隣の高校の切り抜き
芦田さんが生徒会室に来たのは、四月の終わりだった。
去年の十二月、佐倉ひかりの切り抜きアカウントを完全に模倣していた子である。いまは二年になり、自分の名義でアカウントを続けている。カット尻は〇.三五秒になっていた。
前髪は、まだ長い。だが、去年より少しだけまっすぐ立つようになった。
「同じ編集の人がいるんです」
「私と?」
「私と、っていうか……佐倉先輩と、です」
私立東雲高校の切り抜きアカウントである。
うちの学校とは二キロ離れている。制服も、行事も、生徒も違う。だが、上がっている動画の作りは、驚くほど似ていた。
「テロップ、白フチ二重の黄色」
芦田さんは、指を折りながら言った。
「丸ゴシック。影は右下に三ピクセル。……佐倉先輩の設定です」
「一つめ、カット尻」
ドパガキは二つを並べた。
「東雲のほう、〇.四秒だ」
「先輩と同じですね」
「同じだ。……で、あんたのは〇.三五」
芦田さんが、少し嬉しそうな顔をした。それを隠そうとして、失敗した。
「近づいてます」
「近づいてるな。……で、東雲のほうは最初から〇.四だ」
「最初から?」
「一本目からだ。去年の四月」
彼はスマホを机に置いた。
「あんたは二百回練習して近づいた。こいつは一本目から出せてる」
芦田さんの顔から、さっきの嬉しさが引いた。私はそれを見ていた。引くのに、二秒もかからない。二秒で消えるものが、そのときの私にはよく見えた。
「二つめ、素材」
彼は東雲のアカウントをスクロールした。体育祭、文化祭、部活。どれも中から撮ってある。
「ちゃんと中にいる人間だ」
「じゃあ東雲の生徒?」
「そう。……で、三つめ」
彼は投稿を遡った。一番古いところまで、親指が止まらなかった。
「一番最初の投稿、去年の四月十日」
「はい」
「中身がうちの学校だ」
私は、画面を覗き込んだ。
粗い映像だった。うちの体育館である。入学式らしかった。壇上の花の置き方に、見覚えがあった。
「去年の四月十日って」
「うちの入学式だ」
彼は、その一本を頭から流し直した。十七秒だった。
「東雲の入学式は四月八日。二日ずれてる」
「両方出た?」
「出てない」
彼は、画面を伏せた。
「うちに入って、二日後に東雲に移った奴だ」
戸田という生徒だった。
私たちは東雲高校の校門の前で待った。ドパガキは日陰にしゃがんで、スマホを見ていた。相原景の家の前でやったのと、同じ姿勢である。
戸田くんは、私たちを見て、すぐにわかったようだった。制服が違うから、というだけではないと思う。
「バレましたか」
彼は、逃げなかった。
「二日で転校したの?」
「入学式の翌々日です」
彼は、あっさり言った。
「うち、親が急に転勤決まって。手続きが間に合わなくて、一回そっちに入って、すぐ移りました」
「二日」
「二日です。誰の名前も覚えてないです」
彼は少し笑った。
「でも、入学式の動画だけ撮ってて。それが最初の一本です」
「なんで両方やってんの」
「両方?」
「あんた、うちの切り抜きも上げてるだろ。別アカで」
戸田くんの顔が、止まった。
「編集の癖が同じなんだよ。二つのアカ、同じ人間が作ってる。……で、両方とも伸びてる」
ドパガキは、日陰から立ち上がった。四月の日向は、もう暖かい。
「東雲で三千。うちで千二百」
「……調べたんですね」
「調べた」
戸田くんは、しばらく黙っていた。校門の前を、東雲の生徒が何人か通っていった。誰も彼に話しかけなかった。
「東雲だと、僕、『元○○高の人』って言われるんです」
彼は、鞄の紐を肩にかけ直した。
「二日しかいなかったのに。……で、そっちの学校のこと聞かれるんですけど、何も知らないんで」
彼は、自分のスマホを見た。
「だから、調べました。一年間」
「調べて、切り抜きにしたのか」
「はい。……そしたら、詳しくなって。両方の学校で、一番詳しい人になりました」
ドパガキは、そこでまた日陰に戻った。
「わかるよ。どっちにも属してないと、両方について詳しくなれる。オレも、どのクラスにも入ってねえから、全クラスの動画見てる」
彼はスマホをポケットに入れた。
「でもさ」
「はい」
「二つの学校で有名になっても、足すと一人分にもなんねえよ」
戸田くんが、顔を上げた。
「東雲で三千、うちで千二百。合わせて四千二百人があんたのこと知ってる。……で、あんたの名前を知ってる奴、何人いる」
彼は答えなかった。
「一年やって、ゼロだろ」
戸田くんは、片方のアカウントを閉じた。うちの学校のほうである。
代わりに、東雲のアカウントの概要欄に、初めて自分の名前を書いた。
三千人のうち、それに気づいた人が何人いたのかは知らない。ただ、翌月、芦田さんが東雲まで会いに行った。
〇.四秒の話を三時間したらしい。
「〇.四秒の話を三時間?」
「三時間だとよ」
ドパガキは、呆れた顔をしていた。私は、それを初めて見た気がする。初めてなのかどうかは、正直、わからない。この人の顔は、たいてい変わらない。
「何を話すのよ、三時間も」
「知らね。オレも三時間いけると思う」
「いけるの」
「いける」
彼は自販機の前で止まった。
「うわ」
「今度は」
「猫が二つの家を行き来してる」
「二重生活ね」
「両方でエサもらってる」
「……賢いわね」
「どっちの猫でもねえんだよ、あれ」
彼は十七分動かなかった。私は、その猫がどっちの家でも名前を呼ばれていないことを、少し考えた。呼ばれない名前は、どこにも聞こえない。
なお彼は、翌週にはこの事件のことを、きれいさっぱり忘れていた。




