探偵の動機
六月十日から十四日まで、私は五冊のノートを読み返した。六月の寮の部屋は、夜になっても窓を閉めない。
私が三年間書いた三冊と、三浦亮太が二年間書いた一冊と、吉住くんが一年で書いた一冊である。五冊を机に積むと、思っていたより低かった。
合計で、二百七十件くらいあった。
私は、それを分類した。
四日かかった。紙を七枚使った。彼のやり方である。三年見ていれば、真似はできる。一枚目に全件の番号を書いて、二枚目から属性ごとに分けていく。分けたものを、また分ける。真似はできるが、速さは真似できない。この人なら、たぶん半日で終わる。私は四日かけて、四日目の夜にようやく七枚目に届いた。
一つめ、依頼人の属性。
私が書いた百二十件のうち、依頼人が「困っている本人」だったのは、四十一件。
「本人の周りの人」だったのが、六十二件。
依頼が無かったのが、十七件。
二つめ、犯人の動機。
一番多かったのが、承認である。二十九件。次が、防衛。二十二件。次が、発見要求。十八件。
三つめ。
そして、私の手が止まった。
百二十件のうち、九十件が、同じ形をしていた。
誰にも見られていないと思っていた人が、実は見られていた。
四十秒で消えた投稿。四人が通知オンにしていた。
四十秒だけいいねを押していた人。三か月で一時間ぶん伝わっていた。全校の投稿がゼロだった日。四百八十人が黙っていた。
宿題の代行。余白の一行が、頼まれてもいないのに書かれていた。
十二月二十四日の百六十二件。三百八十文字を、深夜三時に二人が読んでいた。
私が初めて上げた四千二百字。十一回のうち一回が、彼だった。
九十件である。百二十件のうち、九十件。
私は、その九十件に、七枚目の紙で丸を付けた。丸を付け終わるのに、二時間かかった。九十個の丸である。付けているあいだ、私は何度も手を止めた。同じ形が九十回出てくるというのは、偶然ではない。偶然でないなら、そこに理由がある。理由は、この五冊のどこにも書いていなかった。書いていないものを、私は二時間かけて丸で囲んでいた。
私は、それを彼に見せた。
六月十五日である。彼の家の、あの机の上に、五冊を並べた。
「九十件」
「九十件よ」
「四分の三だ」
「四分の三ね」
「あなた、毎回、同じことを言ってるの」
「言ってるな」
「『見られてたぞ』って」
私は、その四つを読み上げた。
「『通知オンだ』『一時間ぶん伝えてる』『六十四人が毎日一問解いてる』『十一回のうち一回はオレだ』」
私は、その紙を彼のほうへ向けた。
「全部、同じことよ」
彼は、その五冊を、しばらく見ていた。
「そうだな」
「これ」
「うん」
「全部、乙川くんに言えなかったことじゃないの」
彼は、答えなかった。私は、続けた。
「あなたは、三年間、乙川くんに一言も言わなかった。……見てたのに、言わなかった」
私は、その九十の丸を指した。
「で、そのあと二年間、他人に、九十回言ったの」
「『見られてたぞ』って」
私は、その丸の数をもう一度数えた。
「九十回よ」
彼は、机に手をついた。そして、こう言った。
「そうかもな」
「そうかもな、じゃないわ。……そうよ」
「オレ、覚えてねえもん」
彼は、その丸のうちの一つを指した。
「六十八件、全部忘れてる。……毎回、初めてやってるつもりだった」
「知ってる」
私は、その紙を置いた。
「だから、九十回も同じことを言えたのよ」
私は、一つ思い出した。三年半前の夏である。あの日、私はあの家の前に二十分立っていて、この人が何をしているのかまったくわからなかった。門の横のブロックに座って、ただ画面を見ている。説得もしないし、呼びかけもしない。私はそれを、やる気の無さだと思っていた。三年半、そう思ったままだった。
三年半前、二年生の夏。彼は、相原景の家の前に二十分座って、こう言った。
「猫が寿司握ってんだけど、見る?」
「土場くん」
「なに」
「相原くんに、猫の動画を見せたわね」
「見せた」
「三年半前ね」
「そうだな」
「あれ」
私は、ノートを閉じた。
「乙川くんの動画よ」
彼は、たぶん十秒くらい動かなかった。
「そうだな」
「気づいてた?」
「気づいてなかった。……今日、気づいた」
「あなたは」
「うん」
「乙川くんに面白いって言えなかった動画を」
私は、その紙をもう一度持ち上げた。
「家から出られない一年生に見せたのね」
彼は、答えなかった。
「そして、その子は、外に出たわ」
「出たな」
「あなたが二十分座って、猫の動画を見せたから」
私は、一度言葉を切った。
「乙川くんの猫が、相原くんを外に出したのよ」
彼は、初めて椅子に座った。そして、こう言った。
「知らなかった」
彼は、机の上の五冊を見た。
「三年半、知らなかった。……オレ、あのとき、なんも考えてなかった」
彼は、両手を膝に置いた。
「猫の動画を見てて、あいつが出てきて、で、見せただけだ」
「それが、一番いいわ」
「え?」
「考えてやってたら、たぶん、届かなかった」
言ってから、私はそれが本当かどうかを自分で確かめた。考えて見せていたら、相原景はそれに気づいたと思う。あの子は、二階の窓から十五分こちらを見ていた人である。気づかれた瞬間に、あれはただの説得になる。何も考えていなかったから、猫の話だけで済んだ。
私は、ノートの百二十二件目に、こう書いた。
『百二十件のうち、九十件が同じ形をしている。』
『「誰にも見られていないと思っていた人が、実は見られていた」』
そして、その下に、こう書いた。
『土場我輝は、それを九十回言った。』
『三年間、一人に言えなかったことを、二年間で九十回言った。』
『そして、全部忘れている。』
書いてから、私はその三行を長いこと見ていた。忘れているから九十回言えた、というのは、たぶん本当である。覚えていたら、二回目で気づく。気づいたら、たぶん言えなくなる。この人が忘れる人でよかった、と私は初めて思った。三年間、忘れることを寂しく思ってきた側が、である。




