転校生のアーカイブ
二月の転校生というのは、珍しい。
学年末である。名簿も、席順も、掃除当番も、全部でき上がっている。そこに一人だけ、あとから入れられる。
二年A組に来た堀くんは、無口で、背が低くて、誰とも喋らなかった。噂が立つまで、四日しかかからなかった。
「前の学校で問題起こしたらしい、って」
伊丹まゆが教えてくれた。この人は、こういう情報をなぜかいつも一番早く持っている。牛乳を飲みながら喋る癖も、去年から変わっていない。
「誰が言い出したの」
「わかんない。二年の裏アカ」
「内容は」
「いじめの動画を撮ってた、って。……名前は出てないけど、みんな堀くんだと思ってる」
私は、頭が痛くなった。四日である。
依頼は、堀くん本人から来た。
彼は生徒会室のドアの前に三十分立っていたらしい。三浦亮太が見つけて、連れてきた。三浦亮太は、そういうものを見つける。
「噂を、止めてほしいです」
彼は、椅子に浅く座っていた。上履きのサイズが、たぶん一つ大きい。
「誰が流したか、調べてほしいです」
「わかった」
私はそう言った。彼は、それから少し黙って、こう付け足した。
「調べたら、僕のことも出てくると思います」
ドパガキは、裏アカの投稿を三分見た。
「一つめ、時刻」
「はい」
「この投稿、二月十日の二十二時十四分。転校の四日後だ」
「早いですね」
「早い。校内の奴が四日で調べられる話じゃない。……最初から知ってた奴だ」
「二つめ、言い方」
彼は文面を拡大した。私も読み直した。二回読んで、ようやく彼の言うところがわかった。
「『撮ってたのはこいつ』って書いてある。撮ってた、だ」
「……いじめてた、じゃない」
「そう。撮ってた、だ。現場を知ってる人間の言い方だよ」
「決定打」
彼は、投稿に添えられた画像を出した。
体育館らしき場所の、ぼやけた写真である。人物は写っていない。床と、壁の一部だけだった。
「この画像、堀の前の学校の体育館だ」
「どうしてわかるの」
「うちのじゃない床の色だからな。……で、アスペクト比」
彼は画像の縁を指でなぞった。
「この比率、四世代前の機種のやつだ。いま撮った写真じゃない。三年くらい前だ」
彼はスマホを机に置いた。
「三年前に、堀の前の学校の体育館で写真を撮って、それをいまも持ってて、四日で上げた奴だよ」
投稿者は、うちの学校の生徒ではなかった。
前の学校の元同級生が、うちの二年の生徒に頼んで上げさせていた。うちの生徒のほうは、内容を知らずに代行しただけである。
「なんで頼まれたの」
私が聞くと、その二年生は困った顔をした。
「ネットで知り合った人で。……面白そうだったんで」
私は、それ以上聞かなかった。聞いても、たぶん同じ答えしか出てこない。聞かなかった理由は、自分でもよくわからない。
この一年で、私は同じ答えを何回聞いただろうと思った。数えていない。数えたくなかった。
堀くんは、生徒会室で待っていた。
三時間である。誰も、帰っていいとは言わなかった。彼も、帰らなかった。
「投稿者、前の学校の子だった」
私が言うと、彼はうなずいた。
「そうだと思いました」
「……あなた、撮ってたの」
彼は、三秒くらい黙った。上履きのつま先を、床にこすった。
「撮ってました。一年間くらい。……止めなかったし、笑ってたし、上げてました」
「じゃあ」
「はい」
「噂は、本当なのね」
「本当です」
私は、言葉に詰まった。
風紀委員として、この場でどう振る舞えばよかったのか、私はいまでもわからない。
止めるべき噂が、事実だった場合の手順は、四月のプリントに書いていない。ドパガキが先に喋った。
「消したよな。全部」
「消しました」
「アカウントも」
「消しました。名前も変えました」
「うん」
彼は天井を見ていた。蛍光灯が、また一本切れかけていた。
「わかるよ。消したい過去がないやつはいない。オレも消したいのはある。……で、消すのは、たいてい正しい」
彼は視線を戻した。
「でもさ。消してもいいけど、いなかったことにはなんねえよ」
堀くんの肩が、落ちた。
「記録は消える。二週間で全部消える。……でも、あんたが撮ってた一年間は消えない。撮られた奴の中にも、あんたの中にも残る」
彼は立ち上がった。
「噂は止める。それは依頼だからやる。……でも、噂が嘘だってことにはしねえぞ」
噂は止まった。
投稿は消え、代行した二年生は自分で謝った。裏アカの運営は、そのあと二週間ほど大人しくなった。
堀くんは、学校を辞めなかった。
三年になっても、彼はほとんど喋らなかった。ただ、写真を撮らなくなった。一度もである。
三年の文化祭で、彼は記録係を頼まれた。断ったらしい。理由は言わなかったと聞いている。
帰り道、私はそれをずっと考えていた。
「あれでよかったの?」
「知らね」
「噂を止めたのに、本当だって言ったのよ」
「言ったな」
「矛盾してない?」
「してない」
彼は、歩幅を変えずに続けた。
「晒すのと、事実なのは別だ。晒しは止める。事実は止めねえ」
「厳しいわね」
「厳しくねえよ。……あいつ、自分で先に言っただろ。『僕のことも出てくると思います』って」
彼は自販機の前で止まった。
「先に言う奴には、嘘つかなくていいんだよ」
「うわ」
「今度は」
「猫が寿司握ってる」
「またそれ」
「三年前のやつだ」
彼は、その日は八分で歩き出した。八分は、彼にしては短い。私は、三年前という言葉を、そのとき聞き流した。
なお彼は、翌週にはこの事件のことを、きれいさっぱり忘れていた。




