通知が来ない日
三月。三年生が学校に来なくなって、校舎が急に広くなる時期である。
三年の教室のある階は、電気が消えている。廊下を歩くと、自分の足音が二歩ぶん遅れて聞こえる。私はそれが少し苦手だった。
美術部の広報を任されている佐野さんが来たのは、その廊下の途中だった。三年生である。引退はしているが、卒業まではまだ二週間ある。
「相談っていうか、愚痴なんですけど」
彼女は、画材の入った紙袋を抱えていた。片付けの途中だったらしい。
「私が広報になってから、部のアカウント、誰も見なくなったんです」
「三か月前まで、一投稿あたり三百くらい回ってたんです。いまは十二とか、八とか」
「内容を変えたの?」
「変えてないです。前の人と同じことしてます。……たぶん、私がつまらないんだと思います」
彼女は、淡々と言った。淡々としすぎていた。
「毎日上げてます。三か月、休んでないです。……でも、誰も見てないんで」
「見てねえんじゃなくて、見えてねえんだろ」
ドパガキは、机に伏せたまま言った。
「え?」
「三百が八になるのは、飽きられたときの数字じゃない。飽きるのは、もっとゆっくりだ」
彼は起き上がった。
「アカウント寄こせ。半年分」
「一つめ、落ち方」
彼はリーチのグラフを出した。線が、途中で崖のように落ちている。
「十一月二十九日まで三百前後。十一月三十日から、いきなり十二だ」
「一日で?」
「一日でだ」
彼は、その崖のところに指を置いた。
「人間の飽き方じゃねえよ、これ。スイッチが切られた日だ」
「二つめ、検索」
彼は、自分のスマホで部のアカウント名を検索した。
「出ない」
「え?」
「名前をそのまま入れても、出てこない。フォローしてる奴には見えてる。……それ以外には存在しない」
私も、自分のスマホで打ってみた。出なかった。二回打ち直しても、出なかった。無いものを探しているのか、あるのに出ないのかは、打っている側にはわからない。三か月、この人はこのアカウントに毎日投稿していた。投稿している本人にも、たぶん同じようにわからなかった。
「三つめ、タグ」
彼は投稿を並べた。
「十一月二十九日の投稿。……このタグ、なんだ」
佐野さんが覗き込んだ。紙袋が、床で音を立てた。
「あ、それ。部の展示のタグです。私が作りました」
「同じタグを、十四日連続で使ってる」
「はい。展示が二週間だったんで」
彼はスマホを机に置いた。
「機械はな、同じタグで同じような画像を毎日上げるのを、宣伝botだと思うんだよ」
「四つめ、通報」
彼は設定の奥を開かせた。私には、たどり着ける気のしない階層だった。あとで三度たどってみたが、同じ画面は二度と出てこない。どこで曲がったのかが、見えなかった。
「十一月二十九日に、通報が一件入ってる」
佐野さんの手が、止まった。
「通報?」
「一件だ。……で、タグの連投と重なった。機械は自動で判断する。人間は見てない」
「そんな」
「で、決定打」
彼は、通報の分類を指した。
「種類が『スパム』になってる。……誤タップの定番だ」
通報したのは、同じ美術部の一年生だった。彼女は、本当に何も覚えていなかった。
「押したかもしれないです。毎日流れてくるんで、なんか……手が滑ったのかも」
「悪気は」
「ないです。全然」
たぶん、本当だった。この学校で、悪気のある子のほうが少ない。
ドパガキは、窓枠に腰かけていた。三月の窓は、もう冷たくない。
「あんた、一回押しただけだよな」
「はい」
「押した記憶もねえんだよな」
「……はい」
「うん」
彼は、そこで少し黙った。窓の外で、誰かが自転車を出す音がした。
「それで三か月消えたんだよ、こいつ」
一年生の顔が、変わった。
「毎日上げてた。休んでない。九十日ぶんだ。……全部、誰にも届いてない」
佐野さんは、何も言わなかった。
「見えなくされた側はさ」
彼は、彼女のほうを見た。
「見えなくされたことも、見えないんだよ」
「……」
「あんた、三か月、自分がつまんねえからだと思ってたんだろ」
彼女は、答えなかった。
「違うぞ。あんたは三か月、透明だったんだよ」
異議申し立ての方法を、彼が三つ教えた。
タグの連投をやめること。窓口に出すこと。二週間待つこと。十九日後、リーチは二百八十まで戻った。
佐野さんは、その日に卒業した。
引き継いだ一年生は、押した子だった。本人が志願した。誰にも相談せずに、である。
帰り道、私はまだそれを引きずっていた。
「あの子、責めなくてよかったの」
「責めてねえよ」
「事実を言っただけ、って?」
「そう」
彼は、歩幅を変えずに続けた。
「あのさ。一回押すのがどうなるか、誰も教えてねえんだよ」
「教えるべき?」
「知らね。教わったところで、みんな押すと思う」
彼は肩をすくめた。
「オレも押すもん、たぶん」
彼は自販機の前で止まった。
「うわ」
「今度は」
「猫が消えてる」
「消えてる?」
「三日前まで毎日上がってたのに、止まってる」
彼はしばらく画面を見ていた。
「……凍結だな、これ」
「助けてあげたら」
「知らねえ人だぞ」
「さっきの子も知らない人だったでしょう」
彼は黙った。
そして、そのまま十四分動かなかった。指は、途中から動いていた。画面を送る動きではない。打っている動きである。私は、その指を横から見ていた。何を打っているかは、聞かなかった。聞かなくても、たぶんわかっていた。
なお彼は、翌週にはこの事件のことを、きれいさっぱり忘れていた。
だが、その猫のアカウントは三日後に復活している。誰かが異議申し立ての方法を、コメント欄に書き残していた。
日本語だった。




