三十七回撮り直した
二月の終わり、一年B組の永井さんの動画が伸びた。
十五秒である。放課後の教室の後ろで、彼女が一人でダンスを踊る。それだけの動画が、九十万回再生された。
そして三日後、彼女は「やらせだ」と言われはじめた。
「素人が一発であんなに上手いわけない、って」
三浦亮太が報告に来た。彼は頼んでもいないのに、こういうことを持ってくる。一年生である。
「誰が言ってるの」
「裏アカです。『経験者が初心者のフリしてる』って」
「経験者なの?」
「本人は違うって言ってます。中学のとき、部活は美術部で」
私はため息をついた。
「じゃあ、それでいいじゃない」
「よくないんです」
彼は、鞄の紐を握り直した。
「動画、消しちゃったんで」
「消したのを戻せ、って依頼か?」
ドパガキは、机に伏せていた。
「そう」
「戻すのは簡単だ。三十日以内なら戻る」
「それはいいの。……本人が、戻したくないって言ってる」
彼は顔を上げた。
「なんで」
「『嘘つき扱いされるくらいなら無いほうがいい』って」
永井さんは、生徒会室で下を向いていた。
小柄で、髪が短くて、声が小さい。踊っている人には見えなかった。私は自分がそう思ったことに、少し嫌な気持ちになった。
「ほんとに初めてだったんです。あの日、たまたま教室に誰もいなくて。……それで、撮ってみただけで」
「一回で撮れたの?」
彼女は、そこで黙った。指が、スカートの裾を掴んでいた。
「一回では」
「……」
「一回では、なかったです」
「アカウント寄こせ」
「消してます」
「消してても残ってるんだよ。番号が」
「一つめ、連番」
彼は画面を見せた。私にはただの文字列にしか見えなかった。
「動画にはIDが振られる。上げた順に、機械が勝手に付ける」
「はい」
「で、削除しても番号は詰まらない。空いたままだ」
彼は、指で数字の並びをなぞった。
「永井のアカウント、公開されてる投稿は四本。……でも、番号は四十一個使われてる」
私は、引き算をした。
「三十七」
「三十七だ。上げて消したのが三十七本ある」
「二つめ、時刻」
彼は、その番号の生成時刻を並べた。
「三十七本、全部同じ日だ。去年の十二月十八日。十六時二十分から十八時五分まで」
「一時間四十五分」
「そう。……で、公開されてる一本目が、十八時九分」
彼はスマホを机に置いた。生徒会室の暖房が、ちょうど切れた時間だった。二月の五時である。切れると、部屋の音が変わる。私は、その音の変わり目で、一時間四十五分という長さを一度だけ自分の体で測ろうとした。測れなかった。一人で教室にいる一時間四十五分を、私は経験していない。
「教室で一人で、一時間四十五分。三十七回踊って、三十七回上げて、三十七回消して、三十八回目を残した」
「三つめ」
彼は、消えたはずの動画のうち、いくつかを引っ張り出した。復元ではない。サムネイルの残骸である。
「サムネだけ拾える。……見ろ」
小さな画像が、十枚ほど並んだ。爪の先くらいの大きさである。十枚とも、同じ教室の同じ場所で、同じ制服の人が同じ姿勢で立っている。並べられるまで、私はそれを十枚だと認識していなかった。一枚を十回並べたのだと思っていた。
同じ教室。同じ制服。同じ立ち位置。
顔だけが、違った。
「一本目、めちゃくちゃ緊張してる。十本目、まだ硬い。二十本目、ちょっと笑ってる。三十本目、目が座ってる」
彼は、最後を指した。
「で、三十七本目。……これだ」
「一発で撮れたわけじゃないです」
永井さんが言った。
「はい」
「だから、嘘つきって言われるのは、その通りで」
「その通りじゃねえよ」
ドパガキが遮った。遮る前に息を吸う音が、私にも聞こえた。彼が人の言葉を遮るのを、私はたぶん初めて見た。
彼はサムネイルを並べ直した。十枚が、時間の順に戻った。
「あのさ。三十七回撮り直すのは、やらせじゃねえよ」
「え」
「練習だよ、それ」
永井さんが、顔を上げた。
「一時間四十五分やってんだよ、あんた。誰も見てない教室で。……九十万人が見たのは三十八本目だ。三十七本目までを、誰も見てないだけだ」
彼は、スマホを彼女のほうに向けた。
「あと、これ言っとくけどな」
「はい」
「オレは十二回目がよかった」
彼が指したのは、真ん中あたりの一枚だった。まだ動きが硬くて、笑い方が変で、髪が乱れている。
「三十八回目が一番いいと思ってんだろ。……オレは十二回目がいい。間違えてんのがわかるから」
永井さんは、しばらくその画像を見ていた。ずいぶん長く見ていた。
「……変な人ですね」
「よく言われる」
動画は、戻らなかった。代わりに彼女は、その一週間後に別の動画を上げた。
三十七回撮り直したときの、失敗のほうをつないだ十五秒である。再生数は、四万回だった。九十万には、遠く及ばない。
彼女はそれ以降、月に二本くらいのペースで上げ続けている。
「四万は少ないの?」
私が聞くと、彼は首を振った。
「四万だぞ」
「うん」
「体育館に入りきらねえよ」
「あなた、それ前も言ってた」
「言った」
彼は自販機の前で止まった。
「うわ」
「今度は」
「猫が三十七回失敗してる」
「かわいそうでしょう」
「三十八回目で成功してる」
「……よかった」
「十二回目が一番かわいい」
彼は十六分動かなかった。私は、その十六分のあいだ、失敗のほうをつないだ十五秒を三回見た。三回とも、二回目の失敗のところで少し笑った。
なお彼は、翌週にはこの事件のことを、きれいさっぱり忘れていた。




