縦にできない
十一月の中頃、私は文化祭実行委員長に呼び止められた。
彼女は両手にケーブルの束を抱えていて、それを下ろす場所を探しながら喋った。
「記録映像、全部使えないんです」
「全部?」
「全部横向きなんです。四時間分」
記録係は、一年A組の吉住くんという子だった。
当日、彼はずっと走り回って撮っていた。私も三回見かけた。三回とも走っていた。誰も文句を言えない働きぶりである。
問題は、それが一本残らず横向きだったことだった。
学校の広報アカウントは、縦の動画しか上げない。横の映像を縦の枠に入れると、上下に大きな黒帯が出る。四時間分が、そのまま使えなくなった。
「縦で撮ってって、事前に言ったんですけど」
委員長はケーブルを床に置いて、ため息をついた。
「『わかりました』って言ったんですよ。それで全部横」
「これ、事件か?」
ドパガキは机に伏せたまま、顔だけ横に向けた。教室はもう暗くて、彼の画面だけが明るかった。
「事件じゃないわね。仕事の話」
「じゃあやんねえ」
「四時間分よ」
「知らね」
「一年生が一人、いま職員室で立たされてる」
彼は少しだけ顔を上げた。
「……立たされてんの?」
「立たされてる」
「なんで」
「理由を言わないから」
彼は起き上がった。
「一つめ。過去の投稿」
彼は吉住くんのアカウントを開いて、親指で送っていった。運動会。部活。家の犬。夕方の駐輪場。
「一年半分ある。全部横だ」
「本当に全部?」
「縦が一本もない」
私も覗き込んだ。たしかに、一本もなかった。一年半、四百件近くある。全部が横だった。
「二つめ、手ブレ」
彼は一本を止めて、〇.二五倍速に落とした。
「こいつ、横に構えるのが上手すぎる。一年半やってるからな。……で、たまに縦に構えかけて、〇.三秒で戻す」
「戻す?」
「ここ。見ろ」
言われて、私は画面に顔を近づけた。一瞬だけ、映像が縦に回りかけて、慌てて横に戻った。目を離していたら、絶対にわからない。
「縦にできない理由がある人間の動きだ」
「三つめ、機種」
彼は画質を拡大した。輪郭がぼやけて、四角い粒になった。
「この画質、四世代前だ。いま高校生でこれ使ってる奴、ほぼいない。お下がりだな」
「で、決定打」
彼は一本を止めて、画面の上端を指した。
「ここ。〇.五秒だけ、通知バナーが映り込んでる」
私は目を凝らした。文字は潰れていて、何も読めなかった。
「読めないけど」
「読めなくていい。形を見ろ」
彼は指でなぞった。私には、細長い灰色の帯にしか見えなかった。
「二段だ。一段目にアプリ名、二段目に本文。メッセージアプリの通知だよ」
「それが?」
「一年半分見ると、この映り込みが十一回ある。全部、横向きの上端に一瞬入ってる」
彼は自分のスマホを縦にして、こちらに向けた。
「縦で撮ると、この通知が画面の真ん中に、でかく出る。この機種は縦持ちだとバナーが太いんだよ」
彼は画面を伏せた。
「で、こいつのスマホには、通知が絶え間なく来てる」
吉住くんは、職員室の前の廊下に立っていた。
小柄で、髪が短くて、まっすぐ立っていた。姿勢だけがやたらといい子だった。
「通知、母親からだろ」
ドパガキがいきなり言うと、吉住くんの肩が跳ねた。
「……なんで」
「一年半、一日平均で何件来てんの」
彼は答えなかった。廊下の窓の外で、部活の掛け声がしていた。
「言わなくていい。……塾だろ」
吉住くんの顔が、赤くなった。
「行ってないんです」
彼は結局、自分から言った。声が小さかった。
「四月からです。週三で行ってることになってて。……行ってないです。ずっと」
「一年半?」
「はい」
「何してたの」
「撮ってました」
彼は下を向いた。上履きのつま先が、少し汚れていた。
「駅前とか、川とか。……撮ってました」
「母親からの通知は」
「『今日も塾行った?』って、毎日来ます。行ったって返してます」
彼は制服のポケットの上から、自分のスマホを握った。
「画面に出ると、誰かに見られるんで。だから、横で持ってました」
私は、何と言えばいいかわからなかった。
叱るべきなのは、たぶん私のほうである。風紀委員はそういうものだと、去年の四月に説明を受けた覚えがある。
ドパガキが先に喋った。
「わかるよ。オレも親に見られたくない画面あるもん。夜中の三時に猫が寿司握ってんの見てるとこ、絶対見られたくねえ」
彼は壁にもたれて、片足を後ろにつけた。
「まあ、それはどうでもいい。……あんたさ、一年半、横で撮り続けてんだよな」
「はい」
「上手いぞ、めちゃくちゃ」
吉住くんが、顔を上げた。
「文化祭の四時間、オレ全部見た。横だから使えないって言われてんだろうけど、中身は今年一番いい。パンの速度も、寄りのタイミングも、音の拾い方も、全部わかってる人間の撮り方だ」
彼は肩をすくめた。
「一年半サボって、それだけやってりゃそうなるよ。バレんの怖くて逃げてた時間で、あんた、めっちゃ上手くなってんぞ」
その日の夜、私は実行委員長に提案した。
四時間分を、横のまま使う。学校のアカウントではなく、別の場所に置く。縦にするのをやめる。
彼女は渋ったが、通しで見て、意見を変えた。
「これ、いいですね」
「そうでしょう」
「なんで横なんですかね」
「本人に聞いて」
吉住くんは、塾のことを自分で母親に言った。
うまくいったのかどうか、私は知らない。二か月後の彼が、まだ撮っていたことだけを知っている。
そのころには、たまに縦でも撮るようになっていた。
「一年半、無駄じゃなかったのね」
帰り道、私が言うと、ドパガキは鼻を鳴らした。
「無駄だろ、普通に。塾サボってんだから」
「さっき褒めてたじゃない」
「褒めてない。上手いって言っただけだ」
「同じでしょう」
「違う」
彼は自販機の前で立ち止まって、スマホを取り出した。
「うわ」
「今度は」
「猫が横向きで寝てる」
「それは猫がいつもやってることでしょう」
「四十七万回再生されてる」
「……そう」
彼は十三分動かなかった。私は麦茶を買って、飲み終わるまでそこにいた。
なお彼は、翌週にはこの事件のことを、きれいさっぱり忘れていた。




