出席しているのに、いない
七月の教室は、蒸している。
私——鎮目静香は、その日、出席簿の代筆を担任から押しつけられていた。風紀委員は雑用係ではないと思うのだが、そういうことになっている。
一年B組から順に、名前を目でなぞっていく。
そして、指が止まった。
相原景。一学期、欠席ゼロ。遅刻ゼロ。
問題は、私がその顔を、二週間まったく見ていないことだった。
「担任に聞いた?」
「聞いた。『今日も来てたと思うけど』って」
「思う、な」ドパガキは机に突っ伏したまま、スマホを縦にしていた。「教室の動画ある? 文化祭の準備あたり」
「記録係が撮ってる。四十八分あるけど」
「寄こせ」
彼は三倍速で流した。
「一話目は0.5倍だったでしょう」
「あれは十五秒。これは四十八分。同じ速度で見るのは頭が悪い」
反論の余地がなかったので、私は黙った。
十四分後、彼は再生を止めた。
「まず結論。相原景は二週間、学校に来てない。で、来てることになってる。誰かが出席を作ってる」
「作る……?」
「順に言う。一つめ、返事の位置」
彼は音声波形を出した。私はその画面の意味がわからなかったが、彼は当然のように指を置いた。
「出席点呼のとこ。『相原』に『はい』が返ってる。でもこの声、左チャンネルが強い。カメラは教室の右前。相原の席は右列の二番目。返事は左後ろから来てる。斜め後ろの席の人間が代返してる」
「……先生は気づかないの?」
「四十人分の名前を朝の八時半に読んでる人間が、返事の方角まで聞いてるわけねえだろ」
二つめ、と彼は続けた。
「相原のアカウント。二週間、毎日投稿がある。全部室内。全部、窓からの光の角度が同じ。十四日分の写真を、一日で撮ってる」
「予約投稿……」
「三つめ、文体」彼は投稿を並べた。「二週間前を境に、句点の前に半角スペースが入るようになってる。指の癖だ。人間はこれを意識で直せない。書いてる人間が変わってる」
そして彼は、最後に一枚のスクリーンショットを出した。
「決定打、投稿時刻」
二列の数字が並んでいた。
「三浦のアカウントと、相原のアカウント。この二週間、投稿がずっと十一分差で並んでる。毎日だ。一日も外れてない。……同じ人間が、片方を投稿して、十一分後にもう片方にログインし直してる」
彼はスマホを置いた。
「三浦だよ。相原の斜め後ろの席」
三浦亮太は、認めるのに三秒もかからなかった。
「相原、来れなくなったんです」
彼は膝の上で拳を握っていた。
「五月の連休明けから。理由は……本人が言わないんで、俺も知らない。でも、欠席が続くと呼び出しがあるじゃないですか。三者面談とか、家庭訪問とか。あいつ、それが一番きついと思って」
「だから出席させた」
「席を、残しておきたかったんです。あいつが戻ってきたとき、なんにもなかったみたいに座れるように」
沈黙が落ちた。
私は何も言えなかった。責める言葉が、うまく組み立てられなかった。
ドパガキは、天井を見ていた。それからぼそりと言った。
「あんた、それ二週間続けたんだろ」
「……はい」
「じゃあ二週間、あいつがいなくても教室が普通に回るのを、あんたが証明しちゃったな」
三浦の顔が、白くなった。
「え」
「誰も気づかなかった。担任も、四十人も、誰も。あんたが完璧に隠したからだ。……相原が明日戻ってきて、それ知ったら、どう思う?」
「……」
「いなくても平気だったんだ、って思うんだよ」
三浦は、そこで初めて泣いた。
私はやっぱり何も言えなかった。ドパガキも、それ以上は何も言わなかった。
翌日の放課後、私たちは相原の家の前にいた。
インターホンには手が届く距離だった。ドパガキはそれを押さなかった。
代わりに、門の横のブロックにしゃがみ込んで、スマホを縦にした。
「……押さないの」
「押さない」
「なんで」
「用がねえもん」
彼は本当に、そのまま動画を見はじめた。一分、五分、十分。私は立ったまま、それを見ていた。蝉がうるさかった。
二十分ほど経って、玄関のドアが、細く開いた。
痩せた男子が、こちらを見ていた。
ドパガキは顔も上げずに言った。
「あー、悪い。ここ日陰だから座ってただけ」
「……はあ」
「猫が寿司握ってんだけど、見る?」
相原景は、しばらく黙っていた。
それから、サンダルをつっかけて、門の外に出てきた。
二人は並んで、ブロックに座った。私は結局、最後まで一言も喋らなかった。
三日後、相原は学校に来た。
一時間目の途中で帰ったし、次の日はまた休んだ。でも、その次の日はまた来た。
出席簿の「出席」は、その日から本物になった。
「なあ」
帰り道、ドパガキが言った。
「オレさ、あいつの家の前で二十分座ってただけだからな。なんもしてねえから」
「そうね」
「ほんとになんもしてない」
「そうね」
「なんで笑ってんだよ」
私は笑っていた。自分でも、少し意外だった。
なお、その一週間後。
彼のもとに三件目の相談が来る。今度は消えたのが動画そのもので、しかも消えたのは、投稿から四十秒後のことだった。




