四十秒で消えた
七月の終わり、終業式の三日前。職員室の空気が、朝からおかしかった。
苅田先生が電話をかけている。教頭が廊下を早足で歩いていく。二年A組の担任が、生徒指導室に誰かを呼んでいる。
風紀委員の私のところに話が降りてきたのは、昼休みだった。
「自殺予告?」
「そう言われてる」
私は自分の声が硬いのに気づいた。ドパガキは机に突っ伏したまま、スマホを縦にしている。いつもの姿勢だった。
「二年A組の古市くん。一昨日の深夜、アカウントに動画を上げた。屋上のフェンスのところに、制服で立ってる十五秒。無言」
「ふーん」
「四十秒で消えてる」
彼の指が、止まった。
「スクショ、何枚出回ってる」
「四枚」
「寄こせ」
私は四枚を送った。彼は並べて、しばらく黙った。
「これ、動画じゃない。スクショだ」
「……そうだけど」
「当たり前だろって顔すんな。四枚とも、止まってる秒数が違う」
言われて、私は初めて気づいた。フェンスの前に立つ人物の、腕の位置がわずかに違う。四枚は、それぞれ別の瞬間だった。
「三秒、七秒、十一秒、十三秒。ばらばらだ。示し合わせて撮ったんじゃない。四人が、別々に見て、別々に撮ってる」
「深夜の一時四十七分に」
「そう。そこ、あとで戻る」
彼は一枚目を拡大した。
「一つめ、フェンス」
「え?」
「うちの屋上、去年フェンス張り替えただろ。銀色の菱形。目が細かいやつ。……これ、錆びた縦格子だ」
私は画面を覗き込んだ。たしかに、格子は縦に走っていて、赤茶けている。
「学校じゃない」
「学校じゃない。まずここで、自殺予告って前提が半分崩れてる」
「半分?」
「場所が学校じゃないだけで、屋上は屋上だからな。まだ死なない証明にはならない」
彼は次の一枚を出した。
「二つめ、空」
「空……」
「投稿は一時四十七分。深夜だ。でもここ、空が青い。西の端が少し焼けてる。夕方だ」
「じゃあ」
「撮影と投稿の間に、日をまたぐ時間差がある。衝動じゃない。撮って、置いといて、深夜に上げてる。……用意してあったんだよ、この十五秒」
私は少しだけ息を吐いた。それから、吐いた自分に嫌気がさした。用意してあったほうが怖い、という考え方もある。
「三つめ、音」
彼はイヤホンを片方だけ私に渡した。私はそれを耳に入れた。風の音。それだけだと思った。
「十一秒あたり。風の下」
言われて意識を集中させると、遠くで、規則的な電子音が鳴っていた。カン、カン、カン。
「踏切」
「そう。しかも、鳴りはじめてから通過音まで四十秒弱。で、通過音が短い。列車が短い。……二両編成だ」
彼は初めて顔を上げた。
「うちの市で二両編成が走ってんのは、一路線しかない」
「四つめ」
彼はスマホを机に伏せた。
「なんで四十秒で消した」
「……怖くなったから、じゃないの」
「怖いなら上げねえよ」
即答だった。
「四十秒で消すってのは、四十秒だけ出すつもりだったってことだ。上げて、消すまで、そいつは画面を見てる。何を見てる?」
私は答えられなかった。
「閲覧者リストだよ」
「あ」
「上げて、リストを開いて、待ってる。名前が増えていくのを見てる。……で、ある名前が出た瞬間に、消した」
彼は指を一本立てた。
「これ、投稿じゃない。送信だ」
教室の窓の外で、蝉が鳴いていた。私は自分の指先が冷たくなっているのに気づいた。
「じゃあ、最初からその人にだけ送ればいいじゃない。DMでも、公開範囲を絞っても」
「送れないんだよ」
「なんで」
「相手のアカウントを知らないから」
その日の放課後、私たちは二年A組の教室に行った。
古市奏太は、掃除当番の途中だった。箒を持ったまま、私たちを見て、それから目を伏せた。彼は小柄で、髪が伸びていて、声が小さかった。
「先生には、何も言ってないです」
「知ってる」ドパガキは窓枠に腰かけた。「柏木、っての、誰」
古市の手から、箒が落ちた。
「……なんで」
「二両編成の路線沿いに廃団地があって、屋上のフェンスが錆びてて、あんたがそこで撮った。夕方に。で、深夜に上げて四十秒で消した。……あそこ、一人で行く場所じゃねえだろ」
古市は箒を拾わなかった。
「柏木蓮、っていいます。去年の秋に、転校して」
「連絡先」
「全部消えました。アカウントも、全部。……新しいの作ってるのは知ってるんですけど、教えてもらってないんで」
彼は笑おうとして、失敗した。
「でも、たまに出るんです。閲覧者に、見覚えのないアカウントが。二文字くらいの、意味のない名前の。……あれ、たぶん、あいつなんで」
「だから全体公開にした」
「全体公開じゃないと、届かないんで」
古市は、そこで初めてこちらを見た。
「あの屋上、二人で行ってた場所なんです。だから、まだあそこにいるよって。……それだけです。ほんとに、それだけなんです」
私は言葉を探した。見つからなかった。
「自殺予告だって、騒ぎになってるんだけど」
言えたのは、それだけだった。
古市は、今度はちゃんと笑った。ひどく力のない笑い方だった。
「誰も見てないと思ってたんです」
「え」
「四十秒だし。オレ、フォロワー三十八人しかいないんで。……誰も見てないと思ってました」
ドパガキが、窓枠から降りた。
「三十八人中、四人が見た」
古市が顔を上げる。
「深夜、一時四十七分。四十秒以内に。四人が起きてて、四人ともスクショ撮った」
「……たまたま、起きてただけじゃ」
「四人が? 同じ四十秒に?」
ドパガキは首を振った。
「通知オンだよ」
古市の口が、開いたまま止まった。
「あんたの投稿、通知オンにしてる奴が最低四人いる。……あんたが誰にも見られてないと思ってたその四十秒に、四人が起きて、画面見てたんだよ」
沈黙は、長かった。
「……誰なんですか」
古市の声は、かすれていた。
「知らね」ドパガキは鞄を肩にかけた。「オレは名前まで見てない。自分で見ろよ。閲覧者リスト、まだ残ってんだろ」
「アカウント、消したんで」
「復元しろよ。三十日以内なら戻るぞ、あれ」
彼はもう歩き出していた。
「あと。柏木にはもう届いてる。四十秒で消せたってことは、そういうことだ。……次からは、消す前にちょっと待て。あっちも何か返すかもしれねえだろ」
騒ぎは、三日で収まった。
私は苅田先生に「学校の屋上ではない」ことだけを報告した。撮影場所も、四十秒の意味も、柏木という名前も言わなかった。風紀委員としては、たぶん間違っている。
でも私は訂正しなかった。二度目だった。
帰り道、ドパガキは自販機の前で立ち止まってスマホを取り出した。
「うわ」
「……何」
「猫が、今度はラーメン茹でてる」
「同じ猫なの」
「同じ猫」
彼はそのまま十五分動かなかった。私は自販機で麦茶を買い、飲み終わるまで待って、それから先に帰った。
八月に入って、古市のアカウントが復活した。
投稿は一つだけだった。廃団地の屋上から撮った、日没の空。今度は消されなかった。閲覧者が何人だったのか、私は知らない。
なお、その二日後。
ドパガキのもとに四件目の相談が来る。今度は、動画が消えたのでも、人が消えたのでもない。
消えていないものが、勝手に増えていた。




