↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
18/136

声だけが本物

 冬休みに入る三日前、生徒会長が渡り廊下で私を捕まえた。

 彼女は歩きながら喋る人である。私は半歩後ろをついて歩いた。

「特定班ができてる」

「……何の?」

「配信者。うちの生徒らしいって話になってて」

 その配信は、私も名前だけ知っていた。

 顔を出さない。名前も出さない。背景は真っ暗で、画面には波形が出ているだけである。ただ喋るだけの配信で、視聴者は二千人を超えていた。

「うちの生徒って、どうしてわかったの」

「チャイムが入ったらしいの。うちのチャイム、県内で二校しか使ってないから」

 私はため息をついた。渡り廊下の風は、十二月にはきつい。

「で、特定班が」

「三年の何人かが、本気で探してる。晒す気だと思う」


「止めてほしいって依頼か?」

 ドパガキは机に伏せたままだった。

「そう」

「特定班を止めるのは無理だぞ。あいつら止まらねえもん」

「じゃあどうするの」

 彼は起き上がって、椅子を少し引いた。

「先に割る。……先に割って、先に守る」


「一つめ、マイク距離」

 彼はアーカイブを流した。四十分ある配信の、途中から入った。

「息継ぎの音が入ってる。しかも、かなり近い。マイクから十センチ以内だ」

「近いと何かわかるの?」

「わかる。この人、声が小さい」

 私は、意味がわからないという顔をしたのだと思う。彼は言い直した。

「近づけないと拾えないんだよ。喋りは普通に聞こえるだろ? これ、機械で持ち上げてる。だから息継ぎまででかくなる」

 彼は音量を下げた。ノイズだけが残った。

「生の声は、たぶん、教室じゃ聞こえないレベルだ」


「二つめ、チャイム」

 彼は十七分あたりを再生した。遠くで、たしかに聞き覚えのある音が鳴った。四時間目の終わりの音である。

「これが決め手にされてる。でも、もっと使える」

「もっと?」

「チャイムまでの距離だ。反響の長さでわかる。……この人、スピーカーから遠い。校舎の端だ」

「配信、家からじゃないの?」

「家だよ。家がスピーカーの音が届く距離にあるんだ」

 彼は地図を出して、指で円を描いた。

「うちのチャイム、外向きスピーカーが東側にある。あの音量で届くのは、東に四百メートルまで。住宅は三十軒くらいだ」

「三つめ、子音」

 彼は再生を戻した。

「この人、カ行の破裂が弱い。喋り慣れてない人間の癖だ。一日に喋る量が少ないと、こうなる」

 私は、そのカ行を三回聞いた。三回目で、ようやくわかった気がした。


「で、決定打」

 彼は最初の配信まで遡った。三十秒ほど、指が止まらなかった。

「初回、去年の九月八日。うちの二学期の始業式の翌日だ」


 三年A組の海老原くんは、教室の隅にいた。

 私は彼の声を、思い出せなかった。三年間、同じ校舎にいたはずである。

「聞こえないですよね」

 たしかに、聞こえなかった。私は思わず身を乗り出した。それが失礼だと気づいて、少しだけ戻った。

「昔からです。喉が悪いとかじゃなくて。……ただ、出ないんです、教室だと」

「配信では出るの」

「出ます」

 彼は少しだけ笑った。

「一人だと出るんです。誰もいないと出るんです。……変ですよね」


「変じゃねえよ」

 ドパガキは、机の間を通って窓際まで行って、そこで壁にもたれた。

「オレも、人がいると脳が止まる。文字なら喋れる。……そういう脳の作りがあるんだよ、たぶん」

 彼は、外を見なかった。壁を背にして、教室のほうを向いていた。

「特定班が動いてる。知ってるか」

「知ってます」

「やめる気は」

「ないです」

 即答だった。教室で聞こえない声で、即答だった。

「……なんで」

 私が聞くと、彼は少し考えた。

「三年間、誰も僕の声聞いたことないんです。……二千人が聞いてます」


 ドパガキは、しばらく黙っていた。そして、こう言った。

「顔出さないのは逃げじゃねえよ。……声だけ出すって決めたんだろ」

 海老原くんが、顔を上げた。

「顔と名前と声のうち、一個だけ出す。それは選択だ。逃げてる奴は、三個とも出さない」

 彼はスマホを取り出した。

「で、守り方な。三つある」

「え」

「一つ。チャイムの入る時間に配信するな。当たり前だ。二つ。息継ぎの音を切れ。ノイズゲートってのがある。あれで十センチが二十センチに聞こえる」

 彼は、指を三本立てた。

「三つ。特定班に嘘を掴ませろ」

「嘘?」

「一回だけ、うちのじゃないチャイムを入れろ。県外のやつでいい。あいつらは音しか見てねえから、そっちに走る」

 彼は肩をすくめた。

「一週間で飽きるぞ、あいつら」


 特定班は、二週間で飽きた。

 隣の県の高校を三校ほど疑って、それから別の話題に移っていった。何を疑っていたのかも、たぶんもう誰も覚えていない。

 海老原くんの配信は続いている。彼は三月に卒業した。卒業式で、彼が答辞を読むことはなかった。

 でも、その夜の配信で、彼は卒業式の話を四十分した。聞いていた人は、三千人になっていた。


 帰り道、私は思い出したように言った。

「三個とも出さない奴は逃げてる、って」

「言ったな」

「あなた、三個とも出してないでしょう」

 彼は、少し黙った。歩幅は変わらなかった。

「オレは何も出してねえよ」

「うん」

「見る側だからな」

 彼はそう言って、自販機の前で止まった。

「うわ」

「今度は」

「猫が喋ってる」

「猫は喋らないでしょう」

「喋ってる。字幕ついてる」

「それは人が付けたんでしょう」

「そうだよ。……猫の声が小さいから」

 彼は十二分動かなかった。十二月の夜は、待つには寒い。私はそのあいだ、二千人という数を、頭の中で二回数え直した。


 なお彼は、翌週にはこの事件のことを、きれいさっぱり忘れていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。