この時期の三年生の鞄は、たいてい重い。重い鞄を持つ人が、四十七位で名前を出されている。四十七位というのは、五十人のうちの下から四番目である。上位五十名という枠の、いちばん端だった。
「僕、四十七位なんです」
「載ってしまったのね」
「載りました。……名前と、点数と」
彼は下を向いた。
「クラスで、その話しかされないんです。四十七位なのに」
「一つめ、折り目」
ドパガキはスクリーンショットを拡大した。
「これ、画面じゃない。紙を撮ってる」
「わかるの?」
「わかる。折り目が二本入ってる。縦に一本、横に一本。四つ折りだ」
私は、その二本を探した。言われて三秒くらいして、影の細い筋として見えた。縦の一本は真ん中で、横の一本も真ん中である。四つ折りにして、たぶん鞄かポケットに入れて持ち歩いた紙だった。掲示のために貼られた紙は、こういう折れ方をしない。
「掲示板に貼ってあるのを撮ったんじゃなくて?」
「違う。貼ってあるのは折らねえだろ。……配られたやつだ」
「配られる?」
「上位者には紙で渡す塾がある。自分の順位表を持ってる人間だよ」
「二つめ、光」
彼は、紙の表面を拡大した。
「上のほうがちょっと白飛びしてる。真上から蛍光灯。……で、紙の右下に影がある」
「影?」
「撮ってる人間の手の影だ。右手で持って、左手で撮ってる」
「三つめ、画角」
彼は、紙の四隅を順に見た。
「机に置いてない。膝の上か、手に持ったままだ。歪みが強い」
彼はスマホを机に置いた。
「机に置いて撮れば綺麗に撮れる。……急いでる、か、人目がある場所だ」
「で、決定打」
彼は、紙の上端を指した。そこには、名前が並んでいた。一位から順にである。
「一位の名前のとこ、指がかかってる」
私は目を凝らした。たしかに、上端に指の先が写り込んでいた。爪が、短く切ってあった。
「一位の名前を、指で隠しながら撮ってる」
「隠したかったの?」
「逆だ」
彼は、自分の指で紙を持つ真似をした。
「持ってるだけだよ。紙の上端を持てば、そこに指がかかる。……で、紙の上端は一位の欄だ」
彼は、その指を離した。
「自分の順位のとこは、指がかからない位置を選ぶもんだ。……この人、一位のとこを持ってる」
一位は、うちの三年生だった。
戸倉という生徒である。私は名前しか知らなかった。学年一位ではない。塾で一位なのである。
彼は、あっさり認めた。
「撮ってます」
「流したのも?」
「流してないです。一人に送りました。……そこから回ったんだと思います」
「なんで撮ってんの」
「毎回撮ってます。二年間」
「毎回?」
「はい。順位表が出るたびに」
「一位なのに?」
戸倉くんは、そこで少し黙った。廊下で、誰かが走っていく音がした。
「一位だからです」
ドパガキは、順位表をもう一度出した。
「一位のあんたが順位表撮る意味、一個しかねえだろ」
「……」
「二位を見てたんだよ」
戸倉くんが、顔を上げた。
「二年分あるんだろ、あんたの写真フォルダに。……二位の名前、全部同じじゃねえの」
彼は答えなかった。答えないのが、答えだった。
二位は、中津という生徒だった。
東雲高校の三年生である。中学までは、戸倉くんと同じ学校だった。
「小学校から一緒でした」
戸倉くんは、鞄の紐を握った。
「ずっとあいつが一位でした。中学まで」
「高校で逆転したのね」
「高一の夏に。それからずっと、僕が一位です」
彼は、自分の手を見た。指の関節に、ペンだこがあった。
「二年間、一度も抜かれてないです」
「じゃあ、なんで撮るの」
彼は、長く黙った。
「点差が、縮まってるんです」
彼は、自分のスマホを開いた。
二年分の順位表の写真が、日付順に並んでいた。四十枚以上ある。二年で四十回だから、月に二回近い。順位表が出るたびに撮っている。撮って、消していない。私は、その四十枚の並びを横から一瞬だけ見た。並んでいるだけで、それが何を数えている列なのかはわかった。
「最初、七十二点差でした。いま、四点です」
彼は、画面を私のほうに向けなかった。
「次で、たぶん抜かれます」
「送った相手」
戸倉くんは、うつむいた。
「中津です」
私は、息を吸った。
「四点差の表を、本人に送ったの?」
「送りました」
「なんで」
「……わかんないです」
彼は、本当にわからない顔をしていた。
「『次、抜かれる』って書いて、送りました。……そしたら、あいつ、それを人に見せて。そこから回りました」
ドパガキは、天井を見ていた。
「わかるよ。オレも、追いかけてるもんがあるとき、それを誰かに言いたくなる。……言う相手が、たいてい本人だ」
彼は、視線を戻した。
「でもさ、あんた」
「はい」
「四十七位の奴の名前も、その紙に載ってんだよ」
戸倉くんの顔が、止まった。
「あんたが見てたのは二位だ。それはいい。……でも撮ったのは、五十人分の名前だ」
彼は、指で紙の上から下までをなぞった。
「あんたの二年間のために、四十九人が写ってんだよ」
戸倉くんは、須賀くんに謝った。
須賀くんは「別にいいです」と言った。たぶん、よくなかったと思う。
順位表は、次の回から名前が伏せ字になった。塾がそう決めた。戸倉くんは、次の回で二位になった。
四点差である。
帰り道、私はその結果を彼に伝えた。
「抜かれたのね」
「抜かれたな」
「悔しいかしら」
「知らね。……でも」
彼は、歩幅を変えずに続けた。
「今回も撮ってると思うぞ」
「なんで」
「一位じゃなくなっても、見る相手は変わらねえだろ」
彼は自販機の前で止まった。
「うわ」
「今度は」
「猫のランキングがある」
「何のランキングよ」
「かわいい猫ランキング。二百位まである」
「……一位は?」
「知らね。オレは百八十七位のやつ見てる」
彼は十四分動かなかった。私は、二百位まであるランキングの、下のほうを一度も見たことがないと思った。
なお彼は、翌週にはこの事件のことを、きれいさっぱり忘れていた。




