フォロワー千人の葬式
吹奏楽部の公式アカウントは、五年続いていた。
フォロワー千四十三人。県内の高校の部活アカウントとしては、たぶん一番大きい。それが、今月で閉じられることになった。
十二月の生徒会室は、暖房の効きが悪い。
そこに、引退したはずの三年生が座っていた。渡瀬先輩である。制服の上にカーディガンを着ていて、その袖が伸びていた。
「閉じたくないんです」
「誰が閉じるって?」
「初代です。五年前に作った人。いま大学生で」
「その人に権限があるの?」
「あります。元のメールアドレスが、その人のなんです」
彼女は、伸びた袖を引っ張った。
「先月、急に連絡が来て。『閉じる』って。理由は言ってくれなくて」
「五年分の投稿、寄こせ」
ドパガキは机に伏せたまま、手だけ出した。
「千八百件くらいありますけど」
「三倍速で流す」
「三倍速で読めるんですか、文章」
「読めるだろ、あんな短いの」
渡瀬先輩は、少し引いていた。私はもう慣れていて、そのことに自分で気づいて、少し嫌だった。
四十分後、彼は顔を上げた。
「一つめ、世代」
彼は千八百件を、五つのかたまりに分けた。
「五年で、書いてる人間が五回変わってる。一年ごとだ」
「わかるんですか」
「わかる。改行の位置が違うからな」
彼は五つを並べた。私は覗き込んで、初めて自分にも違いが見えることに気づいた。言われるまで、ただの文字の列だった。
「初代は、句点のあとで必ず改行する。二代目は改行しない。三代目は二行ごと。四代目は絵文字を行末に置く。五代目は……」
彼は、そこで止まった。
「五代目、初代と同じだ」
渡瀬先輩が、身を乗り出した。カーディガンの袖が机に触れた。
「え?」
「句点のあとで改行してる。しかも、同じ場所で二行空ける。四代目までは誰もやってない」
「五代目って、私です」
「そう」
「私、初代の投稿なんて見たことないですけど」
「見てるよ」
彼はあっさり言った。
「引き継ぎのときに、過去のを一回は見るだろ。……一回見れば、指が覚える」
「二つめ、パスワード変更履歴」
彼は設定画面を出させた。日付が縦に並んでいた。
「変更が五回。ちょうど代替わりのタイミングだ。……で、六回目がある」
「六回?」
「先月」
渡瀬先輩の顔が変わった。暖房の音が、急に大きく聞こえた。
「先月、初代がパスワードを変えてる。閉じる前に、一回中に入ってる」
「何しに」
「見に来たんだろ。……で、見て、閉じるって言い出した」
「三つめ、削除」
彼は一覧をスクロールした。
「五年で、消えてる投稿が一件だけある。番号が飛んでるからわかる」
「消したの、誰ですか」
「先月だ。初代だよ」
「何を消したんですか」
「わからん。中身は消えてる」
彼はスマホを机に置いて、それを指で少し回した。
「でも、日付はわかる。五年前の四月十二日。……一番最初の投稿だ」
初代の野上さんは、二回目のコールで出た。
大学二年生である。県外にいて、声は思ったより若かった。後ろで、電車のアナウンスが聞こえた。駅のホームか、電車の中である。この人は、五年前にこの学校の一年生だった。五年で、声のする場所がこんなに遠くなる。私は、その距離を電話の向こうの音で測っていた。
「消したの、あなたですか」
「はい」
彼女は、あっさり認めた。
「なんで」
「見たら、恥ずかしくて」
彼女は笑った。
「五年前の私の文章、ひどいんですよ。『吹奏楽部です! よろしくお願いします!』みたいな。それが千人に見られてると思ったら」
「それで、アカウントごと」
「……いや、それだけじゃないです」
アナウンスが一度切れて、また戻った。
「五年ぶりに見たら、私が書いたものが、一個も無かったんです」
「八か月」
ドパガキが横から言った。
私は驚いた。彼が電話に出るとは思っていなかった。スピーカーにしていたのが失敗である。
「え?」
「あんたが書いてんの、八か月ぶんだ。五年のうち。二百件くらいある。悪くねえよ」
「……そうですか」
「で、そのあとの四年ぶん、あんたのじゃない」
「はい。だから」
「だから閉じる、はおかしいだろ」
彼は、天井を見ていた。
「五年分の千人、あんたのもんだと思ってんのか」
彼は、その一覧を上から下まで送った。指が、途中で一度も止まらなかった。
「歴代全員のもんだろ」
電話の向こうが、静かになった。アナウンスも、ちょうど止んでいた。
「わかるよ。自分が作ったもんが自分のじゃなくなるのは、たぶんきつい。オレも三年見てるアカウントが急に他人の手に渡ったら、嫌だと思う」
彼は、体を起こした。
「でもさ。あんた、消えてねえよ」
「え」
「五代目、あんたと同じ場所で改行してんだよ」
私は渡瀬先輩を見た。彼女は自分の手を見ていた。爪が短く切ってあった。楽器をやる人の手である。
「誰も教えてない。マニュアルにも書いてない。四年経って、まだ残ってる」
彼はスマホを机に戻した。
「投稿は消せる。癖は消せねえよ」
アカウントは、閉じられなかった。代わりに、野上さんが五年ぶりに一件だけ投稿した。
『五年前に作りました。まだありました。』
句点のあとで改行して、二行空けてあった。
いいねは八十七件だった。千四十三人のうちの、八十七人である。
「少ないわね」
私が言うと、彼は首を振った。
「八十七人だぞ」
「うん」
「五年前の一行を覚えてる奴が、八十七人いるってことだ」
その日の帰り道、彼は珍しく歩きながら喋った。
「あのさ。アカウント閉じるとき、フォロワーってどうなると思う」
「消えるでしょう」
「消えない」
彼は、前を向いたまま言った。
「向こうのフォロー欄から、名前だけが消えるんだよ。空欄になる。押しても何も出ない。……オレ、それ見たことある」
「……そう」
「気持ち悪いぞ、あれ」
私は、そのとき、それを聞き流した。聞き流したことを、私は三年後に思い出すことになる。
彼は自販機の前で止まった。
「うわ」
「今度は」
「猫がトランペット吹いてる」
「吹けるの」
「吹けてない」
彼は九分で歩き出した。珍しく短かった。十二月の風が、まっすぐ通り抜ける道だった。九分というのは、この人にしては短い。短かった理由を、私はその日聞かなかった。聞かなかったが、たぶん、フォロー欄の空欄の話をしたあとだったからだと思う。そう思ったのは、ずっとあとである。
なお彼は、翌週にはこの事件のことを、きれいさっぱり忘れていた。




