三分間
八月三日。
私は、彼を一日、測ってみることにした。八月三日は、朝の八時でもう三十度あった。
「測る?」
「そう。……あなたが、動画を一本何秒見るか」
「なんで」
「気になったから」
彼は、それを受けた。断らなかった。断られると思っていたので、私は少し拍子抜けした。三年半、この人は自分について調べられるのを嫌がってきた。二年前、私が推理されそうになったときには「言うな」と止めた側である。その人が、九時から九時まで測られることを、二秒で承知した。
朝の九時から、夜の九時までである。私は、彼の隣に座って、ストップウォッチを持っていた。八月の部屋で、扇風機が首を振る音だけがしていた。
十二時間である。
私は、その十二時間、彼の横に座っていた。座っているだけである。三年半、私はだいたいこういうことをしてきた。
その日、彼が見た動画は、二十一本だった。以前は百五十本だったと、彼は言った。
いまは、二十一本である。
私は、その二十一本の視聴時間を、全部記録した。一本開くたびにストップウォッチを押して、閉じたところで止める。押し忘れたのは、十二時間で一度だけだった。その一度は、彼が水を飲みに立ったときである。立ったのも、十二時間で一度だけだった。十二時間、私はこの人が何を見ているかを一度も覗かなかった。覗けば見える位置にいた。見ないでいるほうが、測るには正しいと思った。
一本目、二分五十四秒。二本目、三分二秒。三本目、二分五十九秒。四本目、三分ちょうど。
五本目、二分五十六秒。
十本目まで書いたところで、私は手を止めた。
十本の数字が、縦に並んでいた。並んでいるのが、変だった。人の見る時間というのは、こんなふうには揃わない。私自身の視聴時間を書けば、五秒のものも三十分のものも出る。この十行は、上から下まで、二分五十秒台と三分ちょうどのあいだに収まっていた。並んでいるのが変だということ以外、私にはそこから何も読めなかった。
「土場くん」
「なに」
「あなた、全部三分よ」
彼は、画面から目を離した。
「そうか?」
「そうよ」
私は、その十行を彼のほうへ向けた。
「十本、全部三分前後よ。……一番短いのが二分五十一秒。一番長いのが三分四秒」
私は、その差を書いた。
「十三秒しか違わないわ」
彼は、それを聞いて、少し考えた。
「動画の長さが同じなんじゃねえの」
「違うわ。……私、動画の長さも書いてるの」
一本目は、十七秒の動画だった。何の動画かは、聞かなくてもわかった。二本目は、一分二十秒。
三本目は、四十秒。四本目は、二分十秒。五本目は、九秒。
「バラバラよ」
私は、その二列を並べて置いた。片方はばらばらで、片方は揃っていた。
「九秒から二分十秒まで。……なのに、あなたの視聴時間は、全部三分なの」
彼は、初めて手を止めた。
「え?」
「十七秒の動画を、三分見てるの」
私は、その一行を指した。
「十回以上、リピートしてる」
私は、そのあと十一本も記録した。二十一行になった。二十一行のうち、三分をはっきり外れたものは一つも無かった。上から下まで読んでも、私には規則が一つしか見えない。三分だ、という一つだけである。
結果は、同じだった。二十一本の平均、二分五十八秒。最短、二分五十一秒。最長、三分四秒。
「二十一本で、十三秒しかぶれてないわ」
私は、その二十一行を上から下まで指でなぞった。まっすぐだった。
「これ、偶然じゃないわね」
彼は、答えなかった。そして、少し経って、こう言った。
「気づいてなかった」
「本当に?」
「本当に」
彼は、その二十一行をもう一度見た。
「オレ、飽きたら次に行ってるつもりだった。……三分で飽きてると思ってた」
「違うわ」
私は、その列に線を引いた。
「三分で切ってるの」
「切ってる?」
「そうよ。……飽きてるなら、九秒の動画は三十秒で飽きるはずよ」
私は、九秒の行を指した。
「三分見てるってことは、三分見ようとしてるの」
彼は、たぶん一分黙っていた。私は、その一分もストップウォッチで測った。五十八秒だった。
「なんで」
「わからないわ。……あなたに聞いてるの」
「知らね。……本当に知らねえ」
私は、一つ試した。
「三分って、何の長さ?」
彼は、動きを止めた。
そして、たぶん三十秒くらい、何も言わなかった。三十秒、指も動かなかった。そして、こう言った。
「知らね」
「知らないの?」
「知らねえ。……本当に、知らねえ」
彼は、自分のこめかみを一度押さえた。
「でも」
彼は、画面を伏せた。
「いま、なんか、引っかかった」
「何が」
「わからん。……三分って言われて、なんか引っかかった」
彼は、その手を下ろした。
「でも、出てこない」
私は、それ以上聞かなかった。
聞いても、出てこないと思ったからである。この人は、思い出そうとすると出てこない。三月からずっと、そうだった。忘れないようになったのに、出てこないものだけが出てこない。
私は、ノートの新しいページに、こう書いた。
『八月三日。土場我輝の視聴時間を測定。』
『二十一本。平均二分五十八秒。最短二分五十一秒、最長三分四秒。』
『動画の長さは九秒から二分十秒まで。ばらばらである。』
『彼は、動画を見ているのではない。三分を消費している。』
そして、その下に、こう書いた。
『三分とは、何の長さなのか。』
『答えは、まだ出ていない。』
私は、この記録に、日付を大きく書いた。いつか、必要になる気がしたからである。
三年半、私が書いてきたのは、他人の記録である。依頼人の話と、手がかりと、結果である。彼自身のことは、余白にしか書いてこなかった。この一ページだけは、最初から最後まで彼の数字だった。二十一行の数字と、平均と、最短と、最長。事件は一件も起きていない。それでも、私はこれを一番丁寧に書いた。




