うちの学校が映っている
三浦亮太が持ってきた話は、最初、何が問題なのかわからなかった。
「うちの学校が映ってるんです」
「たまたまじゃないの」
「二年分です」
彼はスマホを差し出した。画面の指紋を、袖で拭いてからである。
「毎週、同じ場所から、同じ角度で」
そのアカウントは、私立東雲高校の生徒のものだった。
投稿はどれも自撮りに近い。自分の顔と、放課後の風景。ありふれた投稿である。二年分ある。週に一件で、百件くらいだった。私は三十件ほど送って、そこで気づいた。この人は、自分の顔を撮っているのではない。顔は入っているが、いつも画面の右に寄っている。左が空いていた。
そして、その背景の左端に、必ずうちの校舎の一部が映っていた。
「東雲って、二キロくらい離れてるわよね」
「離れてます。定期の路線も違います」
「じゃあ、なんで」
「わかんないです。それで持ってきました」
「一つめ、位置」
ドパガキは背景を拡大した。校舎の一部が、灰色の面になった。
「うちの校舎の窓の並びが見えてる。三階の窓が七つ、四階が六つ。……この見え方になるのは、南東の坂の上だ」
「そんなにピンポイントでわかるの」
「わかる。窓の数を数えりゃいい」
彼は地図を出して、指で一点を押さえた。
「坂の途中のガードレールの高さも合ってる。……ここだ」
「歩道橋の上ね」
「そう。歩道橋の、西寄りの三分の一」
「二つめ、時刻」
彼は投稿時刻を並べた。二年分である。
「毎週金曜。十七時から十七時二十分のあいだ」
「決まってるのね」
「決まってる。二年分、一度も外れてない」
「三つめ、季節」
彼は影の長さを並べた。夏の影は短く、冬の影は長い。
「夏も冬も、同じ時刻に上げてる。……つまり、日没に合わせてない」
「意味があるの」
「ある。日没に合わせてないってのは、風景を撮りに来てるんじゃないってことだ」
彼はスマホを置いた。
「用があって、その時間にそこにいるんだよ」
「で、決定打」
彼は二年分を、もう一度流した。二分で終わった。
「背景のうちの校舎、電気が点いてる窓の位置が毎回同じだ」
私は身を乗り出した。
「三階の、左から三つ目」
「そう。金曜の十七時に、そこだけ点いてる」
「そこ、何の教室?」
彼は、そこで初めて私を見た。
「あんたのほうが知ってんだろ」
私は少し考えて、それから思い出した。三年間、その前を毎日通っている。
「……第二音楽室」
金曜の十七時、第二音楽室では吹奏楽部が個人練習をしている。
私たちは、歩道橋に行った。三月の夕方で、風がまっすぐ抜けた。歩道橋の上は、車の音が下から来る。西寄りの三分の一に立つと、うちの校舎の三階と四階が正面に見えた。窓の数を、私はその場で数えた。三階が七つ、四階が六つである。合っていた。
東雲高校の日野さんは、そこにいた。制服が違うので、すぐにわかった。
彼女はスマホを構えていた。うちの校舎のほうを向いていた。
「……えっと」
彼女は私たちを見て、固まった。
「二年、来てんの?」
ドパガキが言うと、彼女は否定しなかった。
「はい」
「なんで」
彼女は、少し黙った。
「聞こえるんです」
「え?」
「風向きによって。……クラリネットが」
私は、耳を澄ました。
その日は、聞こえなかった。車の音と、風の音しかしない。だが、聞こえる日があるのだろうと私は思った。歩道橋は、校舎からまっすぐ風下だった。二年間、この人は週に一度ここに来て、聞こえる日と聞こえない日の両方を数えているはずである。数えているとは、たぶん本人も思っていない。
「中学のとき、同じ部だった子がいて」
日野さんは、手すりに両手を置いた。
「うちの高校、吹部ないんです。私、諦めたんですけど。あの子は続けてて」
「連絡は」
「取ってないです。中三の秋に、ちょっと、揉めて」
彼女は、自分のスマホを見た。
「毎週、金曜だけ来てます。二年です。……変ですよね」
「変じゃねえよ」
ドパガキは、手すりに肘をついた。歩道橋が、少し揺れた。
「二年で百回くらい来てんだろ。それ、部活の出席日数より多いぞ」
彼は、校舎のほうを見た。
「わかるよ。オレも見てるだけのアカウントがある。三年だ。声かけたことない」
私は、その一言を、そのとき聞き流した。
「でもさ、あんた」
「はい」
「映っちゃってんだよ、背景に」
「え」
「二年分の動画の左端に、ずっとだ。……あんた、隠す気ないだろ。トリミングすりゃ消せるんだよ、それ」
日野さんは、何も言わなかった。
「消してねえってことは」
彼は肩をすくめた。
「見つけてほしいんだろ、たぶん」
私は、その週の金曜、第二音楽室に行った。
クラリネットを吹いていた二年の子に、歩道橋の話をした。
彼女は、しばらく黙って、それから泣きそうな顔で笑った。
「あいつ、まだ来てるんですか」
「二年、来てるって」
「……馬鹿じゃないですか」
彼女はそう言って、楽器を置いて、走っていった。
置き方が雑だった。楽器をやる人がああいう置き方をするのを、私は初めて見た。私は、追いかけなかった。
日野さんの投稿は、その翌週から背景が変わった。歩道橋ではなく、うちの校門の前になった。
そのさらに翌週から、二人で映るようになった。
帰り道、私は歩道橋のことを考えていた。
「トリミングすれば消せる、って」
「消せるだろ」
「知ってて残す人、多いの?」
「多いよ」
彼は、あっさり言った。
「気づかれたい奴は、消さねえんだよ。全部消してる奴のほうが少ない」
「あなたは消す?」
「オレは上げねえもん」
彼は自販機の前で止まった。
「うわ」
「今度は」
「猫が学校を見てる」
「うちの?」
「知らねえ学校」
彼は十二分動かなかった。私は、その十二分のあいだ、風下という言葉を三回くらい思い出した。風下に立つというのは、こちらから何も届かないということである。音だけが、向こうから来る。二年間、この人はそこに立っていた。立てば聞こえる位置を、たぶん最初の何回かで見つけたのだと思う。
なお彼は、翌週にはこの事件のことを、きれいさっぱり忘れていた。




