見つけた
六月二日。
六月の四時は、もう外が明るい。明るいのに、部屋はまだ冷えていた。私は電気をつけずに電話に出た。カーテンの隙間から、部屋の床に一本だけ光が入っていた。
彼は、朝の四時に電話をかけてきた。
「一個、聞くぞ」
「四時よ」
「聞く」
彼の声は、寝ていない声だった。
「三年前の十月。……あんたが、あのアカウントを持ってきた日だ」
私は、目が覚めた。
「十四人のフォロワーの?」
「そうだ。……あのとき、オレ、なんて言った」
「『正体はわかった』って言ったわ。……『でも言わない』って」
「そうだ」
彼は、電話の向こうで何かを置いた。
「で、あのアカウントは、誰のだ」
「隣町の中学生でしょう」
私は、そのページを頭の中で開いた。
「そう言ったわね」
「言った」
彼は、言い切った。
「で」
彼は、少し声を落とした。
「オレ、あいつのアカウント、三年間見てるんだよ」
「毎日?」
「毎日じゃない。……月に一回くらいだ」
彼は、言い直した。
「あんたが押すなって言ったから、押してない」
「あなたが言ったのよ」
「そうだったか」
「で、何」
彼は、少し黙った。
「あいつのアカウント、投稿が二千件以上ある」
「四年ぶんね」
「四年ぶんだ。……全部、窓の外だ」
彼は、一度言葉を切った。
「全部か?」
私は、起き上がった。カーテンを開けると、外はもう白かった。
「全部じゃないの?」
「見てない。……オレ、上から百件くらいしか見てない」
彼は、その回数を数えた。三年で三十六回である。
「三年間、月に一回開いて、上から百件見て、閉じてた」
彼は、スクロールを止めた。
「下まで見たことがない」
私たちは、その日、二千件を全部見た。九時間かかった。
彼の家で、二人で、交代で。私が奇数件、彼が偶数件である。三時間目で、目が痛くなった。一件に三秒として、二千件で百分である。実際には、そんなに速く送れない。一件ずつ開いて、日付を確かめて、写っているものを見る。九時間のうち休んだのは二回で、合わせて二十分だった。彼は、そのどちらも自分からは言い出さなかった。
一件目から千八百件目まで、全部、窓の外だった。
同じ窓である。同じ電柱である。同じ屋根と、同じ山の稜線である。千八百枚見ると、季節が四回まわった。四回まわって、何も変わらなかった。
電柱が一本。屋根。山の稜線。季節だけが違う。九時間見て、私に見分けられたのは季節だけだった。夏と冬は色でわかる。春と秋は、私にはほとんど同じに見えた。
千八百三十一件目で、私の手が止まった。
四年前の、一番古い投稿である。
つまり、そのアカウントの、一件目だった。
窓の外ではなかった。文章だけである。
『もらったので、置いときます。』
そして、その投稿には、動画がついていた。
私は、それを再生した。十七秒である。
外だった。アスファルトの上に、発泡スチロールの箱の蓋が置いてあった。その上に、猫がいた。
野良である。背中の毛が束になっていた。米の上に、何かが乗っていた。猫は、右前足を上げた。
そして、下ろした。二回、押さえた。そして、口をつけた。
十七秒で、終わった。
画質が、綺麗だった。
三年間、私が見てきたどの転載よりも、綺麗だった。
背景の電柱が、はっきり見えた。奥のシャッターの、色まで見えた。
猫の目が、こちらを一度も見なかった。撮っている人のほうを、一度も見ない。野良猫は、たいてい人を見る。見ないというのは、そこに人がいることに慣れているということである。撮った人は、この猫の前に何度も立っている。何度も立って、何度も撮って、そのうちの十七秒がこれだった。
私は、隣を見た。
彼は、動かなかった。九時間座っていた人が、そこで初めて完全に止まった。
「一世代目?」
彼は、答えなかった。私は、もう一度聞いた。
「一世代目なの?」
「〇世代目だ」
「〇?」
「圧縮が一回しかかかってない」
彼は、その粒を拡大した。粒が、四角くならなかった。
「これ、転載じゃない。……元データだ」
四年前の投稿である。
『もらったので、置いときます。』
私は、その一行を、たぶん十回読んだ。
「もらった、って」
「乙川がやったんだ。……消す前に」
彼は、その一行を指した。
「この子に渡してる」
「なんで」
彼は、答えなかった。そして、こう言った。
「四年前だ」
私は、気づいた。四年前である。乙川が消えたのは、三年前の一月である。一年、ずれている。
「四年前?」
「四年前だ。……消す一年前だ」
彼は、言い直した。二度目は、静かだった。
「消す前じゃない。……まだ元気なころだ」
私たちは、その日、それ以上何も進めなかった。九時間かけて、二千件のうち、一件を見つけた。
一番下の、四年前の、一件目である。
いいねは、ゼロだった。四年間、ゼロである。
私は、その〇という数字を見た。三年前、私はここに指を伸ばして、押すなと言われた。押さなくてよかったのかどうか、私はいまもわからない。
私は、ノートの百十八件目に、こう書いた。
『六月二日。〇世代目を発見。』
『場所は、四年間毎日窓の外を上げているアカウントの、一件目である。』
『四年前の投稿。「もらったので、置いときます。」』
『いいね、ゼロ。』
そして、その下に、こう書いた。
『私たちは、三年間、このアカウントを見ていた。』
『下まで見たことが、一度もなかった。』




