既読をつけない技術
二月の頭、バスケ部の曽根くんが生徒会室に来た。
背が高くて、肩幅があって、椅子に座ると膝が机につかえる人である。彼はそれを何度か直してから、話しはじめた。
「あいつ、一回も既読つけないんです」
「誰?」
「同じクラスの砂川です。部の連絡、全部無視で。……先週の遠征、一人だけ来なかったんです」
「連絡してないってこと?」
「してます。グループにも、個別にも」
彼は、机の上でスマホを裏返した。
「既読つかないんです、一年間ずっと」
「一年」
ドパガキは、机に伏せたまま言った。
「一年です」
「一回も?」
「一回もです」
彼は起き上がった。椅子が鳴った。
「そりゃすげえな」
「すごくないですよ」
「すごいよ。一年やんの、けっこう大変だぞ」
「一つめ、返信の中身」
彼は曽根くんのやりとりを、上から順に送っていった。
「砂川、返信はしてんだよな」
「たまに。三回に一回くらい」
「その返信、見ろ」
彼は三つ並べた。私も覗き込んだ。どれも短い。三文字か、四文字である。三つの違いは、私には見えなかった。
「全部、短い質問にしか答えてない。『何時集合?』には答える。『前回話した件どう思う?』には答えない」
彼はスマホを机に置いた。
「通知のプレビューって、先頭から何文字か出るだろ。設定によるけど、四十文字くらいだ。……こいつ、四十文字以内の内容にしか反応してない」
「つまり」
「開いてないんだよ。通知だけ見てる」
「二つめ、穴」
彼は時間帯の一覧を出した。
「こいつに送った通知、返ってくる時間がばらばらだ。でも、返ってこない時間帯が決まってる」
「決まってる?」
「平日の十七時から二十時。ここに送ったやつだけ、翌朝まで反応がない」
彼は、指で三時間ぶんの幅を作った。
「その三時間、機内モードにしてるな」
「なんでわかるんですか」
「その時間に送った他の連絡も、全部同じタイミングでまとめて反応してるからだ。機内モードで開けば既読はつかない。よくある手だよ」
「三つめ」
彼は一年分をスクロールした。親指が止まらなかった。窓の外で、部活のホイッスルが鳴っていた。二月の生徒会室である。暖房が弱くて、私は上着を着たままだった。この人は、上着を着ていない。寒くないのかと聞いたことがあるが、寒いと言って、それから何もしなかった。
「一年で、四回だけ既読がついてる」
曽根くんが、驚いた顔をした。
「え、ついてるんですか」
「ついてる。三分で消えてるけどな。取り消してる」
「そんなことできるんですか」
「できる。手間だけどな。……で、その四回の日付」
彼は四つ並べた。ばらばらに散らばっていて、私には規則が見えなかった。二月の生徒会室は、暖房が弱い。窓のさんに、埃が一列に溜まっているのが見えた。掃除当番の点検は風紀委員の仕事だが、私はその一列を三か月見ないふりをしている。
「共通点がない?」
「ある」
彼は、四つを縦に並べ直した。
「四回とも、火曜だ」
砂川くんは、二年C組の窓際にいた。
私と同じクラスである。同じ教室に八か月いて、私は一度も彼と話したことがなかった。四十人というのは、そういう数字である。
「一年、既読つけてないんだって」
私が言うと、彼はすぐに認めた。
「……はい」
「なんで」
「つけると、返さないといけないんで」
彼は、机の中に手を入れたまま喋った。
「返さないと、『既読無視』って言われるんで。……つけなきゃ、まだ読んでないことになるんで」
「読んでるのに?」
「読んでます。全部」
「火曜の夕方、何してんの」
ドパガキが聞くと、砂川くんの肩が少し動いた。
「……なんでですか」
「四回ミスってる日が、全部火曜の翌日だからだよ。火曜だけ何かあって、水曜に焦ってる」
彼は答えなかった。
「言わなくていい」
ドパガキは、あっさり引いた。
「遠征来なかった理由も、言わなくていい。……ただ、曽根には言え」
「え」
「『行けない』って四文字だ。既読つけなくても送れるだろ」
砂川くんは、しばらく黙っていた。窓の外で、また誰かがホイッスルを鳴らした。
「祖母が、火曜に透析なんです」
彼は、机の中から手を出した。
「送り迎えを、僕がやってて。週に三回あって、火曜だけ、部活の時間と重なるんです」
「なんで言わないの」
「言うと、気を遣われるんで」
彼は下を向いた。
「一回言ったんです、一年のとき。そしたら、みんな急に優しくなって。……それが、無理でした」
ドパガキは、窓枠に腰かけた。二月の窓は冷たいはずである。彼は気にしていなかった。
「わかるよ。オレも、勉強できないの理由つけて説明されんの嫌いだ。同情されると、そこで終わるからな」
彼は足をぶらぶらさせた。
「でもさ、あんた」
「はい」
「既読つけない技術って、読みたい奴しか覚えねえんだよ」
砂川くんが、顔を上げた。
「読みたくねえなら、通知切って終わりだろ。ブロックでもいい。……あんた、通知は出してんだよ。四十文字だけ見て、返せるやつには返してる」
彼は肩をすくめた。
「一年やってんだよ。一番めんどくさい方法で、ずっと繋がってる」
曽根くんは、その場にいた。膝を机につかえさせたままである。
「火曜、練習休みにしますよ」
彼は、あっさり言った。
「そういうの、いいです」
「よくねえよ。四人しか来てねえもん、火曜」
「え?」
「みんな塾なんですよ、火曜。……お前が来ないから五人だと思ってた」
砂川くんは、そこで何とも言えない顔をした。私はそれを、うまく説明できる言葉を持っていない。
砂川くんは、いまも既読をつけない。
ただ、火曜の夜に「明日行く」と四文字だけ送るようになった。既読は、やっぱりつかない。
「四文字でいいのね」
帰り道、私が言うと、彼は前を向いたまま答えた。
「四文字でいいんだよ」
「あなたも既読つけないの?」
「つけるよ。三十秒以内」
「なんで」
「開いてるからだよ、常に」
彼は自販機の前で止まった。
「うわ」
「今度は」
「猫が既読つけてる」
「猫は文字読めないでしょう」
「肉球で踏んでる」
彼は十三分動かなかった。私は、そのあいだに砂川くんの顔を思い出そうとした。うまく見えてこなかった。八か月、同じ教室にいたのに、である。
なお彼は、翌週にはこの事件のことを、きれいさっぱり忘れていた。




