夏の依頼
八月の終わり、吉住くんから連絡が来た。
八月の終わりの寮は、冷房を切ると三十分で暑くなる。私は切ってから電話に出た。切る理由は、声が聞こえにくいからである。切ってから、それが理由になっていないことに気づいた。
高校三年生である。ノートは六冊目の後半に入っていた。
「めちゃくちゃどうでもいい依頼なんですけど」
「聞くわ」
「めちゃくちゃどうでもいいので、断ってもらっていいです」
「文化祭の備品が、消えるんです」
「備品?」
「はい。ガムテープとか、模造紙とか、延長コードとか」
彼は、そのリストを読み上げた。
「毎日、少しずつ消えるんです」
「盗まれてるってこと?」
「わかんないです。……でも、みんな『誰か持ってってる』って言ってて」
彼は、声を落とした。
「ちょっと、空気が悪いんです」
「やる」
ドパガキが言った。即答である。
私は、少し驚いた。三月から、この人が即答したのは初めてだった。三月から十月まで、依頼は四件しか来ていない。四件とも、受けるまでに一日か二日かかっている。乙川のことで頭が埋まっている人に、ガムテープの話を持っていくのは、たぶん失礼な気さえした。その人が、聞き終わる前にやると言った。
「やるの?」
「やる。……二か月ぶりの依頼だ」
彼は、その日のうちに解いた。
十二分である。
三年半で、一番速かった。私は、それをストップウォッチで測っていた。八月に測る癖がついていた。
「一つめ、消える時間帯」
「毎日、放課後の五時から六時のあいだだ」
「わかるの?」
「五時に確認して、六時にまた確認すりゃわかる」
彼は、その三日分の記録を並べた。
「吉住が三日やってる」
「二つめ、消えるもの」
「ガムテープ、模造紙、延長コード、ハサミ、養生テープ」
「共通点は」
彼は、その五つを丸で囲った。
「全部、使いかけだ」
「三つめ」
「準備室の写真を見た。……毎朝、机が片付いてる」
「片付いてる?」
「散らかしたまま帰ってるのに、朝には整ってる」
彼は、二枚を並べた。夜と、朝である。
「決定打」
彼は、備品庫の写真を出した。
「消えたものは、全部、備品庫の棚に戻ってる」
私は、少し笑った。
「盗まれてないのね」
「盗まれてない」
彼は、その写真を置いた。
「片付けられてる」
犯人は、二年生の男子だった。
私は、その子に会っていない。吉住くんが会って、話を聞いて、六冊目に書いた。私は、それを読んだだけである。それでも、私はこの話をノートに書いた。読んだだけでは、その子の顔も声もわからない。わからないまま書くというのがどういうことなのかも、私にはまだよくわからない。
彼は、毎日五時半に来て、散らかった準備室を片付けて、帰っていた。三週間である。
「なんで言わないの」
吉住くんが聞くと、彼はこう言った。
「言うと、やらないといけなくなるんで」
「え?」
「係になっちゃうじゃないですか。……僕、実行委員じゃないんで」
彼は、少し肩をすくめた。
「勝手にやってるだけなんで」
私には、その理屈が少しわかる気がした。わからないのは、私が同じことをしている理由のほうだった。私も、三年間ノートを書いていて、一度も委員会の書式に載せなかった。載せた瞬間に、たぶん書かなくなる。
「じゃあ、なんでやってるの」
吉住くんが聞いた。彼は、少し困った顔をした。
「散らかってると、気持ち悪いんで。……それだけです」
事件は、そこで終わった。一撃も、対峙も、涙もなかった。彼は、実行委員には入らなかった。
いまも、五時半に来て、片付けて、帰っているらしい。
「いい話ね」
「いい話じゃねえよ」
「え?」
「あいつ、感謝されねえんだよ、それ」
彼は、その三週間を指で数えた。二十一日である。
「三週間やって、誰も気づいてない。……気づいたのは、『盗まれてる』って騒いだ奴らだ」
「じゃあ、教えたらいいじゃない」
「教えた。……吉住が、実行委員に説明した」
「で?」
「『じゃあ、頼もう』って話になった」
彼は、少し口の端を上げた。
「あいつ、逃げた」
私は、また笑った。
「そうなるわね」
「そうなるんだよ。……勝手にやってる奴は、頼まれた瞬間にやめる」
彼は、一度こちらを見た。
「オレもそうだ」
「あなた、頼まれてやってるでしょう」
「頼まれてやってる。……だから、忘れてたんだと思う」
「え?」
「頼まれてやったことは、忘れる」
彼は、言い直した。
「勝手にやったことは、忘れねえ」
私は、二つのことを思い出した。彼が自分から動いたのは、二回だけである。三年半前、猫の転載が四百三十件に増えたとき。
そして、今年の三月、四百三十一件目が増えたとき。
「両方、覚えてるわね」
「覚えてる」
「他の六十八件は」
「忘れてた」
「うわ」
彼は、久しぶりにそう言った。私は、少し嬉しかった。二か月ぶりである。
「今度は」
「猫が」
彼は、その画面をこちらに向けた。
「猫が、片付けてる」
「猫が?」
「机の上のもんを、床に落としてる」
「それは散らかしてるのよ」
「本人は片付けてるつもりだ」
彼は十四分動かなかった。
三分ではなかった。八月に測った二十一本は、全部三分だった。今日は、十四分である。私は、そのことを、そっとメモした。




